復讐心というものは誰もが日常的に抱いているし,抱くだけでなく,それを実行に移すことも多い。
ただそれがその集団間で承認されているものかどうかという点で決定的に異なる。
承認されている復讐は多くの場合,復讐とは捉えられないし,実行する本人にもそれとは意識されない。
例えば,家族を殺された人が被告に死刑を求めることや,独裁者に対してデモを起こすことといったレベルから,公共の場での喫煙を注意するといったことや,浮気した恋人に張り手を食らわすといった個人のレベルまでさまざまにある。
反面,承認されていない復讐は周囲から責められ裁かれる。
復讐を実行する本人もほとんどの場合,口では認めなくともそれが悪だという認識はもっている。
復讐心が人間に不可避の感情である以上,それは発散させる必要があるが,それがうまく行えるかどうかで,その集団の中でうまく生きていけるかどうかが決まる。
承認された復讐のみを行える人は精神的に健康でいられるし,また,その社会,成員間で称賛される人間にもなりやすい。
教育は,当人と社会のために,承認された復讐を適切に見極め,実行する能力を身につけさせる場としても機能している。
なお,社会においては通常,上記のようなシステムは覆い隠され,「正しいかどうか」という観点から語られることが多い。