先日の私の記事でエマさんにいただいた反応で、

初めて自分の腹黒さに気が付きました。

無意識だった、むしろ楽しんでいた思考が黒いということに

それもそうかと思うと同時にショックを受けました。

 

 

 

このショックってなんだろと考えると、無自覚な自分に裏切られた

という感覚でしょうかね。

 

無意識にやっていたことが、他人に影響を与える”黒さ”だったと知って、

私はもっとまっとうな人間だと思ってたのにという自己イメージの崩壊、

数手先を読む楽しさが他人を動かすゲームになってて、

それに快を感じていた。それが悪意と結びついたから、

今まで生きてきて考えてきたことが、全部薄汚れたものに思えて吐き気がする、

私は物事を深く考えていると思ってた。けど”人”が見えてなかった。

よく見えてるつもりで根幹の部分が見えてなかった、

その盲点の大きさに恐怖を感じる。

掘り下げるとこんな思いです。

 

今のところただの自己否定で、ショックという言葉のオブラートで

遠回りに被害者意識だったのですが、

いいかげん被害者意識でいるのも何にも進まないので...

 

 

反省その1

自分の感覚、視点を標準だと思い込んでいた

 

 

「自分ならこうする」というのはただの主観、

「なぜ相手はそうしないのか」と思った時点で、相手を下に見ていた。

 

この自他境界線があいまいだった結果、相手の知識、思考を無視して自分基準でジャッジしていた。

そのうえそれに気づかず、「えっ」っていうショックを受けて、勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に傷ついているだけ。

反省その2

悪意が無かったと知った時のショック

 

 

本来安心すべき場面であるはずなのに、戸惑ったのは、自分の中に人は悪意で動くという前提があるから。

自分は被害者であるという意識に基づいて世界を見てた。

だから相手に悪意が無かったことに衝撃を受ける。受け入れるのが遅れる。

気付きに感謝されても、自分が悪者みたいな感覚を受ける。

そして、相手の内面はわたっしの理解の延長上にあるという思い込み、つまり自他境界線の消失。

反省その3

私は相手のことを考えていたという自己正当化

 

 

相手の成長のため、気づかせたい、あれを伝えなければもっとまずかった。

この思いは本当に相手のためだったのか?

結果的に相手の気付きとなったとしても、動機の根っこには自分の正しさを証明したい欲が無かったか?

優しさでも正義でもない。ただの自己保身と自己顕示のために関与していただけである。