逃げる・・。 | ExcomAdvisorのブログ

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本稿は私・平田幸治の個人の意見・見解等を綴ったものです。

  少し時間が経過したが、10月8日朝日新聞コラム【政治断簡】高橋純子・編集委員の記事の一部から、「・・わかってくれる『身内』さえ固めればそれでいいという、幅広い合意形成からの逃走宣言と受け取れる」。 (原文を読まれたい)

  この文は私には強い印象を持って映るものだ。

 

  国民世論の政策合意形成という政治プロセスに身内固め路線の安全という手法が「逃走」になっていると言えよう。 以下は高橋純子・編集委員の記事と直接関係はないが私の所感の一つを記したい。

 

  10月7日の親友の会見には一方周辺の背景も映り、これは「丁寧な説明」はリスクが高い、ということなのかともさえ思える。法定則を変化させていく過程で過去に起きていた事象かもしれない。だが、「疑惑の友情」はこれで終わりで納得するという世論ではなかろう。例えば、親友ならいくつかのハードルで親友に多くを支持できることがあったであろうとも考えられよう。

 

  少し視点を変えよう。国際政治においても政策決定に係る人間的要素は常に伴う。例えば、第二次世界大戦の終結に向かう過程の戦勝国なる国の会議合意にもそうした影響があったこと等を過去に恩師と語った。国内地方政治もリーダー同士が犬猿の仲で席も隣席を拒む例も聴いた記憶がある。

 

  今日と明日の人々の生活を負託されたリーダーが、政策を変える個別事案を周辺の忖度で政策合意形成をしそれを知らずに政策決定するのは不自然だろう。「驕りの証明」かもしれない。

 

  冒頭に高橋純子・朝日新聞編集委員の一文から引用した。『逃げる・・』の私の本稿の所感は、その世界は逃げることは捕まるまで解放されることはないのである。法定則の変化が意味するところを複合的に観たい。特に国民の世論形成を担うマスコミュニケーション機能の重要さを思う。

(ひらた こうじ)<了>

 

《参考》  

(政治断簡)逃走中なのか、挑戦中なのか 編集委員・高橋純子:朝日新聞デジタル 

https://www.asahi.com/articles/DA3S13714281.html