「テレビっ子」である僕は、昔から家にいるときはだいたいテレビを見ていた。今でも熱心に視聴するかどうかは別として、常にテレビの画面はオンになっている。もっともしっかりと心して見るのはNHKの朝ドラと夜のニュースくらいである。

そんな僕がハマったドラマ番組は数少ないが、あるにはある。例えば『北の国から』であり、『夢千代日記』(『続 夢千代日記』『新 夢千代日記』を含む)である。

『夢千代日記』はその出だしから余部橋梁を渡るディーゼル急行が出てきて、目が釘付けになった。ドラマ中の音楽もどれも心に響いた。なにより人間模様、登場人物の心の描写の秀逸さに目を見張った。原作脚本の早坂暁は身を削りながら執筆していたと仄聞した。

↓ドラマ『夢千代日記』の冒頭シーン

↓『夢千代日記』をイメージして事後編集した画像(原板は山陰本線餘部〜鎧にて1986年撮影)

1986年から2年間の京都勤務では、余部橋梁での撮影に時折出かけた。晴れの余部橋梁も良いが、曇天の橋梁も『夢千代日記』を思わせるシーンを想起させ、満更でもなかった。余部橋梁には都合3回訪問した。マイカーで京都を夜に発ち、ひたすら国道9号を走るというパターンであった。余部橋梁が目に飛び込んでくると、眠気も吹っ飛ぶというものである。そんな中で、朝日を受けて橋梁を渡るブルートレイン出雲をペンタックス6×7で撮影した写真は会心の出来で、拙著『Excellent Railways -追憶の鉄路-』に収めた。

↓京都から夜を徹して車を転がしてきたというのに、あいにくの天気にテンションが下がった。(山陰本線鎧〜餘部/1986年)

↓翌年春(4月か5月)に訪れた際は天気に恵まれた。(山陰本線鎧〜餘部/1987年)

それからだいぶ年月が経ったミレニアムの頃、仕事の関係で、余部橋梁からさほど遠くない兵庫県美方郡村岡町(現 香美町)にしばしば出張することになった。村岡町は『夢千代日記』の舞台となった湯村温泉がある温泉町(当時)に隣接している。出張の際は、村岡町に適当な宿がなかったこともあり、湯村温泉の老舗旅館『井づつや』を定宿としていた。定宿といっても、一般客の泊まる部屋ではなく、ツアーバスのドライバーが泊まる部屋である。それでも僕は『夢千代日記』の舞台となった温泉街に泊まれるという、それだけで嬉しく、湯煙が立ち込める付近をよく散策したものだ。地元の人の話す言葉のイントネーションが夢千代日記のキャストと同じで、当たり前といえば当たり前なのだが、なんだか嬉しい気分に浸ったものだ。

それにしても村岡町といい湯村温泉といい、この地域一帯は山深いところで、清酒『香住鶴』の酒蔵や円山応挙の襖絵がある大乗寺(応挙寺)といった観光スポットもあるにはあるが、訪れる人はまばらだった。なにしろ頭上を見上げても目に入るのは山の緑と空の青だけ。過疎を絵に描いたような地域であった。

↑↓所用で2009年に美方郡香美町を訪れた際に帰路余部橋梁に立ち寄ってみた。新たなコンクリート橋梁の建設工事が始まっていた。

最後に当地を訪れたのは2011年の秋。ある葬儀に参列するため、但馬大仏で名高い長楽寺を訪れた。紅葉の盛りで山は燃えるような美しさであった。しかし、湯村温泉での泊まりなど許されようもなく、阪神淡路大震災の復旧復興に尽力された方のご冥福をお祈りしつつ、神戸空港からレンタカーを利用してのトンボ帰りを余儀なくされたのであった。

あれから久しい間当地を訪れていないが、きっと当時とあまり変わっていないだろうと思う。

↓余部橋梁への撮影に向かう際にたまたま見つけた木造校舎。メモには何も記されていないので、どこで撮影したのかはわからない。山陰本線からさほど離れていない兵庫県内だとは思うのだが…