1995年は春に海外赴任が予定されていて、既に語学研修も終え、あとは赴任を待つばかりの2月、毎年恒例の磐越西線電化区間を走る『SL磐梯・会津路号』を撮りに出かけた。2月2日(木)から5日(日)までの四日間という近年稀な長旅となった。

2月2日は朝(早朝とか明け方ではなく、普通の朝)自宅を出て東北自動車道を北上した。前年と同じパターンである。猪苗代ICで降りてゴム製のタイヤチェーンを装着しようと作業していたら、プラスチック製の取付治具が壊れてしまった。これがないと取付もままならないので、仕方なく郡山市内に戻り、代用品を購入する羽目になった。そんなわけで時間を大幅にロスしてしまい、翁島(信)〜更科間にある高森山近くの丘から俯瞰気味に撮ったカットしかものにできなかった。

↓ここは当時のお立ち台である。今はもう木々に邪魔されて写真を撮ることはできないだろう。(更科(信)〜翁島)

今回の宿は3泊とも磐梯熱海温泉にある信濃屋旅館。良心的な値段なのに充実したサービスでとても良かった。インターネットなどまだまだ一般的ではなかったこの当時、どうやってこの旅館を探し当てたのか覚えていないが、ともかく良い宿だった。たしか国道に面していたはずと、この稿を記すに当たりネットで探してみたが、ヒットしなかった。たぶん廃業したのだろう。後継者がいなくて廃業するのは農家だけでないのである。

この撮影行での装備は35ミリがニコンF4sとF3HP、これらはカラーリバーサル用。ペンタックス645がモノクロフィルム用だった。当時ブロニー版でモノクロ写真を撮るのが鉄ちゃんの間で流行っていた。35ミリ版カラーリバーサルの性能が飛躍的に向上し、被写界深度に難がある中判カメラで撮るより35ミリ機を使った方がメリットが大きい。他方で、ブロニーではきめ細かなモノクロ写真を得ようという考えが広まっていたのである。

 

3日(金)。今回の運転は郡山発着なので順光運転とはいかないが、今日は曇りなのであまり光線状態を気にしないですむのは不幸中の幸いである。前日急遽購入したゴム製のタイヤチェーンを夜のうちに装着したので、意気込んで現場に向かうも、路面には大した雪がない。それではと、追いかけをすることにした。

1箇所目は磐梯熱海〜中山宿間の国道から線路のある片築堤を見上げるポイント。続いては翁島〜更科(信)間の雪原で白煙を吐いて進むデゴイチを撮影した。更に追いかけることも十分可能だろうが、ここは安全第一、これにて往路の部を終了した。

↓築堤の上は早くから場所を確保している同業者で満員御礼状態だったので、下から見上げる形で撮影した。(磐梯熱海〜中山宿)

↓雪原を行くデコイチ。なにも特徴のないところでも、雪があると絵になる。(翁島〜更科(信))

復路は東長原〜磐梯町間のΩカーブの踏切から急勾配を登ってくるデゴイチを迎え撃つことにした。多くの人は横がちに撮れる場所に三脚を立てているが、僕は正面狙い。しかし、強風により裏目に出てしまった。

次は関戸〜上戸間のコンビニ付近の踏切でローアングルで列車を撮った。遮断機がどうにも邪魔で、苦肉の策である。

最後は磐梯熱海〜安子ヶ島間の踏切でカメラを構えた。このへんまでくると、雪は全くといってよいほどなく、枯れ草ばかりが目立つ。列車は煙なく軽々とやってきた。

↓Ωカーブを登ってくるデコイチを正面で捉えようとカメラをセットしたが、強風で煙が横に流れ、画面からはみ出してしまった。(東長原〜磐梯町)

↓平坦区間で煙が期待できないので、思い切ったローアングルで撮った。(川桁〜関戸)

↓郡山郊外の安子ヶ島には雪が全くなかった。斜光線を浴びて終点を目指すデコイチ。(磐梯熱海〜安子ヶ島)

なんか、今日の復路は踏切ばかりで撮っていて、我ながら芸がないなぁとは思うが、満足感はそれなりに得られた。

この日は大学鉄研時代からの友人とどこかで落ち合い、彼がかねて所望していた鉄道ビデオを渡すことにしていた。携帯電話などない時代、出会える保証はなかったが、幸運にも最初の撮影場所で彼を見つけた。(僕もそうだが)夫婦で参戦していた。しかし、ビデオは宿に置き忘れてしまっていたので、本日の撮影終了後に宿に来てもらい、無事に手渡すことができた。(続く)