ゾンビ映画の系譜(6) | アッシュのブログ

ゾンビ映画の系譜(6)

今回もとりとめのない話が続きます。

というか、ずっとこんな調子かもしれません。

思いつきのメモみたいなものですね。


さて。

今回は、ゾンビ映画と黒人映画の関係です。


70年代前半に、黒人映画の流行がありました。

ほとんどが黒人の観客のためにつくられた娯楽作であり、主役をはじめとする主要なキャストがほとんど黒人。敵対する悪人とか腑抜けの脇役とかが白人。あるいは、すべて黒人というキャスティングです。

そして、当然のごとく低予算で作られたものばかりでしたが、黒人のための娯楽という非常にわかりやすいセールスポイントもあって、様々な作品が黒人映画として作られました。


「黒いジャガー」や「トラック・ターナー」のように黒人によるハードボイルド/アクション映画や、「コフィー」のようなお色気アクションもの以外にも、有名作や話題作のキャストを黒人にしたようなパクリ作もありました。

カンフー映画の黒人版である「ブラックベルト・ジョーンズ」とかw


ホラー映画でもこうした黒人映画が作られました。

「エクソシスト」を黒人ものにした「アビー」とか、黒人ドラキュラである「ブラキュラ」とかですね。

「ブラキュラ」はヒットして続編も作られましたし、同じようにハマープロのホラーを黒人映画化した(つもりの?)「ブラッケンシュタイン」などもありました。


しかしながら、ゾンビ映画の黒人版は作られなかったのではないでしょうか。

いや、自信があるわけじゃないんですが、多分ゾンビ映画については、黒人の間での需要が低かったんじゃないかという気がするのです。


その理由を幾つか書き出してみます。


・ゾンビはもともとヴードゥー教の伝承からでてきたものであり、黒人奴隷の姿を表すものであった

・ゾンビ映画は近未来社会の荒廃が連想されるものであった(未だ繁栄の分け前にありついていない黒人にとっては受け入れがたい世界観であった)

・黒人は映画の中では、下品で頭が悪くお調子者とか、従順で頭が悪い下僕というステレオタイプに描かれることが多かったため、ゾンビ=自我の欠けた愚鈍な怪物としての黒人像には抵抗が強かった

・素手で生肉にむしゃぶりつくような姿や、大勢で被害者を取り囲む姿は、より一般的な黒人に対する偏見と被るところがあって反発を招きそうだった

・ヒットしたロメロの映画「ナイト・オブ~」「ゾンビ」のヒーローが黒人だったのでそれで微妙に満足した

・69年の「ナイト・オブ~」と77年の「ゾンビ」との間の期間に黒人映画のブームがちょうど当たったので、ゾンビ映画というジャンル形成が不明確でパクリ対象にならなかった。


当たっているポイントもあるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうね。