箱根 彫刻の森美術館 Vol.2
ずっとほったらかしにしてた彫刻の森美術館について。
彫刻の森美術館にはピカソ館というものがあります。
国内ではピカソの作品をまとめて見られる数少ない美術館だと思います。
バブロ・ピカソ(1881-1973)
美術教師を父に生まれたピカソは幼いころから絵を描き始める。
やがて美術学校に通い始めたピカソは当時からあまりにも天才的だったので、
学校へ通うことへ無意味さを感じ退学。
1900年頃パリへ初訪問。その後パリとバルセロナを行き来する。
1901年親友カサヘマスを亡くしたことをきっかけに「青の時代」が始まる。その年パリで初の個展。
1902年パリに移住。
1904年フェルナンド・オリヴィエという恋人を得たのをきっかけに「バラ色の時代が始まる」。
1907年アフリカ彫刻の影響を受けて描いた「アヴィニョンの娘たち」をきっかけにキュビスムの時代が始まる。
※このキュビスムってのが一般的にピカソの絵として知られている変な絵のことである。
1907-1918までの主なスタイルはキュビスム。細かくわけると分析的とか総合的とかに分かれている。
1922年「海辺を走る二人の女」を制作。新古典主義の時代(1918-1925)
1926年シュルレアリスムの時代。
1937年ゲルニカという都市が空爆を受け、それに怒ったピカソは「ゲルニカ」を制作。
丸の内オアゾ内にレプリカがある。かなりシュール。
1947年陶芸を始める。
その後晩年まで意欲的に制作を行う。
間違ってる部分もあるかもしれないけどピカソはこんな経歴です。
ピカソと言えば一般的に変な絵を描いていた人ですが、実写主義というか、
リアルに描こうとすればありえないくらいリアルな絵を描ける人です。
面白くないからそういう絵は描かなかっただけです。
ここに来て初めて知ったのが陶芸をしていたということ。
その陶芸作品が数多く展示されていて面白かった。
すごいバイタリティに溢れる人だったんだろうな、というのが数十点の作品を見るだけで伝わってきます。
一生作り続けるということがどれだけ大変か。
文学者でも芸術家でも死後に認められて・・・ってのが多いなか、彼は純粋に芸術を仕事にして成功していたのです。かと言って当たり障りの無い芸術、ただ単に受けのいい芸術ってわけでもない。
そこか一番尊敬できる部分。
どんな世界でもある一定レベルの向こう側ってのがあると思います。
その向こう側に行ってしまうと極端に理解者が減る。
そんなことを考えたことはありませんか。
その葛藤がどれほど大きなものか・・・
それを超え続けていたからこそピカソが天才と言われる所以なのであります。
