1999年に磐越西線でC57 180による『SLばんえつ物語号』が走り始めた頃は、好きなシゴナナの復活運転が嬉しくて頻繁に沿線に出かけていた。
営業運転が始まってすぐの大型連休に一泊二日で訪れた際、新津に帰り着いた下り列車から解放されて車庫に戻ってくるC57を撮ることを思いついた。既に多くの同業者が車庫の出入口近くで入庫を待ち構えていた。僕も一瞬そこに加わろうと思ったが、三脚を立てることができず手持ちで撮影せざるを得ないことに気づき、敷地外に三脚を据えて望遠レンズで狙うことにした。周囲が暗さを増した中でC57登場。夜間撮影となった。動態保存運転の線区が増えていくのは喜ばしかったのだが、夜景を撮ることができないという不満もあった。運転が日中の時間帯だし、夜間の機関区等基地への立入は認められていなかった。この日、敷地外からとはいえ、C57 180の夜景を撮れたことは大きな収穫であった。このときの訪問ではモノクロフィルムを使用した。次の訪問時にはリバーサルカラーで撮ろうと、5月29〜30日にまた一泊二日で出撃した。しかし、19時を過ぎても周囲はまだまだ明るく、夜景にはほど遠い状況であった。おまけに、C57が車庫に入るとすぐに扉が閉まってしまった。
↑↓敷地外から撮る立ち位置は定員が極めて少ないが、無事確保できた。ここだけでフィルム1本を消化した。ニコンF100にニッコール180mm、更にテレコンバーターをかまして撮影した。サードパーティのテレコンゆえ描写に難がある。(1999.5.1)
↑↓途中の道が渋滞していて新津到着が遅れたが、これから車庫内での作業が始まるところだった。ほんの数分間であったが、職員の手引きにより車庫内で撮影することができた。ニコンF100+ニッコール180mmで撮影。(1999.5.2)
日没が早くなる時期まで待つのももどかしく、8月7日に三たび新津を訪れた。新津〜会津若松間を往復したC57 180は新津到着後編成の入換を行う。キャブのナンバープレートを夕日に輝かせながら構内を走るC57を流し撮りすることはできたが、作業自体は19時過ぎに終わってしまい、またもや夜景は空振りとなった。
↑↓新津構内での入換のため転線を繰り返すC57を流し撮りした。この日は車庫内に入るのが早く、19時前には作業が終わってしまった。ニコンF100+ニッコール85mmで撮影。(1999.8.7)
こうなればもう意地である。リバーサルカラーで夜景が撮れるまで通うことにした。秋の気配が漂い始めた9月18日、4回目の新津訪問となった。この日は関西から日本海縦貫の『きたぐに』で遠征してきた古くからの友人と落ち合って終日列車を追いかけ、最後に新津に立ち寄った。僕としてはダメもとの気分であったが、敷地外から望遠レンズで撮影していると、職員が僕らのところまでやってきて、「今日は管理者がいないので中に入って撮ってもいい」と言いながら、立入禁止の柵をどけてくれた。現場にいるのは二人だけ。喜び勇んで車庫の中に入り、プラナー80mmを付けたハッセルブラッドまで動員して、思う存分撮らせてもらった。実はこのハッセル、中古だが9月始めに導入したばかり。ハッセルを見た職員氏がプロと勘違いしたのかもしれない。ハッセルの霊験あらたかである。
↑↓まずは陸橋下で撮影してから、三脚にハッセルを取りけたまま車庫前に移動した。ハッセルブラッド500C/M+プラナー80mm(1999.9.18)
これに味を占めた僕は、1週間後の9月25日、またまた新津にやってきた。今度は単独行である。前回が恵まれ過ぎていたので、今回は多くを期待していなかった。空振りならそれでもいいやという心境であった。この日も車庫前には僕ひとり。C57が車庫に入ったところで現場責任者と思しき職員に撮影許可を求めたら承諾してくれた。車庫に入り、無我夢中で撮影に没頭したことは言うまでもない。ハッセルはまるで通行手形のようだと思った。
↑↓新津の車庫前は営業運転開始当初は多くの同業者が押しかけたが、この頃になると見向きもされなくなっていた。ここに立ち寄ると帰宅が遅れるので日曜日に訪れることはせず、一日目の土曜日に訪れることにしていた。ハッセルブラッド500C/M+ゾナー150mm(1999.9.25)
2週連続の夜間撮影にすっかり満足した僕は「これで卒業!」とばかりに、以後は夜の新津を訪れることはなかった。
あれから四半世紀あまりが過ぎた。昨今ではこの手の撮影には超高額のフィーを払わなければならない。そう思うと、あのときのことがとても懐かしく思い出されるのである。









