「折り目正しく、感謝を忘れず生きていれば何事も上手くいくはず、そうでないのはまだ不十分から」
と思っていた時期がありました
見える世界も
見えない世界も大変で
そこに振り回されたくないという思いから実践しようとするも思う通りにはならない

思う通りにならないということはその理論が間違っているからだと気づくことができればハッピーだったのですが私が得たのは絶望

小学校が修道院付きのカトリックだったこともあり、本気で修道女を考えていたこともありました
実際は親の反対で洗礼受けさせて貰えなかったので自分でできる範囲のことをしてはみるものの
滝行や読経といった修行をしても無理
得度を受ければ楽になるのか
はたまた
自分の知らない宗教や哲学の中に答えがあるのかとても苦しい時代でした
私がそのとき選んだ選択肢は
「とじる」
それによる副作用(?)の回復が大変だったので決していい選択だったと思えないですがその時期を乗り越える必要な過程だったと今は思います
のちのちこれが
「最善の選択だった」
と言えるといいな

私は途中で挫折した「折り目正しく生きる」ですが
折り目正しく感謝を忘れず生きていると無難には生きれるけれどトラブルには普通に巻き込まれる

交通事故と同じような感じ
大事にならないよう手を打つこともできるけれどそれも甘んじて受けとるべきなんだろうな…と、今は理解
そういえば
そういった恨みを受けて靭帯切ったんだっけと思い出していました
そこまでの覚悟をもってやらなかった安易な私に問題はあるのですが

その靭帯の件然り
なぜ巻き込まれるかは個別になりますが理屈はあるように思います
暴走運転はよくないですが
自分の意思と譲り合い、感謝はとても大事
その中で発生した事故にはちゃんと意味がある
それを都度考えることが大切ではないかと思います