GUERRILLERO HEROICO
主に浦和のこと、と書いておきながら脱線ばかりしています……。
ひっそりとニュースになっていた。
●カストロ議長に死亡説
キューバのカストロ前議長、重体・死亡説飛び交う
1月13日20時35分配信 読売新聞 【リオデジャネイロ=小寺以作】
キューバで病気療養中のフィデル・カストロ前国家評議会議長(82)の動静が、過去約1か月にわたりほとんど伝わらない状況が続き、国内外で重体説や死亡説が飛び交っている。
風評が広がるきっかけは、盟友であるベネズエラのチャベス大統領の「前議長は二度と公衆の面前に現れないだろう」という発言だった。
前議長自身、活発に行ってきた共産党機関紙への論評提稿を昨年12月15日以来、行っておらず、今月1日の革命50周年記念日でもわずか3行の祝辞を発表しただけだった。
外国首脳との会談も昨年11月以来、途絶えており、在ハバナ外交筋は「病状は相当悪化している可能性がある」と話している。
果たして、フィデル・カストロ・ルスがこの世を去ったとして、キューバは崩壊への道を辿ってしまうのか?
キューバ革命が起きて半世紀。その思想を人々に浸透させるには十分な時間だったように思う。
そしてそれが世代を超えて人々に引き継がれているのであれば、キューバはキューバであり続けるだろう。
かつて大杉栄は
「革命家は、その成功を見届けることなく死に行く存在である」と言った。
これは、武装テロを想定しての言葉ではあるが、真実である。
かつてフィデルは
「革命はこれで終わったわけではない。今まさにこのときから始まるのだ」と、サンタクララ制圧後のスピーチで言っている。
キューバ革命は成功と呼べるのか? それは、フィデルら第一世代がこの世を去ったとき、初めてわかるのである。
その時が近づいているといえるのだろう。
折しも、チェ・ゲバラの革命闘争を描いた映画『★CHEチェ 28歳の革命』が公開中で、1月30日からは『★CHEチェ 39歳 別れの手紙』が公開予定だ。
“前知識がないとわけがわからない”という、極めて日本人的な感想を述べている人も多いようだが、ゲバラは1959年7月15日に農業改革機構工業部長および国立銀行総裁として、キューバの使節団を引き連れ来日したことがある。
その際、東京にある無名兵士の墓(っていったらアソコしかないよねぇ)を詣でることが決まっていたが、それを反故にして、原爆被害に遭った広島を訪れている。
そのときの「米国にこんな目にあっておきながら、あなたたちはなお米国の言いなりになるのか」という台詞から、ゲバラの人となりを感じた人もいるだろう。
ところで、ゲバラは日本に対し、もう一つ印象的な発言をしているのはご存じだろうか。
「日本人と同じように、われわれもほとんど何ももっていない。石油もない。あったとしてもほんのわずかだ。鉄鋼も石炭も産出しない。日本には米があり、キューバにはサトウキビがある。しかし日本人はわれわれがサトウキビから得られるものよりたくさんのものを米から得ている。国を発展させるために、我々はもっと頭を使わなければならない」
『チェ・ゲバラ—革命を生きる』
ゲバラは日本に関心を寄せていた。小国で、アメリカに原爆を落とされ、降伏して敗戦国となって蹂躙されながらも、戦後復興を成し遂げている最中にあった日本から学ぶものは多いと考えていた。
ゲバラ訪日から50年。お互いが歩んできた道と、現在の立場・状況は大いに異なっている。そんな日本を今、ゲバラが見渡したとき、果たしてどんな言葉を投げかけるのだろうか?
そして、誰もが一度は目にしたことがあるであろう“GUERRILLERO HEROICO(ゲリラの英雄)” を前に、アイコンとして消費してきた日本人は、彼の夢をどのように理解すべきなのだろうか?
Steven Soderberghがゲバラに示している敬意以上に、日本人は、この映画を観て答えを出す義務があるのかもしれない。