彼とは、お付き合いを始める一歩手前にいる。

お互いに好意があることは感じていて、どちらかが連絡をすれば、デートができる。

どちらかが動けば、自然にお付き合いが始まりそうだ。

 

一緒にいると楽しいし、癒やされるし、元気にもなる。

嫌な思いをすることもない。

それなのに、私はなかなか一歩を踏み出せずにいた。

 

何か、自分の中で消化しなければならないことがある気がする。

そう思って、半年ほど考えてきた。

 

そもそも彼と何が心配でどうありたい?

 

自由が制限されると思っている?

 →NO(互いの時間や生き方を尊重できると思っている)

  でももっと 夫のことがあるから 無意識の不安はあるかも台風

 

溺愛されたい?

 →NO(甘やかされたいわけではない)

 

特別な存在として扱ってくれることは?

 →嬉しい(尊重されてるのが嬉しい)

  あからさまに表現せず、

  見返りも求めないところに安心感がある。

 

 

では、何が引っかかっていたのか。

ようやく気づいたのは、

大切にしたい相手だからこそ、

私のほうが自分の形を変えてまでつながろう、

一緒に過ごそうとしたことだった。

 

もう無理はできない、したくない。

素の私でも続くか知りたくなった。

 

今の私は、三男のために時間を使いたい。自立に向けて積み重ねていることを、もう少し丁寧に支えていきたい。だから、登山に割ける時間や体力の余裕はまだない。

ところが彼と会おうとすると、山に行くことを前提に考えてしまう。トレーニングをして、体を鍛えて、服装やヘアメイクも整える。準備そのものが嫌なわけではない。でも、今の私が優先したいこととは違っていた。

数年前に転職したのも、それまでの社会や生活に限界を感じていたからだった。不条理なことが多すぎて、まったく違う世界で挑戦してみたかった。

新しいコミュニティで働き、一通りの経験をした。彼のように一緒に山へ行ってくれる人にも出会った。

そして、気づいてしまった。

これまで私は、自分ではない何かになろうとしていたのかもしれない。社会に認められやすい存在になろうとし、自分の本音や望みを後回しにしてきた。それが、ずっと感じていた息苦しさの根本にあったのではないか。

今は、自分の中にある本当の自分を、もっと表に出してあげたいと思っている。

彼が受け入れやすい形で私から働きかければ、関係を進めることはできるかもしれない。でも、それは本当に私が望んでいる始まりなのだろうか。

大きく物事を動かすとき、私が先回りしてお膳立てをする。そうすると、彼に必要とされていないようで、私ばかりが彼を必要としているようで、少し悲しくなる。それがずっと続くのなら、きっとしんどい。

彼に限ったことではない。

息子たちとの時間も、趣味に使う時間も、私の人生の大切な一部だ。限りある時間を、自分の形をぐにゃりと変えてまで誰かと過ごすことには、もう魅力を感じなくなった。

私は彼と一緒にいたくないわけではない。ただ、自分を曲げてまで一緒にいたいわけでもない。

自分らしく過ごしている私に、彼も会いたいと思ってくれる。私の事情や生活を理解したうえで、気分転換にどう?と声をかけてくれる。そんな関係なら、きっと素直に嬉しい。

今、ようやく自分の中の答えが見つかったところ。

ただ、これは私側から見つけた答えにすぎない。彼には彼の考えや事情があるはずだ。

これからは彼の側からの視点も想像しながら、もう少し考えてみようと思う。

誰かと一緒にいるために、自分を変えるのではなく、自分らしくいることを大切にしながら、誰かと一緒にいられるか。

今の私にとって、人間関係を考えるうえで大切なテーマになりそうだ。