2019年年末所感② | ExcomAdvisorのブログ

ExcomAdvisorのブログ

本稿は私・平田幸治の個人の意見・見解等を綴ったものです。

  年末所感だが少し私のことを書いてみたい。

 

  今日恩師のお一人山田辰雄・慶應義塾大学名誉教授(同元法学部長、中国国民党史)に携帯を入れた。お元気だった。81歳になられた先生の明けて2020年1月7日の82歳のお誕生日にお祝いのお酒を贈ろうと思った。

 

  私の友人の逢沢一郎・衆議院議員(同大学工学部管理工学科卒業)の俊枝夫人(同大学法律学科の元法務省法制審議会委員等の人見康子教授研究会卒業)のお勧めで「平田さんなら、慶應政治学科の後輩のところのお酒がいいでしょう」と、彼らの元秘書で倉敷市玉島の蔵元に嫁いだ菊池陽子さん(同大学政治学科卒業)の『燦然』を予定していたのだった。

 

  だが、山田先生は「私は酒は飲まない」と。1月21日がお誕生日だった恩師の石川忠雄・元慶應義塾長も「私は一滴も飲まない」と、この師弟のお応えは同じである。だから私は、大先生にも山田先生にもお酒を贈ったことはなかった。このお二人と酒を飲んだという人は不思議だった。

 

  石川先生は私に「君(平田)は酒を飲むらしいが、私は一滴ものまない。要はその人の持ち味というものだ」と、言われた記憶が長く残る。

 

  先の菊池酒造の『燦然』は私一人で味わうのだが、家内も義父も酒は飲まない。東京から帰省してくる息子H(慶應義塾大学政治学科・細谷雄一教授研究会卒業、33歳、IHI本社勤務)も酒は飲まない。息子と酒を飲んだのは、彼が入学して間もない日吉でビールを酌み交わしたのが最初であとの記憶はない。

 

  私の政治学科同期の遊びもアルバイトも勉強も一緒だった国分良成教授(防衛大学校長、石川忠雄研究会卒業、元慶應義塾大学法学部長、現代中国・国際政治)に塾生の息子を引き合わせて酒でも酌み交わせたいと思ったが、国分君からは「・・お前(平田)の息子が私の講義を聴いているのは、顔立ちからよくわかるんだ。訪ねてくるように言ってくれ・・」。それから「お前と違って、奥ゆかしいところだ・・」となった。

  息子は国分教授の講義を2年間聴いた。石川忠雄先生門下の元NHKの橋本明久君は息子が国分良成研究会に入ることを盛んに進めてくれた。息子には北米大学への留学はかなえてやれなかったが、英ケンブリッジ大学ダウニングカレッジとパリ政治学院への短期留学はさせてやれた。橋本君はよく石川忠雄先生は「神様だ」と言っていた。

 

  少し山田辰雄・名誉教授の三田での思い出を記したい。外書講読の記憶なのだが、先生は私をよく覚えてくださり、よく訳出に当ててくださった。あまり準備していないと中国指導者の固有名詞がわからないことになる。先生は本来学術にわたることは厳しいはずなのだが、私の固有名詞での詰まりは笑って許されていたようにも思う。ただ中国指導者の固有名詞は、亡母もその昔の高等女学校時代に使用した三省堂『コンサイス英和辞典』には所載されていた。

 

  私も石川忠雄先生の講義は三田で2年間聴いた。単位は4年で2単位残すのみだった。先生と廊下で質問のお話をよくした。

先生は法学部長で対外的には学術行政活動等にご多忙でいらした。後に経済学博士号を取得される当時の小嶋美代子法学部長秘書は頭脳明晰な人物だった。

 

  思い起こすと、息子が政治学科の研究会の選考時に、私(父)と同じ国際政治のゼミを希望していたので、ご交際のあった田中俊郎・常任理事(EU)にご相談した。田中先生は「・・君の息子は、細谷雄一君が引き受けてくれるなら、それがいい」。「私(田中先生)と細谷君と君の息子がどちらとこれから長く付き合えるかわかるだろう・・」とおっしゃった。

 

  岡山に講演においでいただいた研究会恩師の神谷不二・慶應義塾大学名誉教授とはお酒を酌み交わした。思いがけないお話が聞けることがある。私はいまはお酒はレモン・ハイボールがもっぱらだが、逢沢俊枝夫人のお勧めの銘酒も少しはたしなみたいと思う。

(ひらた こうじ) <了>

 

燦然 斗瓶どりしずく大吟醸  

 菊池酒造

〒713-8121 岡山県倉敷市玉島阿賀崎1212
TEL 086-522-5145 FAX 086-522-5146

 

http://kikuchishuzo.co.jp/