5月末のパニック発作の後、薬が変わり調子が良くない。
実家の母は、誕生日にも電話がなく、完璧に無視状態。

いいの。
かけてこられても私も何を話したらよいかわからないし・・・。


毎日夕方ごろになると、することもなくなり
夜の闇が深くなるにつれて、心もその闇に呑み込まれ
耐え切れずに安定剤を飲む。

薬も、お酒も、もちろん本やピアノも、何にも没頭できなくて、
とにかくじっとしていられなくて、身体を動かしたくて、久しぶりに電子ピアノを弾いてみた。


「ストリングス」という音色を初めて選択。
弦楽器の音を鍵盤をたたいて出すのだからこれ以上ナンセンスな
設定はないはずなのだけれど(アタックは無いし、冒頭から最後まで5種の弦楽器が
ユニゾンで行くことなどありえないのだから)、あにはからんや、
シンセのような音の波に迎えられ、包まれて、枯れた脳幹が、潤うような感覚。

「亡き王女のためのパーヴァーヌ」「夢のあとに」「私を泣かせてください」「オンブラ・マイ・フ」を弾いてみる。

「亡き王女~」は、富田勲 版、クリュイタンス版を髣髴とさせてくれ、この曲と
運命の出会いをした中学時代を思い出させてくれた。


そして、「私を泣かせてください」
はじめての八ヶ岳避暑のとき、あなたが私の運転に酔ってしまい
シートを倒して眠っているときに、小さなボリュームでかけた曲だよ。

目的地について起こしてあげたとき、まだ車酔いは良くなっていなかったようなのに、
つぼみがふわっと開くように、あなたがニコニコして起きてくれたことを思い出すよ。
わかっていて、弾いてみたんだ。

相変わらずの、「辛子とバタ」だね。 笑


調子が良くない。
母はどんどん年をとり、今、私が折れなかったらきっと後悔するはず。
でも、母との接触は、私のとってはやはり恐怖で・・・。


今から甘夏ヨーグルト食べて、もう一回、「私を泣かせてください」を弾くよ。

青葉茂るさわやかな八ヶ岳で見た、あなたの本当に優しく柔らかな、その微笑を
もう一度目にするために・・・。


ママ、
お元気ですか?

従妹のまきちゃんの結婚式に一緒に出席した以来ですが、いかがお過ごしですか?


まきちゃんの結婚式あたり、私は本当に、ココロとカラダが
いっぱいいっぱいでした。

高速道路を使っての掛け持ちの、深夜までの勤務。
勤務の日も、そうでないときも、ずっと重く心を窒息させる
同僚の威圧、嫌がらせ。
私のことを好きでいてくれる生徒を残しての、退職。

怠け者の私のキャパは、もう、当に越えていたんだよ?

何一つものにならない人間であったけれど、私は私なりに
精一杯がんばってきた部分もある。

清く、正しく、私たち姉弟が大人になるまで守ってくれたママが、
ママの兄弟や世間から、腐った私の父親のせいで馬鹿にされないように、
腐った父親の足跡を、少しでも上書きし目立たなくするために、
私は世間へも、親戚へも、虚勢を張り続けてきたんだよ。

こんな境遇に陥ることのなかったはずの、ママの、
本来のあり方に少しでも近づけるよう、私は生まれて初めて
ただただ、勤勉であり続けたつもり。


でも、本当に疲れちゃって、結婚式の後に
「ママが少しでも馬鹿にされないように、そのために、私、がんばっているんだよ。」
ぽろって、こぼしてしまったんだよ。

ママに言うべき言葉ではなかったのかもしれないけれど、
それは解っていたけれど、
いわずにいられないくらい、私は大変だったんだよ。


私は常に周りから褒められるように、自分の器に見合わないキャラを
演じ、評価されるように努力してきたのに、
いつもいつも、認めてはもらえなかった。

ママの苦労が少しでも薄まるように、こともなげにさらりとお金を送っていたけれど
そのお金を稼ぐのは、私は、本当に大変だったんだよ。

なのに
「○○ちゃんは、仕事が趣味だもんね。」
「好きなことをしてお金がもらえるなんて、一番いいじゃない。」

お金は趣味の副産物じゃないんだよ。
ママのために、仕事を掛け持ちしたんだよ。

仕事は、自分の性にあっていると思ってる。
でも、職場環境が良くなく、鬱になっても、
高速を使っての移動をはさみながらの掛け持ちをしてでも、
楽しみたい「趣味」で、あるはずないじゃん。
カラダとココロを壊し、「自分」でなくなる薬を飲んでいるのに!



ただひとこと、
「がんばってるね」って、言って欲しかっただけなんだよ。

学校で、県で、全国で一番取ったって、伴奏者したって、望む学校に受かったって、
「○○ちゃんは、こんなもんじゃない」「もっとできるはず」・・・。


ママに認めては、もらえないんだね、一生。


人間だから、相性、というものがあるのは、よくわかってるよ。
弟のことは弟のことで、私なりに認めてるよ。
でも、不出来なのに、がんばって優等生をし続けた私より、
いろいろ紆余曲折のあった弟のほうが大切なんだよね。

私、もうこれ以上、がんばれない。


もう、6月になっちゃったね。
私の誕生日、ママはいろいろ考えるのかな?

私もママに、「でんわしなきゃ」って、あれから気になっているけれど
ママと話すのが、言葉通り怖くて、私からは連絡できません。

離れて暮らしていて、ママも、いい年齢。私もカラダがいろいろ。
いつが最後になるのかわからないけれど、
ごめんね。

私はやっぱり、世界一ママが怖いです。
小さなころからずっと。

ママはママで心を痛めているのかもしれないと思うと、
私だってとてもつらいけれど、それ以上に、ママと話しをするのが怖いです。


おじいちゃんの写真にお花とお水をあげながら、
「ママを護ってください」
「私を許してください」
と、いつも祈っています。

私の誕生日、連絡は、いりません。
何をどう話したらよいのか、解らないのです。


どうか、お元気で。
日々、おするするとすごされますよう、心から願っております。


前回の記事のタイトルは、白洲次郎氏が令嬢の
牧山桂子氏に教えた、という関西弁風の讃美歌の歌詞から採ったものだ。

関西弁に縁のない生活をしている私の心に、
あまりにも、すとんと落ちてきた歌詞だったので
このブログを読んでくださってる方で、もし、気に入ってくださる方が
いらっしゃれば、と思い、以下に載せてみる。


 「イエスさんわて好いたはる わてのイエスさん
  浮き世はゆうたかて わてのイエスさん
  イエスさん強いさかいに わてのイエスさん
  怖いことあらへん イエスさんわてについたはる」


タイトルがわからないので、メロディもわからないのだけれど、
クリスチャンの方々が「イエス様が共にいてくださる」という気持ちって
本当に、こういう感じなのだろうな・・・と、身にしみて感じる。

ミッションスクールにも通っていたし、YMCAにも、小学生のころずっと通っていた。
成人してからご縁があったシスターに、ずっと教え導いていただいていたけれど、
「イエス様が共にいてくださる」ということは観念的にしか理解できなかった。


パートナーに裏切られ、難しい病気の可能性を医師から告げられ、
今迄で一番孤独でつらかった日々
家でじっとしていられず、でも、食事も食べられず夜が怖くて
毎日、4~5時間、狂ったように一人でドライブをしていた。

そんな頃にたまたま "You Raise Me Up" をラジオで耳にし、
温かな旋律と、あらま欲しき姿の歌詞に、言葉通り、胸を突かれた。

この曲との出会い、また、純粋な心で(と、思いたい・・・)我がことのように
私を、大事に守り支えてくれた人の存在、は、「イエスさん」とも呼ばれる
「大きな、何か」の賜物だったのかもしれない。

「わてのイエスさん」
それは、まだ決まった宗教に帰依できない私からすると、
時に人であり、ものであり、風や花や、音楽であり、
「そのときに適う」「必要なもの」と巡りあわせてくれる
「大きな、何か」なのかもしれないと、思う。

いつも拝読しているブロガーさんと、ここ最近、メールをやり取りさせていただき
それぞれの方が、「共に」いてくれる温かで柔らかな家族、友人達と
真摯に毎日を歩んでおられる姿をお話いただき、
本当に、勇気をいただいた。

一番近くで、一番柔らかに、そっと、そしてずっと共にいてくれる大事な人たち。
きっと、それも「わてのイエスさん」。


私もがんばらずに、でも、がんばる。

インターネットを介しての、でも、有難き出会いに感謝し、
いただいた勇気を持って、今から病院へ、行ってくる。