1975年3月15日の午前中を幌内支線で過ごした僕らは、午後は幌内線(岩見沢〜幾春別間の本線)のD51を撮ろうと三笠駅に戻ってきた。そして、幾春別川沿いで写真を撮れる場所を探した。それが萱野方面だったのか、唐松方面だったのか、今となってはわからない。でも、朝岩見沢から三笠に向かう車中でロケハンしたはずなので、だとすると未知の唐松方面ではなく、萱野方面に向かったのではないかと思う。50年を経て朧げながら記憶にあるのは、雪が結構深くて歩くのに難儀したこと、キャラバンシューズに雪が染み込んで足元が冷たくなったことくらいである。そうして線路の対岸になんとか立ち位置を確保し、13:02に三笠に着く単5685レを曇り空の下で撮影した。
↓前回投稿にも掲げた時刻表を再掲する。
以下の写真はいずれも1975.3.15撮影。
↓単5685レは煙も音もなく突然現れたので慌ててシャッターを切った。手前を流れるのは幾春別川。(幌内線萱野〜三笠)
上の写真を撮って戻る途中、三笠駅構内を見下ろす小高い丘に大勢の同業者が陣取っているのが見えたので、僕らもその中に突っ込んでいった。
問題はその後の行程である。ネガには三笠を発車する2本の上り列車の写真が残されている。普通に考えれば、13:41発の5682レと16:27発の5692レである。しかし、5692レは日程上撮ることができないのである。なぜなら、その日は名寄駅前の旅館に泊まることになっていて、夕食までにチェックインしなければならない。5692レを撮ってから名寄に向かったのでは到着が遅すぎるである。
考えられるのは二つ。一つは、2本の列車はどちらも5682レで、1本目は編成組成中のもので、2本目が発車シーンというもの。もう一つは、2本目の列車は本来単5686レであるがなんらかの事情で貨物列車になったというもの。僕はなんとなく後者のような気がする(丘の上の撮影場所にはそれなりの時間滞在したように思う)のだが、確証はない。
いずれにしろ2本目の発車シーンを撮影した後、バスで岩見沢に向かった。岩見沢からは711系の急行カムイで旭川に行き、乗り換えて名寄に向かった。
↓これが問題の写真。5682レの編成組成中か発車シーンか判断に迷うところ。本文では後者と記したが、発車シーンにしては煙が違うような気もする…… なお、写真はかなりのトリミングをしている。(三笠)
北海道蒸機撮影行の一日目は幌内線でのわずか半日の滞在であったが、前回投稿でも記したように、僕には決して忘れえぬ光景となった。東京に帰ってからもあの産炭地、炭住街の佇まいが走馬灯のように脳裏を駆け巡るのであった。そして、数年後に大学生になった僕は、北海道滞在時に日程に空きが生じると迷わず産炭地である夕張地方を目指したのである。(終わり)




