男と女の違い


答えにくい問に、男と女があります。信じていた男(ひと)に裏切られた。男は信用できなとお嘆きの女性がいらっしゃるんですが、信じるから裏切られたと思うんです。そんな次元の高い話しをしても、裏切られたなどとお嘆きの女性には、理解出来るはずも無いので止めて置きます。誰が、言い出したのかは知りませんが、男女は平等で無ければ成らないなどと言う無理なことを言いだしてから、女性の力が低下している様にラッキーには見えるんです。命のレベルでの尊厳は平等で無ければ成りませんが、もともと男と女はまったく違う生きものなんですから、何もかにも平等であれるはずが無いんです。


男は信用できなとお嘆きの女性に申し上げます。女は男を信じて生きる生きものではありません。女は男を問答無用で受け入れて生きて行く生きもので、男は女に甘えて生きて行く生きもだと言うことは、男と女がこの世に産まれた時から変わらない。そして子供を産むのは女だと言うことは、誰でも知っている決まりなんですが、その意味を知らない人が多い。親子の関係は、一方通行の愛で、子供への愛は見返りを考えない愛です。そのことを学ぶ為に親子の関係家族の関係があるんです。


そして浮気一つ出来ない不器用な男は、面白味は無いですよ。放って置いたらいいんですよ。現実問題としては、生活費も入れないで、よその女に入れ上げられたら溜まった物では無いと言うのもよーく解りますが、そんな男と御縁があると言うことは、そんな理不尽な暮らしを、貴女はどの様に受け入れて行くのかが今生でのテーマに成っているんです。


生まれて来る時にすでに設定されているストーリで、流れに任せるしかないんです。離別するもしないも設定されて居ますから、その流れを変えることも出来ません。女は生命エネルギーそのものですから、女が男を見離したら、男は生きて行けないと言う話しは過去にも何度も講釈していますが、平等だ、セクハラだ、不倫だなどと言う風潮が広まってからですよ、お粗末な男が目立ち出したのは、お粗末はお粗末成りに恰好つけて居たのが、お粗末を隠す隠れ蓑を失っては、ぼろを出すのは時間の問題ですよ。この様な風潮を作り出したのは、小説家が本を売らんが為のでっち上げで、善い目をして居るのは小説家だけですよ。


チカン、セクハラ、不倫、大いに結構、子供から玩具を取り上げたら子供は育ちませんよ。犯罪を産むよりも育てて下さいよ。そして女はスカートを履かなきゃ駄目ですよ、問答無用で。ハイヒールは女性のバギナだと言った有名な学者の名言もありますが、バギナは故郷ですからね。意味が解らんことを言い出しましたが、そう言うことですよ。NHKが視聴率を取りに行く時代に、こんな講釈をするんですから自殺行為ですよ。殺される前に一人くらいは助けてくれる女性が現れると信じているんですが、男は女を信じたら善いんですよ。大いに信じるべきなんですよ。でも、女は男を信じたら駄目ですよ、女は受け入れるただそれだけで、平和が訪れるんですよ・・・今日の講釈が呑み込める人はもはや、悟り人ですよ・・・


あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v


【ラッキーの一言】多くを求めると、ろくなことが無いのが人の世なんだなぁー


ラッキーでした(^O^)

偏見や差別が生まれる訳


何で、偏見や差別が生まれるんですか?小学六年生の女子からの質問です。ビックリですよ、小六で、ラッキー/ありがとう日記を読んでくれていると言うのは嬉しい限りですよ。追い先短い人達の、慰みものにしか成らないのかと肩を落として居たんですが、それは冗談ですが。四の五の言わずに簡潔に言うと、私達の命を同じ価値観で見ないことが偏見や差別が生まれる理由です。木の葉が風に舞い、大地に落ちて土に返る。すべては自然の根源に帰って行く。変わることの無い大自然のあり方です。


そのことを忘れて、自分だけは違うんだ、自分は特別なんだ、お金持ちだから不良長寿も夢では無いんだと、命のあり方に値打ちを着ける癖が付いてしまったんだね。お金と言う便利なものを使う様に成ってから、人間にランクを着けて、区別することから差別が生まれたんです。区別が生まれると価値観もそれに準ずると言う流れが生まれるでしょう。そこから偏見が生まれて来るんですよ。偏見とは偏ることですからね。


みーちゃんも、はーちゃんも、お金持ちも、貧乏人も、同じ値打ちの命が宿っていてそれぞれが、それぞれの光を放ってお互いを照らし合っていることを忘れてしまっているんです。そのことを解らなくさせて居るのが競争心理なんだね。問答無用で、勝利した者が優れている人で、負けた者は愚か者と言うことにしてしまったんです。西洋の物質文化を取り入れてからと言うものは、区別や差別を面白がるようにさえ成ったんです。格差を喜ぶ愚かな人間に成り下がって行ったんですよ。人殺しを文化人と呼ぶアメリカの話しを以前に講釈しましたが。上っ面では、差別は愚かなことだと言いつつ、本音では格差を喜んで居るのがバブルの時代に活躍した人達ですよ。若い人は、進化して居ますが。定年退職をして暇を持て余して居る用無しの人達の中には、偏見や差別が血液の中にまで染み込んで居てあか抜けないのが四の五の言って居ますよ。


ありゃー朝鮮じゃろうがなんてね、屁の様な顏をしたのが言って居ますよ。五十年前はね、朝鮮人の人達はもの凄く差別されて居たんですよ。馬鹿にされ、罵倒されて懸命に生きた時代が、日本のあちらこちらで見られたんですよ。馬鹿にされる度に、朝鮮、朝鮮言うて パカにするな。同じ飯くって とこ違う。なんて反論して居たのを昔はよく目にし、耳にしましたよ。その度に、愚かな日本人に子供心成りに腹が立って居ましたよ。そうやって馬鹿にして居た人達も自分達が生活に困ると、助けて下さいって泣つくんですよ、馬鹿にしていた朝鮮の人に・・・


今と成っては、誰が良い悪いじゃなくて、どの様に生きることが穏やかに暮らして行けるかだけを探し求めたら善いんじゃないかとラッキーは思っているんですよ。何となくでも解って頂けたら幸いです・・・・


あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v


【ラッキーの一言】夢を見る時代は終わりを告げ、目を覚まして目の前のことを大切に出来る人が素敵な人生に成る人達なんだなぁ


ラッキーでした(^O^)

生まれた時に戻る


初めて、お便り致します。ラッキーありがとう日記は、始めから三度繰り返し読ませて頂きました。その度に新たな気づきに出会い、最近では、心は落ち着き周りの人達からも最近変わったねって言われるように成りました。勇気を出して質問します。ラッキーさんは、よく良寛さんの話しをされ、ラッキーさんもまた、侘び住まいを好むと言われますが、それは経済的な理由以外に、どんな良さが侘び住まいの中にあるのでしょう。様々な視点から自分なりに考えては見たんですが、その答えに辿り着くことが出来ません。なぜ、侘び住まいを好むのか?よろしくお願い致します。


この世に生れ出たと言うことは、魂を磨くことが目的なんですね。他人の役に立つ自分を目指す。他人に喜んで貰える自分でありたい。これらは、魂を磨くことに繋がっていることなんですが、魂を磨くとは、心をスッキリさせること、拘りや執着をどんどん手放して行き、欲の部分をコントロールして行くことで、シンプルに成ればなるほど波動は強く成るんです。地球から離れれば離れるほどにシンプルに成って行きます。地球に近づけは近づくほどに具体的な形に成って行くんです。


他の言い方をするならば、人から離れれば離れるほどにシンプルに成って行き、人に近づけば近づくほどに具体的な形に成って行くんです。シンプルとは簡単、簡素、単純と言った意味で、具体的とは、形を作り出して存在を見せることです。主張と言っても良いかもしれません。映画や小説の世界でも、昔はロング人間から離れた位置で人間を見て居た。だから美しかったんですが、段々と物足りなく成り、人間のことを詳しく知りたく成り、人間に近づきクローズアップして行くほどに、グロテスクなものを見る様に成ったんです。人間に近づけば近づくほど、ドロドロとした物が次から次へと溢れだし、最近では人殺しも珍しく無く成って居るでしょう日本でも・・・


私達の波動がどんどん荒く成り、次元が下がって行っているんです。人里から離れた生活、便利の良さに頼らない生活と言うのは、自分自身をシンプルにして行くと言うことを目指しているんですよ。ラッキーもかつては、贅沢三昧の暮らしをして居た時代もありますが、悟っては居たと思うんです。贅沢な暮らしよりも、シンプルな簡素な暮らしの方がやっぱ落ち着くことも知って居ましたから。女性もしかりですよ、表面的に綺麗にしている女性にも沢山御縁はありましたが、我がままで贅沢な女性は疲れますよ。何かにつけて形を優先し、ヒステリックな人も多いですしね。


形を飾るのが駄目だと言う話しでは無いんですよ、目に直接見えるものよりも、心が感じる落ち着いた世界の方が穏やかで居られると言うことに価値を求める様に成っているんですよ、年齢と共に。これは体力とも関係があると思いますけどね、若い頃はハードロックの音の中に居ても、へっちゃらだったのが、今では、三分と持ちませんよ。ロックの音楽でも綺麗に洗練されている音は大丈夫なんですけどね。例えば、ベンチャーズの様なロック・クラッシックなんかは三分以上聞いて居られますよ。ロック・クラッシックとは、ラッキーが勝手に言っているだけなんだけれどね。


人間がこの世に生まれ出た時は、もの凄くシンプルなんですよ、どんな人でも。それが、あらゆるエゴのエネルギーを浴びている内に、どんどん流されて形式的に成って行くんですよ。何でも形で判断をする様に成って行くんですよ。形がある方が解りやすいと言えば解りやすいんですが、それは心で物を見たり感じたりすることを止めてしまっているからで、目に見える形に頼る暮らしが染み込んだ結果なんだけれどね。目が見えない人は、目に頼れないから、その他のセンサーをフルに使って様々なことを察知して居るでしょう。講釈が長くなりましたが、一番の理由は、穏やかに静かな暮らしがしたいと言うことですよ、出来る限りシンプルに成って今生を卒業したいと言うことです。


あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v


【ラッキーの一言】波動を上げる三つの条件は、あらゆる拘りを捨てる。行動に移す。深い部分の自分が望んでいることをやる。


ラッキーでした(^O^)

人生は回り舞台


人生は、演劇によく例えられますが、解りやすい例えだと思います。主役が居て、脇役が居て、照明係が居て、大道具が居て、監督も居れば助監督も、台本書きもいる。この様に多くの取り巻きの人達が居て、映画や演劇は成り立っているんですが、私達の日常もまったく同じでしょう。スーパーで買うものも、他人が作った物を、お金を出して買う。今は、お金さえあれば、大概の物が直ぐに手に入るから、様々な人達のお陰で自分達も成り立っていることに鈍感に成っているんですが、みんな自分が主役だとも思っているんと違うでしょうか。主役ばかりだと、演劇も人生も成り立たない。脇役の面白さ楽しさを知ると、人生が楽に成ることを知って貰いたい。



エリートばかりが人生じゃない。エリートコースを走る者は、息の詰る人生が好きな人に任せて置いて、脇役に徹してみるのも面白いと思いませんか。日本人は脇役が苦手ではないと思いますよ。世の中がもろ手を上げて評価することを、重視しなければ誰もが安気に生きられることを知って貰いたい。生きる喜びは、エリート達だけが味合うものではないことを知って貰いたい。焼肉に行っても、カルビやロース以外にも、美味しい処は沢山あるでしょう。隠れて居て目立たない処に味わい深い人生の美味があるのと違うでしょうか。



ステップ細胞の問題を見聞きして居ても、己の利益と名誉を守る為に、こ汚い駆け引きをやって居るでしょう。まるで吉本新喜劇を見ている様な筋書きですよ。自分達の思う様に出来ると思って、ほぼ無条件で採用した小娘を、今は悪者に仕立て上げるのに懸命に成っている姿は、吉本新喜劇のドタバタ劇そのものですよ。「生き別れた我が子を探しますか」。このお姉ちゃん、なかなかの心臓をして居ますよ、あの顏で。今は亡き、夏目雅子さんのセリフの様に「おまんら、なめたらいかんぜよー」と、一声上げたら受けるだろうなぁー、次の日から、スター街道がまっしぐらかも知れませんよ。



朝刊は、一面で取り上げるだろうなぁー、「ステップ細胞が吠えたって」。タイガースが吠えても、猫にしか見えないけれど。世界中のメディアが一面で取り上げる、良いじゃないですかー、ぱっと咲かせてぱっと散るのも粋なものですよ。モグラ叩きで叩かれるモグラが噛みつく、ジェリーもトムに噛みつくから面白かったんですよ。東京音頭で、ぱっと咲かせましょうよ。今日は、ぱっと咲かせる話しだったっけ・・・この様に派手に生きるのも人生ならば、縁の下に隠れて地道に真っ当に生きるのも人生で、どちらが味わい深いかは、各々方が感じるままに決めて頂くと言うことで、本日の講釈はこの辺りでお開きと致します。



あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v



【ラッキーの一言】生き急ぎせず、死に急ぎせず、安気を味合う人生も善いものですよ・・・



ラッキーでした(^O^)







絶対と言い切れるもの


日記が、終わる前に宇宙の話しを書いてくれと言うコメントを頂いて居るので、宇宙のことって言っても、偉大な宇宙の何を書けばいいのかと考えて、頭に浮かんだのは、宇宙の真理で絶対と言い切れるものことを書けということでした。人間が作り出した物で永遠に変わることの無いものは無いでしょう。この大宇宙の真理である絶対に不滅であり、変わることの無いものは、投げたものが返ってくると言うこと。と、すべてのものは絶えず変化を続けて居て、一時たりとも止まることが無い原理法則で動いていると言うこと。これは絶対と言い切れるもので、これ以外に絶対はありません。


では、絶対の反対側に位置する、不確かなものとは何か、人間が試行錯誤している科学です。ラッキーに言わせれば、科学とは不確かなものの代表です。発明王と言われた、「正木 和三」氏は、科学は低次元の宗教だと明言して居ます。別に科学に恨みがある訳じゃないんですよ、講釈のおかずとして取り上げているだけですから、科学の信者さんは気を悪くしないでくださいましよ。何を杖にし、道しるべにするかは個人の自由ですから。


この絶対と言い切れるものは、常に変化していると言う処がポイントなんてす。人間の寿命もしかりで、台風や竜巻もひとつの所に居座って動かないと言うことは無いでしょう。日本では、どんなに暑い夏でも、秋が来ると立ち去ります。どんな寒い冬でも、春に成り花が咲くと、いつの間にか寒さも立ち去ります。人間の暮らしもそうでしょう、どんなに偉くて偉そうな人でも一時ですよ、どんなお金持ちでも三代で終わりですよ、永遠に財産を守ることなど不可能でしょう。


天の理、自然の理にしたがって生きることは、すべての命のあり方であり、常に変化して行くものだと知り覚悟を決めて、日常を生きることが私達の大道なんです。この地球でさえも、一時たりとも変化をしないで存在することは不可能で、大宇宙の絶対の真理から私達人間のあり様を見たならば、ちっぽけなチリにも満たない存在が、善悪を決めて四の五の言っても永久に守れるはずが無いじゃないですか。四の五の言っている内に枯れ果てて消え去って行く定めから逃れられるはずも無いじゃないですか。


そのことを知るまでに、達磨大師は壁に向かって坐って九年の年月を要したと言います。奈良の大仏は1200年坐って居りますが、未だ、悟らないのか相変わらず坐ったままです。ラッキーがこの様なアホ事を言いだしたと言うことは、本題で言いたい事は講釈して終わりましたと言うことで、この大宇宙の法則を肝に銘じて、物事を見聞きし、法則を下敷きにして考えられる様に成ったならば、つま先立たないあなたに変わり、今までよりも随分と楽な生き方が出来るように成るんで御座います。


私達の住む地球には、生まれも育ちも地球の魂も居れば、他の星から移住してきた魂も沢山入り混じって暮らして居て、死後はそれぞれの星へお帰りになると言うのが決まりの様です。私達の三次元と言う次元で、お月さまを探索しても、あの世が見えない様に、月に存在している生命には出会うことが出来ません。そして地球よりも次元の高い星は、銀河系だけでもその星の半数以上が地球の次元よりも高い次元で存在して居て、地球よりも次元は低くても、科学的な物の進歩は地球よりもしている星が無数にあり、それらの星同士が争いに成らない様に宇宙連合成る組織も存在して居て、地球の中の私達の暮らし方とよく似ているんです。あの世の世界も、この世と同じ様なビラミッド型の配列の組織が運営していて、そこで波動が下がって来ているから、この世が殺伐として来ているんです。


この世は、あの世の写し絵で、日本は地球のコピーなんですよ。世界中の環境を日本列島で体験することが出来るでしょう。北は北海道、南は沖縄で、四季と言う季節を通じて、暑い処、寒い処、その中間、この様に地球の自然の環境をシュミレーション出来る国は、日本以外には無いでしょう。それは、日本(大和)と言う国が、人類がこの地球に存在した時に、大いに関係があった国だと言うことの証でもあるんです。神の国と言うのは、伊達ではなんですよ・・・興味のある人には、尽きない話しではありますが、この辺りで失礼致します。


あなたの幸せと健康祈ります(^^)v


【ラッキーの一言】六月末で、日記は休止しと成りますが、楽天の、ラッキー/ありがとう日記を最初から読めば、必ずや新たな気づきと、心の安らぎを得ることが出来ると思います。


ラッキーでした(^O^)