脳内物質のバランスに作用する薬を飲まなくなってから、
5カ月経つ。
その間にもいっぱい嫌なことはあったし、
眠れない夜もなくはなかったけれど、
自分の一番近くに、ゆるぎなく大きな愛を感じられているからか、
頓服を2回飲んだだけでやり過ごすことができた。

薬が徐々に脳から抜けてしみじみ思うのは、
同時処理のタスクがあり得ないくらい立ち上がり
そのノイズに耐えがたいことはあっても、
「感じる」ことにふたをするよりはよほど、生きている実感があるということ。

周囲のちょっとした雑音に耐え難くても、何も感じないよりはいい。
きっと、普通の人よりだいぶ、良いことにも悪いことにも過敏なのだろうけれど、
「悪いこと」には簡単に打ちのめされてしまうけれど、
「感じる」幸せは、手放せない。


少しずつ薬を飲む前の感覚が戻ってきてから、
フェイスブックに写真付きで記事をアップしている。

フェイスブックは、去年まで、サポート校でやっていた授業
「いいことにっき」を一人でやっているようなもの。

かすかだけれども、確実に胸に残る「何か」を残しておくために、
「何か」を感じる「私」が「この世に存在したこと」を、
残しておくために…。


「かそけき」ものの声を聞くことのできる喜びと悲しみを
身に纏いながら、今日も1日、生きていく。



【よすが】
辞書を引いてみる。

[縁][因]……。
いづれにしても、origin。

自分のpotentialに、先鋭なものをを見出せないのならば、
兎にも角にも、『海街』の中の『 山奥』 に、還るべきなのかな?

600年の隔たりは、大きいよね…。








秋の風は、かん、としている。

空は青く高く、庭木の葉はまたまだ青々としていて、
その二物の中を
風は、かん、と吹いてゆく。


小さいころから空気や人の気持ちが読めなくて、
他人も自分も不必要にに傷つけることが多くて、
それはやはりとても、生きづらかった。

だからか、文字や言葉の解釈・分析作業が好きだったけど
それを主軸に置いた仕事が、私はしたいのかな?

「ことば」の限界を知った上で、その可能性を
見つけていきたいと考えていたけれど、
その探求は、所詮自己満足的なものであって、
誰かや何かに直接的に還元されることではないものな…。

人の命や生活に直接的に関わる仕事をしている人たちを
まじかに見ていれば、
「ことば」に拘泥することを仕事にするだなんて
いい歳をして、バカみたいだと、思ってしまう。


「ことば」を記号として操作することを体に覚えさせることが目的の
塾講師の仕事は、もう、いいかな…。
お金は入るけど、「作業」を教えることが、最近とても息苦しくて…。


しなければならないこと。
したいこと。
しなくてもよいこと。


考え始めると、どれもみな味がしなくなって、
何にも感じられなくなっていく。

せっかく、ごく薄く、やわらかいべっこう色の風が
さやさやと身を包んでくれてるというのに
今、自分のことが、よく判らない。


とりあえずまた、森へ深呼吸をしに行きたい。