ゾンビ映画の系譜(4)
前にも少し書いたかと思いますが、ゾンビ映画の共通のお約束をさらに考えてみます。
今回は特に演出手法に絡む部分です。
何分、シロウトの考えなのでデタラメなところもあるかもしれませんがご容赦をw
(1)現代~近未来の出来事
(2)大勢の普通の人たちがゾンビ化して群れとなって生存者を襲う
(3)残虐・グロテスクな殺人&食人描写
(4)死体の比較的リアルな(リアルに見える・気持ち悪く見える)表現
(5)比較的狭い場所への立て籠もり
(6)政府・軍などの介入
(7)バッド・エンディング
まだいろいろあるかもしれませんけど、とりあえず思いつくまま挙げてみました。
大抵のゾンビ映画にこの全要素が入っていると思います。
こういった要素を分析してみると、時代背景や、映画界の事情が反映されている様子が見えてきたりします。
(1)現代~近未来の出来事
これは、低予算の映画として非常に都合がいい設定です。
なにしろ、そこいらにあるものをそのまま舞台や小道具に使ってもいいですし、少し未来のものということにして現実にはないものを創造してもよいので、あまり突飛でないことならば何でも許されます。ゾンビ映画においては、スタジオもCGも必須ではないのです。他の映画の小道具の使いまわしでも大丈夫です。
後に述べる要素とも絡みますが、低予算との相性が良いがために、80年代以降にゾンビ映画が粗製乱造されたんでしょうね。ビデオの家庭への普及によってレンタルビデオのコンテンツが不足し、映画館にかけることができないレベルの作品でもビデオ化すれば売れた時代です。
70年代末頃までゾンビ映画が少なかったのに80年代以降に大量に出てきたのは、70年代後半のヒット作「ゾンビ」の影響もさることながら、この辺りの商業的な事情があったのでしょう。
(2)大勢の普通の人たちがゾンビ化して群れとなって生存者を襲う。
これまた低予算映画にはとても都合がいい設定ですw
怪物もロボットも宇宙人も不要ですし、大災害も起こらなくて良い。
ただ、青塗りや白塗りでちょっと血糊がついたゾンビ歩きの人たちが大勢出てくれば恐怖シーンができるんですからね。バイトやボランティアのエキストラがいればよいのです。
また、大勢のゾンビを用意できるので、映画的なシーンを簡単に作り出すことができます。
低予算でできるだけでなく、映画作りの技術や経験がなくてもゾンビ映画ならなんとなく作ることができるということで、これまた粗製乱造には都合がよかったのでしょう。
ちなみに、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のときに既に役者の大半が素人でしたw
「ゾンビ」のスーパーマーケットで徘徊している人たちの大半が地元のエキストラですw
(3)残虐・グロテスクな殺人&食人描写
(4)死体のリアルな表現
これは今では当たり前のように行われていますけれど、昔の映画には見られない要素でした。
特に1960年代以前の白黒の映画ではまず見かけることがありませんね。
1930年代以降のアメリカの映画には「ヘイズ・コード」という倫理規定があり、セックス、犯罪、不道徳に関する直接的な描写はけしからんということで規制されていたことがその原因です。だから、昔の映画では裸体や麻薬使用、殺人のリアルな描写などはお目にかかることがありません。
アメリカ以外の国でならよかったんじゃないかといえば、その通りです。
だから日本では有名監督の有名な映画でも無茶苦茶血しぶきが出たりしていたんですが、アメリカで上映するつもりであればやっぱり無視できない規制だったでしょう。
このヘイズ・コードが撤廃されたのが1968年。まさに「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が世に送り出された年です。
(5)比較的狭い場所への立て籠もり
これは、低予算映画全般に見られる傾向ですが、舞台を限定すればロケもセットも不要になるので予算を大幅に節約することができます。少数の生存者が特定の場所に立て籠もるという設定は、低予算映画にまさにうってつけです。最小限の舞台としてコテージを1軒借りれば一応撮れますから。使っていない施設をそのまま利用しても撮れますね。
作品のクオリティを求めなければ、おおざっぱな台本だけ用意すれば3日くらいで撮ることができるかもしれません。実際にやってのける監督もいますしw
例えば、ゾンビ映画ではないですが、私がこれまでに見た商業ベースの恐怖映画の中では、オフシーズンの野球場を夜間に借りきって撮ったと思われるメキシコ映画「ザ・キャッチャー」というのもありました。ほとんど全編夜間の球場の中。もちろんキャッチャーの格好した人が殺人犯ですw
(6)政府・軍の介入
ここからハードルが高くなりますw
「地球最後の男」では既に軍隊の介入が描かれていました。大規模な非常事態ですから、当然のように出てくる設定なのですが、軍隊を描くとなると制服や装備、車両などの手配が必要になります。兵隊が少し出てくるだけで予算が大幅にアップしますので出来れば避けたいですね。
この点についても「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で既に解決策が示されており、地元の衆が組織された民兵?自警団?がゾンビ掃討活動をするとか、政府要人にすがるマスコミ(数人w)だとか、ラジオで情報収集する生存者たちとか、巧妙な手法で演出がなされ、直接的な表現が抑制されています。
(7)バッドエンディング
これも実は低予算映画には都合がいいことなんですよね。
ハッピーエンディングで盛り上げるには、きちんとした筋書きがないとなかなかうまくいきませんが、バッドエンディングはそうでもありません。安易なハッピーエンディングのふりをして最後にぶちこわすだけでも形になるように、とにかくアイディア一発でオチがつけられます。これまたクオリティさえ求めなければバッドエンディングの方が簡単にできます。ことが終わって外に出たらゾンビがいっぱい、というレベルでOKなんですから。また、バッドエンディングは、一般映画ではなかなか許されないでしょうけれど、恐怖映画では普通にアリということになっています。
これらの低予算映画向きな要素を適当にぶちこめば、なんとなくゾンビ映画ができちゃうわけです。
その商業化の素地ができたのが1960年代後半頃のことであり、それが本格的に売れるようになったのが1980年代初頭のことだったんですね。こうしてみると、ロメロ監督がこのジャンルを作ったというよりも、このジャンルが成立する素地をうまく捉え、時代に先駆けることに成功したのがロメロ監督だったと見ることもできるかもしれません。
そういう点では「13日の金曜日」シリーズについてもゾンビ映画と同じことがいえます。
総論みたいになっちゃいましたが、あまり細かく入っていくと長くなりますので今回はこの辺りまで。
今回は特に演出手法に絡む部分です。
何分、シロウトの考えなのでデタラメなところもあるかもしれませんがご容赦をw
(1)現代~近未来の出来事
(2)大勢の普通の人たちがゾンビ化して群れとなって生存者を襲う
(3)残虐・グロテスクな殺人&食人描写
(4)死体の比較的リアルな(リアルに見える・気持ち悪く見える)表現
(5)比較的狭い場所への立て籠もり
(6)政府・軍などの介入
(7)バッド・エンディング
まだいろいろあるかもしれませんけど、とりあえず思いつくまま挙げてみました。
大抵のゾンビ映画にこの全要素が入っていると思います。
こういった要素を分析してみると、時代背景や、映画界の事情が反映されている様子が見えてきたりします。
(1)現代~近未来の出来事
これは、低予算の映画として非常に都合がいい設定です。
なにしろ、そこいらにあるものをそのまま舞台や小道具に使ってもいいですし、少し未来のものということにして現実にはないものを創造してもよいので、あまり突飛でないことならば何でも許されます。ゾンビ映画においては、スタジオもCGも必須ではないのです。他の映画の小道具の使いまわしでも大丈夫です。
後に述べる要素とも絡みますが、低予算との相性が良いがために、80年代以降にゾンビ映画が粗製乱造されたんでしょうね。ビデオの家庭への普及によってレンタルビデオのコンテンツが不足し、映画館にかけることができないレベルの作品でもビデオ化すれば売れた時代です。
70年代末頃までゾンビ映画が少なかったのに80年代以降に大量に出てきたのは、70年代後半のヒット作「ゾンビ」の影響もさることながら、この辺りの商業的な事情があったのでしょう。
(2)大勢の普通の人たちがゾンビ化して群れとなって生存者を襲う。
これまた低予算映画にはとても都合がいい設定ですw
怪物もロボットも宇宙人も不要ですし、大災害も起こらなくて良い。
ただ、青塗りや白塗りでちょっと血糊がついたゾンビ歩きの人たちが大勢出てくれば恐怖シーンができるんですからね。バイトやボランティアのエキストラがいればよいのです。
また、大勢のゾンビを用意できるので、映画的なシーンを簡単に作り出すことができます。
低予算でできるだけでなく、映画作りの技術や経験がなくてもゾンビ映画ならなんとなく作ることができるということで、これまた粗製乱造には都合がよかったのでしょう。
ちなみに、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のときに既に役者の大半が素人でしたw
「ゾンビ」のスーパーマーケットで徘徊している人たちの大半が地元のエキストラですw
(3)残虐・グロテスクな殺人&食人描写
(4)死体のリアルな表現
これは今では当たり前のように行われていますけれど、昔の映画には見られない要素でした。
特に1960年代以前の白黒の映画ではまず見かけることがありませんね。
1930年代以降のアメリカの映画には「ヘイズ・コード」という倫理規定があり、セックス、犯罪、不道徳に関する直接的な描写はけしからんということで規制されていたことがその原因です。だから、昔の映画では裸体や麻薬使用、殺人のリアルな描写などはお目にかかることがありません。
アメリカ以外の国でならよかったんじゃないかといえば、その通りです。
だから日本では有名監督の有名な映画でも無茶苦茶血しぶきが出たりしていたんですが、アメリカで上映するつもりであればやっぱり無視できない規制だったでしょう。
このヘイズ・コードが撤廃されたのが1968年。まさに「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が世に送り出された年です。
(5)比較的狭い場所への立て籠もり
これは、低予算映画全般に見られる傾向ですが、舞台を限定すればロケもセットも不要になるので予算を大幅に節約することができます。少数の生存者が特定の場所に立て籠もるという設定は、低予算映画にまさにうってつけです。最小限の舞台としてコテージを1軒借りれば一応撮れますから。使っていない施設をそのまま利用しても撮れますね。
作品のクオリティを求めなければ、おおざっぱな台本だけ用意すれば3日くらいで撮ることができるかもしれません。実際にやってのける監督もいますしw
例えば、ゾンビ映画ではないですが、私がこれまでに見た商業ベースの恐怖映画の中では、オフシーズンの野球場を夜間に借りきって撮ったと思われるメキシコ映画「ザ・キャッチャー」というのもありました。ほとんど全編夜間の球場の中。もちろんキャッチャーの格好した人が殺人犯ですw
(6)政府・軍の介入
ここからハードルが高くなりますw
「地球最後の男」では既に軍隊の介入が描かれていました。大規模な非常事態ですから、当然のように出てくる設定なのですが、軍隊を描くとなると制服や装備、車両などの手配が必要になります。兵隊が少し出てくるだけで予算が大幅にアップしますので出来れば避けたいですね。
この点についても「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で既に解決策が示されており、地元の衆が組織された民兵?自警団?がゾンビ掃討活動をするとか、政府要人にすがるマスコミ(数人w)だとか、ラジオで情報収集する生存者たちとか、巧妙な手法で演出がなされ、直接的な表現が抑制されています。
(7)バッドエンディング
これも実は低予算映画には都合がいいことなんですよね。
ハッピーエンディングで盛り上げるには、きちんとした筋書きがないとなかなかうまくいきませんが、バッドエンディングはそうでもありません。安易なハッピーエンディングのふりをして最後にぶちこわすだけでも形になるように、とにかくアイディア一発でオチがつけられます。これまたクオリティさえ求めなければバッドエンディングの方が簡単にできます。ことが終わって外に出たらゾンビがいっぱい、というレベルでOKなんですから。また、バッドエンディングは、一般映画ではなかなか許されないでしょうけれど、恐怖映画では普通にアリということになっています。
これらの低予算映画向きな要素を適当にぶちこめば、なんとなくゾンビ映画ができちゃうわけです。
その商業化の素地ができたのが1960年代後半頃のことであり、それが本格的に売れるようになったのが1980年代初頭のことだったんですね。こうしてみると、ロメロ監督がこのジャンルを作ったというよりも、このジャンルが成立する素地をうまく捉え、時代に先駆けることに成功したのがロメロ監督だったと見ることもできるかもしれません。
そういう点では「13日の金曜日」シリーズについてもゾンビ映画と同じことがいえます。
総論みたいになっちゃいましたが、あまり細かく入っていくと長くなりますので今回はこの辺りまで。