今年一年お世話になりました
一日早いですがご挨拶です

今年は忘れてしまいたいたいことの方が多かったような印象です
方々から受けた心の傷はまだ癒されていないのですね

しかし、忘れられないことも沢山ありました
胸の内は時々日記に記憶として記している通りです

1月は沖縄に2度、旅にでました
あんなに北海道に行っていたのに…
と、思う程お気に入りの場所になりました
2回目の旅では辺戸岬まで行き、心の洗濯ができました
また、心がくすんで来たので行きたいところです

と、全部の月を振り返るとぐったりする内容が出て来るので…割愛

3月は東日本大震災により日本が揺らぎました
揺れが大きく本当に驚きました
仕事中の地震でした
夫とはしばらく連絡がつかず焦りました
聞けば、静岡出張だったとのこと
静岡では関東のライフラインストップの情報は一切入らず
新幹線が止まったので駅の寿司屋で食事していたそうです
わたしの切羽詰まった電話とメールで惨状を知るのでした
静岡から新幹線で新横浜までなんとか到着したものの
横浜アリーナの避難所など何カ所も断られて、歩いて移動中
東横線が動いたのを確認し渋谷へ出て何とか帰宅
地震発生から23時過ぎまで停電だった我が家(マンション)も復旧し
夫が帰宅した時には温かい簡単な食事を提供しました
絶対、家に帰る!疲れているけど、強い気持ちが出たと語った
会津の両親とは割とすぐ連絡がついたと記憶しています

過剰な買い物はせずに必要な物だけを揃えました
計画停電が夕方から夜になる時は朝から用意して出掛けました
追い込まれると効率的な知恵が出て来ることに驚きました

しかし、実家の壁が崩れたりと心配は尽きません
まだ去年の交通事故の後遺症が抜けていない母を案じていました
祖父も生きていて帰省介護していた叔母は帰宅難民でした

従姉の子は学校から帰る時で屋外で自転車に乗る所で
コンビニ店員があまりにも見るのでとっさに
制服のファスナーを確認したとオオボケ
しかしその頭上に電信柱がたわわに揺れていたというのです

役所勤めの叔父は避難者対応の長に任命され怒涛の日々です

6月祖父が亡くなりました
朝8時頃、父から軽い感じの電話でした
自宅で亡くなり警察の鑑識やらでした
その日は約束があり、何故か約束優先に考えてました
家事を済ませ千葉の叔母夫婦と一路会津へ
葬儀屋の弟が手際良く段取りをしていました
肉親を亡くす辛さ寂しさを痛感しました
従妹と従姉の子がそれぞれ妊婦で自分のことのように嬉しかった
従妹は11月末に男児を出産

今年はシフォンケーキをマスターしました
諒太郎氏が食べたい!と言ったのをきっかけに沢山焼きました
食べたい人がいましたら、ご予約受け付けています

神宮にも皆勤賞です
月曜日具合悪い人って印象も付いていると思われます
しかし、そんなのどうでも良いです
仕事はわたしが休んでも回ると思うし非常勤職員だし
悪い大人ですみません
少しでも多く、彼らの姿を見ていたかったのです

立教、法政、東大、慶應の応援席で一喜一憂しました
東大の応援にはホントに癒されました
エールに行っていた過言ではありませぬ
若いみんなの底力には頭が下がる思いです
今年の代はどこの学校も素晴らしい幹部で
わたしの思い入れも今までと違います
諒太郎氏の友達は未来の日本の宝だと思っています

みんな、ありがとう
これからも愛を注ぎますよ

冒頭に忘れたいことが多いと書きましたが
やっぱり、忘れられない一年となりました

来年もどうぞよろしくお願い致します