東日本大震災のとき、私は小学生。

ちょうどそのころは仙台の中心部に住んでいたため、大した被害を受けることはありませんでした。

 

震災から少し時間が経った頃の学校での話です。

 

担任の先生は授業中に私たちに問いかけました。

津波で被災した工場から流れてきた缶ジュースが落ちていたらどうするか。

 

私は今でも正解はわかりません。

 

幼い私は津波でドロドロになった缶ジュースなんて売り物にならないし、もったいないからありがたく頂戴すればいいじゃんと思いました。

 

担任の先生は拾って飲む人間をひどく軽蔑していました。

盗みを働いていることと同じだと。

ああ、私は間違っているのかとショックを受けながら友達と帰路につきました。

 

その友達は被災した地域からの転校生で、幼稚園の時の親友です。

久しぶりに再会し、家も近くに引っ越してきたのでたまに一緒に帰っていました。

 

その友達は言いました。

流れてきたジュースのおかげで助かったから、担任の先生の言葉が悲しかった。

 

その子は震災のときに上記の授業中に出てきた被災した工場の近くに住んでいたため、自分が責められているように感じたのでしょう。私はどう慰めたか覚えていません。しかし、流れてきた缶ジュースを飲み、生きることを諦めなかったことを否定したくありません。

というかたとえ泥棒のカルマになったとしても私も飲む選択をします。

生きて、工場の会社に感謝と謝罪を伝えます。

(さすがにこういった事例ではカルマにならないとは思いますが)

 

「好死は悪活に如かず」

潔い死に方をするよりも、悪あがきをしても生きていたほうが良い。

どんなに潔かろうが生きることを諦めたくありません。

 

大きな地震があってもインフラが数日で回復するようなところにぬくぬくと住んでいる人間が、被災した方々のその日を生きる努力を揶揄していいはずがないんです。

 

被災し、極限状態のときに缶ジュースが流れてきたらあなたはどうしますか?



泥棒のカルマとは↓