ネタふりネタ【No ○○, No Life】に答えてみる | execute/Allez URAWA

ネタふりネタ【No ○○, No Life】に答えてみる

No ○○, No Life ブログネタ:No ○○, No Life 参加中


No Philosophy, No Life!



おおげさな表現じゃなく。カッコつけでもなく。

この場合の哲学は自己哲学という意味です。

哲学ってのは昔からやっていることが変わらず、1000年単位とかで物事を考えていく、なんとも呑気なものですが、人間の生態自体、たいして進化していないわけで、こっちの意味の哲学でもいいのですけど。


人は普段、法律に則って暮らしているわけですが、法律は決して人の上に立つことはあり得ないと思っています。

たとえば、大きな荷物を持った老人が横断歩道を渡っていると、途中で赤信号になってしまったとして、それを助けに駆け寄ることは、厳密にいえば道交法違反なわけです。赤信号渡ってるんですから。でも、このシチュエーションで罰せられることはないですよね。人命優先しての行動なので。


法律で、規則で決められているから



俺は、このことを盾に責任を投げ出したくはないのです。


ニーチェの作品から言葉を借りれば、

「おお、わたしの兄弟たちよ、人間の未来全体にわたっての最大の危険は、どういう者たちのもとにあるか。それは善い者、正しい者たちのもとにあるのではないか。

 つまりかれらは次のように語り、次のように感じている。『われわれはすでに、何が善であり、正義であるかを知っている。われわれはまたそれを身につけている。まだそれを探している者にわざわいあれ』と。

 よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である。

 たとえ世界誹謗者がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である」


という善い人・正しい人にはなりたくないのです。


なぜなら、この善い人・正しい人たちは、他人を傷つけても、そのことで良心の呵責を感じないからです。むしろ自分はいいことをしたとさえ思っています。

極端にいうと、ヤクザな方たちは、人を殺めるとき、それが悪いことと知っていながら手を下すんです。だから殺めたあと逃げる。でもこの善い人・正しい人たちは、たとえ人を殺めても、それまでの暮らしを普通に続けられるんです。自分は悪いことやったと思ってないから。


これが発展していくと、主体性なき総意となって、戦争おっ始めるまで行き着きます。


机上の空論だと思いますか?


一昔前にあったイラク日本人拉致事件で盛んに言われた“自己責任”世論なんて、主体性なき総意の一歩手前だと思いますがどうでしょう?


もっといえば、ここ数日、北朝鮮がテポドンを発射するんじゃないかと言われていますが、実際発射して日本に何らかの影響を与えれば、みんな「北朝鮮けしからん」ってなるでしょう。

すると、憲法9条改正論が活気づくわけです。その改正がもたらすその後の日本や世界のことを考えたら、“恐ろしい”以外の何ものでもないと少し考えればわかることなのに、そこが見えなくなってしまうんですね。


そうならないために、常に自分の言動に責任を持てるよう、また、権力の使われ方を監視するために必要なことの一つが自己哲学なんじゃないかと思っている次第です。




※すみません。「浦和レッズについて書く」と言っておきながら、こんな偏った文章載せてしまって。