長篠の戦い史跡めぐり 九 | 〜ある愛知のカープファンの抒情〜

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愛知在住カープファン・eviltailの、その日常。

ここまでの史跡はいずれも長篠城跡近くでしたが、今度は設楽原に移動します。


まずは新しく通った国道151号線沿いにある、「首洗池」。その名の通り、戦いに勝った織田・徳川軍が、討ち取った武田軍の武将の首を洗ったとされる池です。以前にも来ていますが、あらためてゆっくり見るのは初めてです。





ここの昔の写真をネットで見ると、鬱蒼とした、少し不気味な雰囲気を感じる場所でしたが、今は小さな公園のようにきれいに整備されて、さらに隣に国道が通ったことから、随分と拓けた雰囲気が漂っています。名前の由来や「血で、池の水が澄むことはなかった」という言い伝えだけ見ると、物凄く遺恨の残った場所だと思うのですが…。


続いて、設楽原歴史資料館の駐車場に車を停め、近くにある小幡信貞の墓へ。


小幡信貞の墓は、国道151号線から馬防柵の方へ向かっていると道中右上手に見えるのですが、どこからそこへ入ったら良いのか判らず、これまで立ち寄っていませんでした。しかし、資料館から歩いて行けることが分かったので、資料館の裏手にまわり、足場の悪い斜面を下ってたどり着きました(普通に車で登って来られる場所でした)。





「武田の赤備え」と言えば山県昌景が有名ですが、本家本元はこの小幡信貞が率いた500騎の部隊のことらしいです。


小幡信貞は、武田二十四将に数えられる武将ですが、歴史物のドラマなどにはあまり出てこないせいか、山県、馬場、内藤らに比べると知名度は低いように感じます。しかしこの長篠の戦いでも相手方から「馬上巧者」と評された、勇猛果敢な武将だったようです。



もっとも、近年の研究では、この小幡信貞は長篠の戦いでは死んでおらず、武田氏滅亡後、織田氏→北条氏に仕え、北条氏滅亡後は、武田時代のかつての同僚であった真田氏の下で余生を過ごし、1592年に亡くなったとされています。


では何故、ここに信貞の墓があるのか? となるわけですが、「設楽原戦場考」によれば、かつて、この地の竹林を伐採した際、古い塚が見つかり、その場所からして、「これが古い文献に出てくる小幡ゆかりの塚では」となって、小幡信貞の墓が建てられたのだそうです。


実際、長篠の戦いでは小幡信貞の父や弟が戦死しており、その最初にあった「小幡ゆかりの塚」というのは、もともと信貞の弟・昌定の物だったのではないか、ということです。


資料館に戻り、信玄塚へ。



ここには過去何度も来ていますが、写真に収めるのは初めてかも?  


信玄塚は、合戦の後、地元の人たちが戦死者の遺体を埋めて弔った塚だと言われています。


続いて、前回見つけられなかった土屋昌次の墓を探します。地図によれば、この信玄塚のすぐ側にあるようなのですが…。


というか、20年ほど前に来たときも、四苦八苦して探し出した記憶があります。


この辺りは住宅地となっていますが、道幅も狭く、民家と民家の間の、少し奥まった場所にあったような気がしたので、車での探索は無理と判断し、徒歩で探します。


地図に記された辺りの住宅地をウロウロ歩いていると、左側の路地から車が出てきたので、何気なくその車の出てきた方を見ると…



あった(^-^;


それは道路から少し入った場所にあり、やはり車では見つけにくい所でした。



土屋昌次と、その家来・温井昌国の墓(左)です。


戦場となった馬防柵のところに土屋昌次の戦死の地の碑が建っているのは以前紹介しましたが、この墓はそこからかなり離れています。


武田家の若手のホープだった土屋昌次。その早すぎる死は、やはり悔やまれます…。



長篠~設楽原には他にもまだまだたくさんの史跡がありますが、今回はここまでにしました。とても全部は廻りきれません(^^;


最後に、帰途、資料館から国道151号線に向かう道の途中にあった看板。



「従者の手紙と短刀・小烏丸の縁」というのは、設楽原の戦いで山県昌景が戦死した際、志村又右衛門という昌景の従者が昌景の遺体を近くの百姓の家に担ぎ込み、そこで首を落とし、甲州(甲斐)に持ち帰ったとされているのですが、その際、残された遺体に、「くれぐれも供養を頼む」という手紙と、小烏丸という名の短刀を添えて行ったことを差します。


戦が終わり、戻ってきた村人は、その志村の手紙の通り、昌景の遺体を懇ろに葬り、塚を築いたそうです。そして、それにちなんで地名も「山形(山県)」になったのだとか。


…死して敵地に名を残した昌景。徳川家康にも恐れられた昌景ですが、その家康の領国の民たちの間にもその名は轟いていたんですね。


…これで自分は2月、3月、4月と、3ヶ月連続で長篠・設楽原を訪れているわけですが、いよいよ5月5日には、長篠城跡にて毎年行われている、長篠合戦のぼりまつりが開催されます。


武者行列、鉄砲隊による火縄銃の演武、戦死者の法要、そして地元物産展など、たくさんの催しが開かれます。


自分は過去に1回だけ行ったことがあるのですが、めちゃくちゃ混んでいて火縄銃の演武も全然見えず、音しか聞こえなかった印象があります(笑)。


当日は駐車場もたくさん用意されますが、こちらもかなり混むので、もし来られる方は、早めに到着されるようにした方が良いと思います。


詳細は、新城市観光協会のホームページをご覧下さいませ。


自分は今年は多分行けませんが…(^-^;




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