世界選手権フィギュアの高橋選手、素晴らしかったですね。

やはり選曲もいいし、あの「道」という映画の本質が凝縮されていて、涙が出ました。

フェリーニの映画は難しくて、だいたい途中で投げてしまうんですが、「道」は見やすくて唯一最後まで見て泣いた覚えがあります。

道化師が懸命に生きて、最後にそんな日々を思い出す、という。人生は必死で、だから可笑しいし、哀しい。
ニーノ・ロータのテーマ曲は起伏があって、エンディングは涙を誘います。バンクーバーでも、少し転んだけど僕の中では感動させてくれたので、金メダルあげたかったです。
靭帯損傷という逆境を懸命に乗り越えた高橋選手にもきっと、哀しみや喜びの沢山詰まった「道」があり、そんなすべてが凝縮された演技でした。

僕はフィギュアもダンスもまるでわからないけど、深く揺さぶられました。「これが僕の人生なんだ」というのが溢れて、もう勝ち負けは越えたところにいるように感じました。トリノ金の荒川さんもそうでしたが、勝つことに苦しんで、そこから突き抜けるまで苦しんだ者だけが、勝敗を越えて達観出来る境地が確かにあり、そんな人が勝つんですよね。

なんでもそうですね、きっと。楽しては何も得られない。苦しいからこそ、わかること、笑えることがある。

いいものを見せてもらいました。
マクドナルドのフィレオフィッシュは、ホキという深海魚を使っている、そうな。わたくし、スケソウダラかと思っておりました。

クーリエ・ジャポンという雑誌は、毎年この時期に「世界の食糧争奪戦」という特集を組みます。
ホキみたいな深海魚でも、乱獲で激減している、と。人間のどん欲さってスゴい。
まあその分なんでも食べるから、食べずに廃棄しないかぎりは、食欲=悪みたいに糾弾するのはどうなのざんしょ。(日本人は加工食をつくるぶん廃棄が多いそうなので、それは問題だと思います。)

毎年度末の同じ時期にということで、タイソンフーズとか食品メジャーが製品高騰を狙って書かせているんじゃないか?と勘ぐってしまうけど、人口の増加もあって食べる機会が減る食材も実際あるようですね。

漁獲制限されるクロマグロは滅多にたべられない・・ってそんなもん今も食べてないからなあ・・・
寿司は回転寿しで十分満足しちゃう舌のレベルなのであります。

半年前、くら寿司に入ったら100円なのにおいしくて、ちょっとショック受けました。格好つける必要なかったのね・・・。
以来いろいろ試した結果、「くら」以外にも「スシロー」や「大起水産」は、100円レベルにないおいしさと知りました。あ、100円ではないですが「握り長次郎」の赤貝とえんがわは、回る寿司のレベルを完全に越えていると思います。

先週はひさしぶりに洋食屋さんに行きました。大阪南船場の「草葉」というところで、雨にもかかわらずものすごい行列ができていましたが、並ぶ価値はありました。

牡蠣フライが、大粒の的矢カキ2粒をひっくるめて一つに揚げていて、それが6つも。
デミグラスハンバーグも食べましたが、デミは少し苦めの渋い味わいで、ハンバーグは谷町6丁目の「もなみ」や桂の「山中」に負けてない甘さ柔らかさでした。

(下戸なので、その分食事に行くと片っ端から頼んでしまいます。
特にカレー・ラーメン・デミグラスは趣味がわかれると思うので、薦められて行ったら「あれ?」みたいなことが結構ありますよね。洋食屋にはカレー・デミ・オムライス・海老フライなど全部あるので、一応全部確かめなければならないのであります。)

「草葉」は、おんとし74歳の上品なご兄弟が座って(!)調理、これまた上品な奥様がお給仕してくださる、という素敵な店でした。

京都でも他にいろいろあるとは思いますが、3年前まで河原町仏光寺に「寿々喜」という店があって、ビル地下の小さなお店ながら味も接客も最高で、一時通いつめていました。なのに去年、ひさしぶりに行ったら、ビル自体がマンションに建てかわっていたのです・・・どうなったんだろう、あれだけのスタッフ、どこかでまだやってるはず。

(卵サンドで有名な「コロナ」の主人も「寿々喜」に通いつめてたので、隠れファンは多かったと思うのですが・・・)

それ以来、洋食はあまりしっくりきたのがなかったので、草葉はうれしい発見でした。
ご高齢ですが、頑張っていただきたい。

自分なりの決定版と思うのは、フレンチは大谷祖廟下の「よねむら」割烹では「乃し」「祇園丸山」
鳥鍋は木屋町の「鳥や三」といったところ。

イタリアンやエスニック料理は、リピート対象をしぼれないくらい最近どんどん出来ています。
有名な七条のイルパッパラルドや、ギオットーネは少し塩味強めなので、僕としては四条のイル・カルボーネがお気に入りです。

コスト・パフォーマンスでいえば、最近あちこち出店しているサルバトーレ・クオモもいいと思います。大阪の3店はスイーツバイキングが売りなので、純粋な食事としては京都駅ビルのほうがいいと思います。はっきりいって、食べきれないくらいの量。

今年は大阪によく行っていたのですが、大阪はさすがに食の都ですね。駅裏の安くてうまいところから、摩天楼から見下ろして気分よく食べるところまでいろいろでした。(ブリーゼタワーのベノワ、やハービスのブルディガラはアクセスもいいので、また行きたいと思いました。ブルディガラは京都駅スバコにも支店がありますが、パンの種類が違いどちらも凄くおいしいです。)

食べに行くのは短時間でできるレクリエーションなので、「食の未来が危ない」と言われても譲るわけにはいきません。

そんな今、気になっているのはエスニック料理です。去年はクスクスにはまってましたが、今はタイ焼きそばの「パッタイ」。パッタイは、米粉ビーフンで、レモンをかけて食べると酸味がアーモンドの香ばしさを引き立てて、とても美味しい。

あちこち行ってみては、理想のパッタイを探しています。
アカデミー賞、去年は「おくりびと」で日本が沸いたけど、今年は「ザ・コーブ」で沸いてます。

イルカ漁を糾弾したドキュメンタリーです。

文化侵害だと怒る人もいれば、日本人は過剰反応せず冷静になれという人もいて、国内でも意見は分かれます。イルカ自体、養殖業者にとっては害獣以外の何者でもないわけだし。(そもそも、可愛いとか賢いから保護しなきゃ、という発想があまり説得力ないように思う。牛さんだってかわいいよ。)
でも、明らかなことが一つあります。「少なくとも現在のアカデミー賞は、大した奴が選考していない」

ドキュメンタリー作家が一番悩むのは、事実を伝えられているか?誘導や説教に堕ちてないか?というところです。

もちろん、ドキュメンタリー作成の動機には何らかの意図があるのが普通。だからこそ、公平な視点に立てていたか、出来映えに悩むわけです。

マイケル・ムーア受賞から続く傾向だけど、誘導の見える「あざとい作品」は、面白い創作ではあっても、価値あるノンフィクションではない、と断言していい。

特に今回は、立ち入り禁止区域で盗撮してるわけだし汗
アポなしで、しかも笑えないなんて「電波少年」よりヒドイじゃないの。少なくとも電波少年は面白かったゾ。

(ま、去年ダークナイトを無視した時点でワシには関係なくなった賞だがのう・・)