パチンコ検定 | アッシュのブログ

パチンコ検定

秋。
資格試験の季節ですw

詳しい方はご存じの通り、秋には資格試験がいろいろと集中しています。
もうそろそろ申込み締切りのものも多いです。

さて、タイトルのパチンコ検定。
いろんな検定試験というやつが世間では乱立していて、何の役にも立たない○級がいっぱいです。
もっと驚くべきなのが、それらの検定試験のほとんどが結構なお金を取ることです。
開催する側からすれば当然でしょうけれど、そんなにお金を払う価値があるのかどうかw

さて、タイトルのパチンコ検定。
そんなものあるのか?と調べてみたら、あるんですねこれがw
でも、賑わいぶりはというと(ry

資格試験・検定試験が人気を集めるには条件があります。

第一に、それを取りたいと思う人がいっぱいいなくてはいけません。
大前提です。
パチンコのお客はいっぱいいます(いました)から、これは問題ないでしょう。

他にもいくつか条件があります。
(1)知的好奇心に訴求する
(2)取得すると満足感が得られる
(3)実用性がある・必要である
(4)就職に有利である
(5)資格手当などの報奨が期待できる
(6)肩書きが得られる
(7)関心を持っている層の向上心が高い

こんなところかな。

パチンコはというと・・・

×知的好奇心に訴求しない 
△満足感を得る人はいるかもしれない
×実用性はないし必要でもない
×就職には不利
×資格手当は皆無
×肩書きとして使えない
×勉強しない人の方がずっと多い

ほぼアウトですね。
パチンコ検定が盛り上がるはずがないんですよ。
条件を備えていないから。


世の中には上記のリストで幾つもバツがつく検定試験がいっぱいあるとはいえ、マルが全く無い資格は無いでしょう。
ファンがいるものは、普通は、彼らの知的好奇心に訴求するからです。

じゃあ、なぜパチンコはダメなのか。

答えは簡単。
機種の入れ替わりが速すぎて知的な探求の対象ではなくなっているからです。
知的な探求なんていうと大げさですが、要するに、一つの機種にこだわることが難しくなっているうえ、いくらこだわったところであっという間に消えてしまうということですよ。

まず、息の長い機種であっても3年で撤去がルールです。
これでは、パチンコの歴史を語れるのは経験豊富な業界人と一部の熱心なファンだけです。
他の人は自分が打ったことのある範囲しかわかりません。
数年前の機種は全国を探し回ってもほとんどありません。
四六時中パチンコにしがみついているので無い限り、普通は断片的な知識しか得られないのです。

最近では、1~2ヶ月で撤去が普通になっています。
1ヶ月では、導入から最大でも30日×14時間=420時間しか打てない。
10台導入のホールだと延べ4200時間。
そのお店のお客にとっては、その台を打った経験の総和がこれだけです。
実際にはフルに稼働するわけがない(フル稼働なら撤去になりませんw)から、この半分くらいなんじゃないでしょうか?
10台設置してあって、仮に200人のお客が打ったとしたら、1人平均10.5時間。
これは多いのか少ないのか。

10時間ほど打ったら撤去。
次の新台に移動です。
もう振り返りません。振り返ったところで撤去されてしまっています。
この期間に打たなかった人との間では話題としても使えません。
月に2~3回打つかどうかというライトな人の場合、全く打たないこともしばしばでしょう。

また、スペックが難解になっています。
何が起こっているのか正確に把握しながら打っている人はごくわずかでしょう。
自分が打っている台がどんなものかすらわかっていないお客がいっぱいなんですよ。

演出は綺麗になっていますね。
派手でもあります。
多様化もしていると思います。
そして、当たるかどうかわからない疑似激アツwがいっぱいになっています。
幻惑され通しの10時間ですよ。

こんなわけで、パチンコを打つ人が検定試験で知識力を競うなんてことはあり得ないのです。
そういう人がいたとしても、そのお金と時間でもっと打ったり、ブログを書いて発散したりしているはずでしょうw

パチンコというものにしっかりした歴史を与えたいなら、3年で撤去というルールを無くし、新台入れ替えに規制を設けるべきです。

多分、さっきの10時間という仮定は楽観的な数字です。
実際にはほんの少し打って、当たらなくておしまいという人が大半ですよ。
そうして、パチンコはどんどんわけがわからないものになっていくのです。
それでも打つのは、わからなくて平気な人だけなのです。

メーカーがそれを見越してしまうと、こけおどしを多用するようになる。
アニメで表現した方がよっぽどいい場面で、鉄郎が超ダサイ役物で飛び出してしまったりするんですね。
そういう兆候はスターウォーズあたりですでに感じていましたが、雪崩をうってそちらに行くとは予見できませんでした。