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ロスジェネ脱線学 #19 夜明け前の駅ホームで考えたこと

 

夜明け前の駅ホームで考えたこと
始発を待つ背中の温度

私は1974年生まれだ。
「朝が来る」という感覚を、安心より先に疲労で受け取る人生だった。

夜明け前の駅ホーム。
まだ空は灰色で、風は少しだけ冬の匂いを残している。
始発を待つ人たちは、みな声を出さない。
スマホを見る者、目を閉じる者、ただ線路を見つめる者。
ここには肩書きも評価もない。あるのは、今日を迎える準備だけだ。

 

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子どもの頃、電車は冒険だった。
用賀からどこへでも行ける未来の箱。
吊革につかまり、流れる景色を見ているだけで、世界が広がる気がした。

だが大人になると、電車は「移動手段」になる。
行きたくない場所へも、行かねばならない場所へも運ぶ。
夢を運ぶ箱は、いつしか生活を運ぶ箱に変わった。

就職氷河期の頃、私は何度も始発に乗った。
夜通し働き、終電を逃し、ホームで夜を越えた。
未来が見えないまま、ただ「次の電車」を待つ。
あの時間は、まるで人生の縮図だった。

 

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50代になった今も、駅ホームの匂いは身体に残っている。
介護、仕事、雑務。
夜が終わり、また朝が始まる。
休んだ気がしないまま、新しい一日が押し寄せる。

それでも、始発のホームに立つと、
不思議と「まだ大丈夫だ」と思える瞬間がある。
誰も称賛しない。誰も責めない。
ただ、電車が来て、ドアが開き、人が乗る。
世界は壊れていない。その事実だけが、少しだけ救いになる。

ロスジェネの人生は、始発待ちに似ている。
本当は夜のうちに解決したかった。
でも終電はもう行ってしまった。
だから、ただ待つ。次が来るまで待つ。

それは諦めではない。
生き延びるための知恵だ。

夜明け前の駅ホームで、私は何度も自分に言った。
「今日も乗れ。それだけでいい」と。

そして今も、乗り続けている。
寄り道しながら、脱線しながら、
それでも次の電車に乗る。

ロスジェネの朝は、まだ続く。

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