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未来につながりますように。
「Tres Esperanzas」

home」とは


普通に辞書で調べると


家、自宅、わが家




もう少し広くいうと


家庭、生まれ故郷、本国とか。





グアテマラから帰国して


2ヶ月が経ちました。




グアテマラに居る間は


「ホーム」ステイをしていたわけで


お世話になっていた家族の家は


とても居心地が良くて




僕にとっては


グアテマラにもホームといえる場所があり


とてもあたたかいところでした。




しかし


アヤワスカの中で見た世界は


自分が生まれた場所


日本の、京都の、実家である、


故郷のホームでした。





セレモニーの途中では


帰れないかもしれない


帰らなくてもいいんじゃね?




とまで思ってしまったわけですが





まぁそれは精神的なものからの揺さぶりだったので。





今はその実家に身を置いているので


自分の帰る場所があるというのは


本当に有り難いことです。






この世の仕組みというか


現世である物質社会というか




その中では


どうしても物理的な距離があり



人間の身体としては


移動手段を使わないと


その場所には行けませんよね。





でも精神や心は違います。


思った場所にいつでも移動できるんです。





グアテマラで毎日見ていた火山


学校まで通っていた石畳みの道


露天で物を売ってる人の顔


サンフェリペにある家





わかりやすく言えば


日本に居ながらでも


目を閉じたとき


意識は一瞬にして


グアテマラに居たときの感覚に


移すことが出来ます。





その逆もあって


グアテマラに居ながら


目を閉じるだけで


意識は日本に居ることが出来るんです。





目を閉じて


目の前の視覚を無くせば


今この身体がどこにあっても


意識はどこにでも行き


その場所に居る感覚になるということです。





そもそも意識には


物理的な距離なんていう概念は無いんです。




場所だけでなく


人に対しても。




そういうのもは多分


「ワンネス」とかいう


話になってくるんじゃないかなと思いますので


また別の機会に。






手にはiPhoneを待ち


グアテマラに居ながら


LINEで日本の人と会話すると




物理的には何千㎞も離れているのに


お互い日本国内に居るのと


なんら変わりなく会話出来ます。




通信の発達にはもちろん感謝ですが


意識的には本当に近くに感じられます。




俺、今ココだよ。


って言わないと


場所がわからないと思います。





ホームというのは


家という存在よりも


どこに行こうと


どこに居ようと




自分の心が帰ってくる


還ってこれる場所です。