あれは、今年の9月13日のことでした、
『赤毛のアン』の公演の営業で、茨城県のある会館を訪問していた。
応対してくださったのは、その会館の事務局長だった。
そして、尋ねられた 「なぜ? 今、 赤毛のアン なのかねぇ」 と。
もちろん、自分としての“思い”は、言い尽くせないほどに沢山ある。
でも、それらの“思い”は皆、営業トークのように、
日頃から忙しくされている皆さまに、短い時間で、ご理解いただけるよう
カンタンに標語のように簡略化した言葉を並べるように話すことはできない
性質のまったく違う内容のもの。
また、自分としては、こう思うという“思い”は、あっても、
人それぞれであっていい。 人それぞれであることをお互いに認め合う必要のある尊いもの。
そう。 自分としては、こう思う。 という“思い”は、あっても、決して押し付けてはならないもの。
ご提供する舞台を実際に観ていただいて、皆それそれが主体的に“感じて”もらえればいい、
自分とは真逆の感想を持たれる人がおられることだって当然あっていい、
皆それぞれの感じ方が違っていていい、それを認め合うことこそが尊いこと。
自分の“思い”を大切にすることと同様に、他の人たちの“思い”も大切にする。
そのことの大切さをお伝えしたいがために、『赤毛のアン』をご案内している。
まだ、NHKが朝の連続テレビ小説『花子とアン』を放送中だった。
事務局長からは、
「ただ、NHKが朝ドラでやっているから、話題性があるから、だけならば、放送が終われば、それは一過性のもので、多くの人たちの関心は、次の話題に移っていくものだから、来年の演目としてエントリーするつもりはない。今の時代、サイクルは早いよ・・・・」
そして、こう続けられた 「ただ、他の理由があるのなら、考えてみてもいい」 と。
『赤毛のアン』という舞台を営業している自分に問いかけられた、逃げることは許されぬ場面だった。
自分という存在が試されている。そう感じたのでした。
実際に、開催を決定してくれる会館がなければ、
実際に、会場に足を運んでくださるお客様がいなければ、舞台は成り立たないのだ。
だから、私も、今、いち営業マンとして、思いのままに“表現”いたします。
今年、史上最年少、17歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイさん
彼女のスピーチにもあるように、世界では、5700万人もの教育を受けられない子どもたちが、
今、この瞬間に存在しています。 きっと、この統計よりも、もっと多い人数の子どもたちが、
日本という国に住む私たちが当たり前のように受けている教育を受けられない環境にある。
「なぜ、銃を渡すことは、とても簡単なのに、本を渡すのは、こんなにも難しいのか」
「なぜ、戦車を造ることは、極めて簡単なのに、学校を建てることは、こんなにも困難なのか」
アン・シャーリーは、心から喜びます。
帰る「家」があることを。 自分を見守ってくれる「家族」がいてくれることを。
「学校」に行けることを。 「お祈り」ができることを。
「腹心の友」と出逢えたことを。 プリンスエドワード島という素晴らしい「自然」と共に暮らせることを。
アン・シャーリーは、心から喜びました。
当初、アン・シャーリーを孤児院から引き取ることになった、マシュウ(兄)とマリラ(妹)の
老兄妹は、自分たちの野良仕事を手伝ってくれる10歳か11歳の男の子を孤児院に頼んだのです。
そう、子どもを労働力としてアテにして、引き取ろうと考えていたのです。
それが、なぜか、間違って、女の子がやってきてしまうのです。
当然、孤児院に送り返そうとします。 でも、、、、引き受けることに決めるのです。
それを変えたのは、それを引き寄せたのは、アン・シャーリーの強い“思い”、イマジネーションのもつチカラでした。
先日、杉浦太陽さんのブログに、「育児は育自」という言葉がありました。
まさに、アン・シャーリーとの生活の中で、マシュウとマリラの老兄妹は、たくさんの恩恵(ギフト)を受け取ります。
人と話すことが苦手な、気難しいマシュウが、なぜかアン・シャーリーとは、気心が通じ合います。
そして、いつしか、マリラも、、、、
アンは、イマジネーションの世界では自由気ままだったけど、自分の容姿には自信が持てなかった。 赤毛も、そばかすだらけの顔も、やせっぽっちの体型も、みんなみんなイヤだった。
そんな自己嫌悪の自分、そんな不自由な境遇におかれている自分が、唯一、自由になれたのが、唯一、気持ちを穏やかにすることができたのが、想像の翼を広げることだったのです。
神様は、私たちを不幸にしようとは、思っていません。
でも、神様が幸せにしてくださるわけではないんです。
今、目の前に幸せは、すでにあるんです。
それが、あたかも不幸なことに見えるなら、そう思えるなら、
それを変えることが、できるんです。 Yes we can!
私たちには、できるんです!! それらを変えることが!!
『花子とアン』の放送中、そのあとの番組に「あさイチ」 という番組があります。
V6のいのっちと有働アナが毎回、朝ドラを視聴者と一緒に観ていてコメントすることが人気の番組ですが、その番組の中で、NHKの柳澤秀夫解説委員が、ある回のときにこんなことをおっしゃっておられました。
「NHKの朝ドラ史上、これほどまでに明確に【反戦】を訴えたことはなかったと思います」 と。
そうおしゃってました。
今、ニッポンが本当に平和であるのなら、このように【反戦】を訴える必要があるでしょうか。
今、まさに、危うい状況に、知らず知らずのうちになってきているのではないでしょうか。
そういう懸念が、そういう心配が、ある中で、
あえて【反戦】をテーマにしつつも、それは根底に据えるだけにとどめて、『花子とアン』の脚本を書き綴った中園ミホさんに最大級の賛辞を送ります。
このことを締め括りとして、私が、今、なぜ? 赤毛のアンを皆さんにお届けしたいのかの
“思い”を表現して=回答とさせていただきます。
【今、私たちの目の前にある、当たり前のものが、当たり前であることが幸せなことなのです】
【もしも、不幸な状況にあるのならば、私たちには、それを変えていくことができるチカラがある】
だから、今、舞台『赤毛のアン』を是非、観に来て欲しいと、そう願っております。
12月20日(土)14時開演
ハーモニーホール座間 大ホール
小田急線「相武台前」駅下車徒歩15分
料金は、前売り2000円 当日2500円
チケットのお申込みは、3通り
ハーモニーホール座間にて、046-255-1100
チケットぴあ にて、 http://ticket.pia.jp/pia/event.do?eventCd=1447770
日本芸術学館ホームページにて、http://www.gakkan.biz/ticket/index.html
『赤毛のアン』の公演の営業で、茨城県のある会館を訪問していた。
応対してくださったのは、その会館の事務局長だった。
そして、尋ねられた 「なぜ? 今、 赤毛のアン なのかねぇ」 と。
もちろん、自分としての“思い”は、言い尽くせないほどに沢山ある。
でも、それらの“思い”は皆、営業トークのように、
日頃から忙しくされている皆さまに、短い時間で、ご理解いただけるよう
カンタンに標語のように簡略化した言葉を並べるように話すことはできない
性質のまったく違う内容のもの。
また、自分としては、こう思うという“思い”は、あっても、
人それぞれであっていい。 人それぞれであることをお互いに認め合う必要のある尊いもの。
そう。 自分としては、こう思う。 という“思い”は、あっても、決して押し付けてはならないもの。
ご提供する舞台を実際に観ていただいて、皆それそれが主体的に“感じて”もらえればいい、
自分とは真逆の感想を持たれる人がおられることだって当然あっていい、
皆それぞれの感じ方が違っていていい、それを認め合うことこそが尊いこと。
自分の“思い”を大切にすることと同様に、他の人たちの“思い”も大切にする。
そのことの大切さをお伝えしたいがために、『赤毛のアン』をご案内している。
まだ、NHKが朝の連続テレビ小説『花子とアン』を放送中だった。
事務局長からは、
「ただ、NHKが朝ドラでやっているから、話題性があるから、だけならば、放送が終われば、それは一過性のもので、多くの人たちの関心は、次の話題に移っていくものだから、来年の演目としてエントリーするつもりはない。今の時代、サイクルは早いよ・・・・」
そして、こう続けられた 「ただ、他の理由があるのなら、考えてみてもいい」 と。
『赤毛のアン』という舞台を営業している自分に問いかけられた、逃げることは許されぬ場面だった。
自分という存在が試されている。そう感じたのでした。
実際に、開催を決定してくれる会館がなければ、
実際に、会場に足を運んでくださるお客様がいなければ、舞台は成り立たないのだ。
だから、私も、今、いち営業マンとして、思いのままに“表現”いたします。
今年、史上最年少、17歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイさん
彼女のスピーチにもあるように、世界では、5700万人もの教育を受けられない子どもたちが、
今、この瞬間に存在しています。 きっと、この統計よりも、もっと多い人数の子どもたちが、
日本という国に住む私たちが当たり前のように受けている教育を受けられない環境にある。
「なぜ、銃を渡すことは、とても簡単なのに、本を渡すのは、こんなにも難しいのか」
「なぜ、戦車を造ることは、極めて簡単なのに、学校を建てることは、こんなにも困難なのか」
アン・シャーリーは、心から喜びます。
帰る「家」があることを。 自分を見守ってくれる「家族」がいてくれることを。
「学校」に行けることを。 「お祈り」ができることを。
「腹心の友」と出逢えたことを。 プリンスエドワード島という素晴らしい「自然」と共に暮らせることを。
アン・シャーリーは、心から喜びました。
当初、アン・シャーリーを孤児院から引き取ることになった、マシュウ(兄)とマリラ(妹)の
老兄妹は、自分たちの野良仕事を手伝ってくれる10歳か11歳の男の子を孤児院に頼んだのです。
そう、子どもを労働力としてアテにして、引き取ろうと考えていたのです。
それが、なぜか、間違って、女の子がやってきてしまうのです。
当然、孤児院に送り返そうとします。 でも、、、、引き受けることに決めるのです。
それを変えたのは、それを引き寄せたのは、アン・シャーリーの強い“思い”、イマジネーションのもつチカラでした。
先日、杉浦太陽さんのブログに、「育児は育自」という言葉がありました。
まさに、アン・シャーリーとの生活の中で、マシュウとマリラの老兄妹は、たくさんの恩恵(ギフト)を受け取ります。
人と話すことが苦手な、気難しいマシュウが、なぜかアン・シャーリーとは、気心が通じ合います。
そして、いつしか、マリラも、、、、
アンは、イマジネーションの世界では自由気ままだったけど、自分の容姿には自信が持てなかった。 赤毛も、そばかすだらけの顔も、やせっぽっちの体型も、みんなみんなイヤだった。
そんな自己嫌悪の自分、そんな不自由な境遇におかれている自分が、唯一、自由になれたのが、唯一、気持ちを穏やかにすることができたのが、想像の翼を広げることだったのです。
神様は、私たちを不幸にしようとは、思っていません。
でも、神様が幸せにしてくださるわけではないんです。
今、目の前に幸せは、すでにあるんです。
それが、あたかも不幸なことに見えるなら、そう思えるなら、
それを変えることが、できるんです。 Yes we can!
私たちには、できるんです!! それらを変えることが!!
『花子とアン』の放送中、そのあとの番組に「あさイチ」 という番組があります。
V6のいのっちと有働アナが毎回、朝ドラを視聴者と一緒に観ていてコメントすることが人気の番組ですが、その番組の中で、NHKの柳澤秀夫解説委員が、ある回のときにこんなことをおっしゃっておられました。
「NHKの朝ドラ史上、これほどまでに明確に【反戦】を訴えたことはなかったと思います」 と。
そうおしゃってました。
今、ニッポンが本当に平和であるのなら、このように【反戦】を訴える必要があるでしょうか。
今、まさに、危うい状況に、知らず知らずのうちになってきているのではないでしょうか。
そういう懸念が、そういう心配が、ある中で、
あえて【反戦】をテーマにしつつも、それは根底に据えるだけにとどめて、『花子とアン』の脚本を書き綴った中園ミホさんに最大級の賛辞を送ります。
このことを締め括りとして、私が、今、なぜ? 赤毛のアンを皆さんにお届けしたいのかの
“思い”を表現して=回答とさせていただきます。
【今、私たちの目の前にある、当たり前のものが、当たり前であることが幸せなことなのです】
【もしも、不幸な状況にあるのならば、私たちには、それを変えていくことができるチカラがある】
だから、今、舞台『赤毛のアン』を是非、観に来て欲しいと、そう願っております。
12月20日(土)14時開演
ハーモニーホール座間 大ホール
小田急線「相武台前」駅下車徒歩15分
料金は、前売り2000円 当日2500円
チケットのお申込みは、3通り
ハーモニーホール座間にて、046-255-1100
チケットぴあ にて、 http://
日本芸術学館ホームページにて、http://