2017年12月20日は、先に本ブログに弔辞を記した故野津 喬さんのお別れの会だった。私にとっては結婚式を営んだ岡山国際ホテルが野津さんにはお別れの会場となった。全国から縁者約2,000人が集まり別れを捧げた。
その中に私の大学ゼミの同期生である佐賀の小原嘉文君がいた。私たちにとって野津さんは慶應義塾大学の先輩である。小原君にとっては野津さんは日本JC会頭職の先輩でもある。お別れの会の後にJR岡山駅までそれぞれ移動してコーヒーショップで2時間余り野津さんへの供養になろうか昔話を二人でした。
小原君は、野津さんが日本JC会頭のおりの一番若い委員長であり、そのとき佐賀を訪問した野津さんが小原君の名刺入れを認め自分の上等な名刺入れと交換してくださったと、野津さんからいただいたその今も所持する名刺入れを私に見せてくれた。
私の想い出は少しアカデミックな要素もあり文章が長くもなるので簡略にしたい。私が仕事でフィランソロピー(企業の社会的貢献)について研究していたころ、慶應・三田キャンパスに島田晴雄教授を訪問ご助言をいただきにお伺いして、最後に岡山での企業家からのヒアリングを勧められ、先生が推薦されたのが野津 喬さんだった。
このフィランソロピーに関する研究は、共同執筆者ととりまとめ総合研究開発機構(NIRA)に論文を提出し「地方シンクタンク年報」に掲載されている。
小原・平田の二人の話は想い出話にもわたった。慶應のゼミの指導教授の神谷不二教授とその友人でもあったTITの永井陽之助教
授という日本を代表する二人の国際政治学者のゼミで学べた小原・平田は真に幸運であった。小原君は神谷先生のご縁でジェラルド・
カーチス米コロンビア大学教授とさらにタフツ大学フレッチャースクール留学中にはエズラ・ボーゲル米ハーバード大学教授に知遇をえた。
二人の想い出話についてはまた稿を改めたい。(ひらた こうじ)<了>