80年代の大本は盛んに活動していた。

自衛隊 富士学校では将来の有能な幹部となるために懸命に勉学に励んだ。


ある日、自由行動が出来る1日があった。


大本は、水筒だけを持って、富士の裾野を100km歩く、それは実に爽快な出来事だった。
また、そのことは、自分というものを信頼する証となった。
富士の裾野は緑豊かなところであり、また峻厳な不可侵の聖域である。
大本にとっていのちのすごさを体感するいい経験であった。


100kmを1日で踏破する試みに挑戦しながら大本は考える、日本とは? 祖国の姿とは?

そこで、腹は決まったというべきだろう。

「どのような『汚れ仕事』もやり遂げる、それは祖国のためになるだろう」

その決断は後の大本の行動の運命を決める大きな分岐点だった。




14特科隊 第14高射特科中隊 松山駐屯地業務隊松山駐屯


大本二尉は82年に松山駐屯地に広報担当として赴任した。

当時の中隊長赤岡が便時を図った。


大本は「広報」の任務で全国を回る。


後のオウムサリン事件でサティアンに突入した自衛官 池田整治(元、自衛隊小平学校人事部長 退官時陸将補)とは、空手の関係で懇意となった。


ある日、東京での実業団空手大会、池田と大本は試合を見ながら話をした

「あそこは仕掛けてきますか」

「あるでしょう」

「今後のアメリカの法案如何です」

「その法案とは」

「規制緩和です」

「なんですか」

「彼らがアメリカの中流階級に住宅を売りつけることが出来る法案です」

「どういうことですか」

「一口に言って、住宅ローンを債権証書に変える手品です、その証券はCDOという詐欺の紙でしょう

「その詐欺はどのように利用されるのですか」

「格付け会社は彼らの配下にあります、おそらくAAAをつけたリーマンなどがその詐欺を実行するでしょう」

「するとどうなるのですか」

「アメリカの中流家庭の半数が破産するでしょう、つまり、普通のアメリカ人の生血を吸うのです」

「レーガン・ブッシュは彼らの側ですから」


その後、その仕組まれた構造により、サブプライム問題で世界恐慌が起きたのは当然であった。
室本は環状線の車内にあった。

23年5月23日 午後

阪和線沿線に構築した旧住宅公団のアジトから偽変して出てきていた。

くたびれたサラリーマン風で、つまらないバッグを持っていた。

昨夜、飛ばしの携帯にメールが届いた。

発信人不明のそれは  19・キキ c・Arthur Rimbaud, ZA  というものだ


キタの有名ホテルの書店のフランス文学を置いているコーナーでシナの「ぼう」が19時待っているということだった。

キタで人目に立たないのはくたびれたサラリーマンである。

目印はZAつまり本末転倒 たとえば傘を反対に持つ、あるいは本を反対に持つなど・・・

室本は30分前にその書店に到着した、尾行は何度も振り切った。

そのホテルの花店で買った薔薇を一輪携えていた、それだけではなはだしく異様である。
しかし、それだけの価値はあるだろう、C とはシナ人協力者のあることだから。



時間どうりそのコーナーには何の変哲も無い若い女がいた、室本に目配せをしてくる、彼は花をさかさまにして見せた。 彼女は何気なく近寄り、封筒を手渡す。そして去っていった。


アジトでその封筒を見た大本(室本は偽名・偽変したときに使うID)は驚愕した、渡されたSDカードにはシナの工作員の情報が映像で50枚に及んでいた。

さらには国会議員の中でシナに取り込まれた者の情報。


深刻な事態だった。 


田中角栄はシナとの国交を回復した総理だがその直系がリストにある、自民・民主を問わない

さらに、大本には辛い報告があった、「ぼう」として使っていたシナ人留学生で、日本に定住した王の失踪であった。 王は特費留学生として立命館大学に来たのだが、広州の家族に仕送りするために、大本の情報源となり、シナ人社会の動向を伝えていたのだ。かれは、若いとき出世のために共産党員となり、日本に来てからは、せっせと蓄財をしていた。


ある日、王の経営するシナ料理店で大本に笑いながら言ったことがある

「社長、わたしはお金です、共産党には何の義理もありません」

大本は、それは本当の気持ちだろうと思った。



しかし、王は繁盛している店を放棄して行方をくらました、これは差し迫った事態だと大本は思う。

何かが起きる予感を感じて、ブンド宛のメールを作成した

12・羽・モン C 80000

近江八幡の羽がつくとあるところでシナ関係の重要なお話、12時という意味だった