11/16(水)

 

3日目は王宮周辺やカオサン通り方面へ向かうことに。

 

王宮周辺へはBTSサパーンタークシン駅からチャオプラヤ川をボートで移動する

チャオプラヤエクスプレスボートで向かう。

 

 

前日のBTS⇨国鉄への乗り換えとは違い、

ボートへの乗り換えは駅から目の前で非常に分かりやすかった。

 

ボート乗り場は観光客で沢山。

日本では見られないが、バンコクでは市内バスや鉄道と同じ感覚で川を移動するボートが公共交通として一般的のようだ。

 

「サートーン駅」〜「ワンラン駅」へと移動。

ボートはイスが多く設置しており、座りきれないお客さん用につり革も用意されている。

 

料金の支払い事前にチケットを購入するが、渡し方は市内バスと同様で、料金回収係のおばちゃんが料金箱を「カランカラン」と鳴らし始めたら手渡す。

チケットを購入していなかった人は紙幣で支払う流れだ。

 

出発して10分程で目的の「ワンラン駅」に到着した。

 

事前にピックアップしていた寺院がいくつかあり、それらはチャオプラヤ川を挟んで東西に分かれていたため、まずは西側から周ることにした。

 

 

 

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↑ワット・アルン。三島由紀夫の小説のタイトルにもなっている

 

見ての通り修復工事中のようで、頂上までは登れなかった。

途中までは行けたが、急な階段で息が上がった…

天気は快晴で青い空が広がっていたため、よりワット・アルンの壮大さが際立っていた。

 

 

一通り見学を終え、

次に向かうはワット・ラカン。ワット・アルンからは北へ500m程度なので歩いて向かうことに。

 

道の途中では至るところで故プミポン国王の慰霊碑が祀られていた。

タイに降り立った初日から見ない日は無いほど、街中に写真や慰霊碑が見られた。

 

 

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↑故プミポン国王の慰霊碑

 

 

20分程歩き、ワット・ラカンへ到着。

渡し舟の停留所を降りてすぐの位置にあった。

 

 

 

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↑ワット・ラカンの本堂

 

本堂内ではお祈りをする地元人が多くいた。

信仰の厚いタイでは日常的な光景である。

本堂に入る際は基本的に土足禁止なので裸足になる必要がある。

 

 

 

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↑ワット・ラカン境内の鐘

 

「ラカン」は「鐘」を意味するため、境内には多く鐘があり

参拝の際には端から順番に鐘を鳴らすようだ。

祈る気持ちで鐘を鳴らすようだけど、観光客にとっては願い事をする人もいるみたい…

 

 

 

比較的小規模なワット・ラカンはすぐに見終わり、

次の目的地を目指す。

 

次はタイならではの、日本では絶対に行けないスポット「シリラート死体博物館」である。

 

当初行く予定はなかったものの、タイに来てからネットで、タイを訪れた日本人のブログを拝見すると「死体博物館は行った方が良い」と書かれており、内容を見ると非常に興味深い展示品がありそうだったため、訪れることにした。

 

死体博物館はワット・ラカンからさらに北へ300m程に位置する「シリラート国立病院」内にあるようだ。

 

昼が近づき気温もぐんぐん上昇。

歩いて移動するだけで汗だく。。熱帯地域に属しているため小まめに水分補給しないとぶっ倒れそうになる。

プラス、急な日焼けをしすぎて肌に発疹がほぼ毎日できた…

最初、食べ物が原因か…?とも思ったが連日肌を露出していた手や足の関節部分に発疹ができたため日焼けだと判明した。

 

 

10分程でシリラート病院付近に到着。

通りを挟んで向かい側には大規模なローカル市場が展開されている。

 

 

↑ワンラン市場。二人すれ違うのがやっとの細い通りにさまざまな露店が並ぶ

 

後から調べてみるとしっかりガイドブックに載っている「ワンラン市場」であった。

たまたま歩いてきたルートに当たったようだ。

 

完全ローカルなマーケットのため、タイ人以外見当たらなかった。

外国人観光客が少なそうなため、日本人と分かっても声をかけてくる売り子おばちゃんは皆無。

 

生鮮食品から服飾・アクセサリーからバッグ、軽食、スイーツ店など多くの露店で賑わっていた。

 

 

そしてワンラン市場を抜けると、目的のシリラート国立病院が目の前に。

 

 

しかしながら…

「死体博物館」が見つからない。

国立病院だけあってかなりの数の現地人が病院を訪れていた。

本当に博物館は敷地内にあるのだろうか?

そんなことを思いながら、「〜 MUSEUM」とあったので看板の矢印に沿って進んでいったが、、

 

そこには食堂が。。

あれ…?

 

なんで食堂に連れてかれたんだろう。

その後戻って進んでを数回繰り返してようやくルートが判明。

 

矢印の先に別の場所の矢印があったため、それに従わずに越して進んでみると「死体博物館」の看板があった。

 

前述のブログにも書いたが、案内表示の仕方が全体的に雑。。

 

日本でも自分たちは把握してるからあまり気にすることはないが、帰国したら外国人目線で案内板に注目してみようと決意した。

 

そんなこんなでようやく「シリラート死体博物館」へと辿り着いた。

 

 

 

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↑シリラート死体博物館

 

館内は撮影禁止で荷物はロッカーに預ける必要がある。

さらに館内入り口では、入場に際しノートに名前と出身国を記入する。

 

前の入場者を見てみると日本人や欧米人が多かった。

 

 

死体の展示ということで、呼吸を整えて入場。

 

写真は禁止だったので簡単な説明のみ。

 

 

入り口付近にはシャム双生児や奇形児のホルマリン漬け標本、心臓や内臓等の臓器のホルマリン漬けが並べられている。

 

赤ん坊の手足がまだまだ未熟な綺麗な体のまま保存されている。

 

 

さらに奥には、

さまざまな事故事件が原因で死亡した死体の写真。

鉄道や車による人身事故、ショットガンによる発砲、ガラス瓶やナイフによる刺殺、タイヤに踏まれた圧迫死など、どれも目を覆いたくなるような死体の写真であった。

 

さらに日本人には馴染みの深い「津波による溺死」死体の模型展示もあった。

通常の人間の身体とは程遠い、顔も体も手足もフグのようにパンパンに膨らんだ様子であった。

 

近年では日本で東日本大震災のときに、地震による津波で数多くの方が犠牲になったばかりだ。

当時の現場周辺はこのような状況が至るところにあったと想像すると胸が痛む…

 

 

さらに奥に進んでいくと5つほどのガラスケースがあり、中にはミイラが立った状態で並んでいる。

 

これは、1950年代に子供を殺しその内臓を食べていたとされるタイ犯罪史上最も凶悪とされる殺人犯「シーウィー」のミイラ。

内臓を食べることで不老不死を信じていたらしいが…

死刑の際、ミイラ化され死しても尚座る事を許されない状態で多くの好奇な目に晒される屈辱を味わうとは。非常に皮肉な話である。

 

他のミイラは、女性をレイプし殺害した卑劣なレイプ犯であった。

 

 

出口付近にはマラリヤなどの病原菌を運ぶ生物についての展示となっていた。

中盤はかなり過激なものだったので、最後は易しいものにしたのだろうか。

 

 

死体博物館には行って良かった。

決して楽観的には行けない場所だが、日本に居てはおそらく体験できないであろう「本物の死体」を見て感じることで、事故災害や犯罪への危機管理意識が高くなった。

 

 

 

シリラート病院周辺を後にし、

これで西側はすべて周ったので東側へ渡るために渡し舟乗り場へ向かった。

 

 

東側の「マハーラート駅」へ。

 

次に目指す王宮へは500mほど距離があったため、停留所近くの店で昼飯。

 

 

 

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↑チキンの甘辛ソースとシーザーサラダとコーラ。約150B

 

普段日本ではコーラなんてほぼ飲まないけど、どこは熱帯地域マジック。甘く冷たい炭酸が異常に飲みたくなる(笑)

 

二日目は満足した飯をあまり食べられなかったのもあり、かなり満足のいく昼飯だった。

 

 

腹ごしらえもして、王宮へと向かった。

 

国王が亡くなったこともあり、現在バンコク市内で最も警察や衛兵による警戒が厳しい地域となっているようだ。

 

大変厳かで神聖である王宮ではあるが、外国人入場料金500Bは高い…

入り口には服装チェックの警備が居る。

 

欧米人の多くはハーフパンツを履いているのでチェックに引っかかり、貸出用のズボンが渡されていた。

 

服装チェックがあるのは知っていたので、この日は暑いがGパン着用で行ったが、

思い返すとこの日が一番歩いたため、汗だくになった。。

 

 

 

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↑王宮周辺の様子

 

 

 

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↑黄金に輝く仏舎利塔

 

 

 

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↑聖鳥キンナラ



 

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↑王宮入口の衛兵

 

 

 

↑王宮内動画

 

王宮内はとても厳かな雰囲気で国王の弔いに訪れた地元人がたくさん居た。

 

 

王宮から次の目的地であるワット・ポーへ。

歩いて向っている間にも喪に服した人が沿道を覆っていた。

自分が訪れた週の日曜に大規模な慰霊祭が行われたらしく、その準備のようだった。

 

 

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↑沿道にも国王を偲ぶ多くの人々が見られた

 

王宮から南へ300m程歩き「ワット・ポー」へと到着。

 

ワット・ポーでは巨大な黄金の寝釈迦像が安置されている。

 

本堂内には靴を脱ぎ裸足で入場する。

 

 

 

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↑ワット・ポーの寝釈迦像

 

アメリカからの美男美女カップルに写真を頼まれたので、こちらの写真も撮ってもらった。

 

寝釈迦像はとても巨大で、まさに黄金に輝いており一周するのに5分は掛かった。

 

入場時購入したチケットにはミネラルウォーター1本サービス付きであった。

しっかり外国人観光客のことを考えてくれてる(笑)

 

 

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↑整列した釈迦像

 

境内を周っていると、ベトナムか台湾?あたりの学生旅行と思われる子たちに一緒に写真をとお願いされた。

 

どうやら色んな国からの旅行者と写真を撮っているようだ。

こういう交流はすごく好き。日本人ってそういう行動しないようなあ、、

案外観光地のことより、「出会った人」のほうが思い出に残ったりもする。

 

 

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↑ワット・ポー本堂内

 

 

 

その後、バックパッカーの聖地「カオサンロード」へと向かった。

 

街歩きしながら向かったので2kmくらいは歩いたかな。

夕方に向って日が傾き、気温はまだまだ高かった。

 

 

カオサンロードはその一帯だけ安宿や屋台が乱立しているというイメージだったが、その周辺にも似たような通りが多く点在していたため、見つけるのに苦労した。

 

 

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↑バックパッカーの聖地カオサンロード

 

 

夕暮れが近くなっていたため、本当はあと2箇所ほど観光を予定していたが

宿への帰路に就くことに。

 

タイでの歩き旅は思ったよりも距離が伸びない。というのも気温と湿度が高いため体力消耗が異様に早い。

 

無理はせずにボート乗り場の「マハーラート駅」へ。

 

しかし帰り道、向かってきた道と違う道を辿ると

すこし迷ってしまい、なぜか大学構内に入って外国人留学生の気分を味わう羽目に(笑)

 

でもそのおかげで近道になったようで無事にマハーラート駅に到着。

 

ボートとBTSを乗りついてナナへと戻った。

 

 

この日はかなり疲れたので外で適当に買い、宿で夜飯にした。

 

三日目は厳かな宮殿、寺院に加え死体博物館など、盛りだくさんだったので疲労困憊…

 

 

明日は世界文化遺産「アユタヤ」へ。

早めに就寝。

 

 

 

タイ4日目へつづく。