前回の記事で、113系などの直流新性能近郊型電車に向けて「シャッターを切ったのは極めて稀である」と記した。東海道本線などでEF58を待っているときですら113系はほとんどといってよいくらい撮っていない。

しかし、同じ東海道本線でも関西方面にEF58を撮りに遠征したときなどは、首都圏に比べればかなり多く撮影しているようだ。やはり関西という異国!?の地では物珍しさも手伝って、113系といえども結構まめに撮っているという印象だ。

手元に残る撮影メモで一泊二日以上で関西方面に遠征した回数を調べてみると、1981年など5回を数えている。メインターゲットはあくまでEF58なのだが、ネガには113系の姿も残っている。

首都圏での113系を見慣れた者にとっては、阪和色や関西線快速色が新鮮に映った。湘南色でないだけで近郊型ではなく急行型に見えてしまうのが不思議だ。また、京阪神間の東海道本線で大目玉のクハが大手を振って運用に就いているのも嬉しかった。他方で、非冷房編成も多数残っていて、大都市圏であることを思えば貴重といえば貴重かもしれないが、まさに「乗るより撮る」であった。

↓伊吹山をバックに走るEF58を押さえておきたいと、年の瀬も押し迫った日の午後、各駅停車で東京を発ち、熱海・浜松で乗り継いで日付が変わる頃に米原に到着。そのまま駅待合室で過ごし、翌早朝柏原に降り立った。とても寒い朝だったが、おかげでくっきりとした伊吹山を拝むことができた。(東海道本線近江長岡〜柏原/1981.12.26)

↓最近では安土城からの俯瞰が人気らしいが、この頃はまだ開拓されていなかった。この場所は『鉄道ファン』誌に掲載されたEF58の写真に触発されて訪れたのだと思う。(東海道本線能登川〜安土/1981.10.13)

↑↓今では信じられないことであるが、東海道本線神足〜山崎間の撮影名所では犬走りで撮影することができた。通過する列車は警笛を鳴らすわけでなく、職員や警察が取り締まることもなかった。それだけ時代が緩かったということである。(東海道本線神足〜山崎/1981.10.13)

↓以前に投稿したとおり、紀勢本線へは最後まで残ったブルーの原型大窓機EF58 66号機を求めて何回か訪れた。この日、ようやく66号機と巡り合うことができた。(紀勢本線切目〜岩代/1981.12.27)

↓天王寺からEF58の牽く夜行普通列車『はやたま』に乗り、終点新宮まで行き、折り返して古座で下車した。静かな漁村の朝、阪和色の113系が通り過ぎていった。(紀勢本線古座〜紀伊田原/1981.4.10)

このような古い車両を使わざるを得ないというのはある意味経営の苦しさを象徴しているわけで、そういう関西圏だからこそ117系の登場は意外だった。117系は首都圏ではついぞ投入されなかったこともあり、輝きを放っていた。そういう117系の合間を縫って運用に就いていた113系は、最後の輝きを放っていたのかもしれない。

以下の3点はいずれも1986年8月に桜井線奈良〜王寺間を走った『SL大和路号』を回送も含めて撮りに出かけた際のものである。この撮影行では関西大手私鉄に勤務する友人の道案内で、とても効率的に撮影ポイントを回ることができた。(最初の2点はネガカラーゆえ劣化が著しいことをお許し願う。)

↓大和川の鉄橋を渡る113系。当時大和川は綾瀬川に次いで水質が悪いと言われていたが、上流に近いからかそんな感じはしなかった。(関西本線高井田〜河内堅上)

↓桜井線内を行く113系混色編成。この日はC56の牽く列車のほか、前後をDE10に挟まれた団臨も走るとあって、沿線は多くの鉄ちゃんで賑わった。(撮影場所不明)

↓営業運転が終わり、竜華に戻るC56回送列車を撮ろうと、地元では有名なお立ち台で待機した。(関西本線河内堅上〜高井田)

↓国鉄分割民営化が間近に迫る朝、朝練で天王山の麓を行く各種列車を片っ端から撮影した。(東海道本線島本〜高槻/撮影月日不明)