追悼・宮路武 | 遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」

追悼・宮路武

 四半世紀にも渡り、同じゲーム作りに携わる者として、時々仕事上でも縁の深かった宮路武君(タケちゃん)が、去る29日に亡くなった。

 最初に出会ったのは雀荘だった。淡々と打つタケちゃんなんだけど、メガネの奥の目はいつも笑ってたのが印象的。その後、時々雀荘で出会う麻雀仲間だったのだが、確率的な読みとリスクを考えた勝負が堅実だったなぁ。どちらかと言うと勝負師だけどね。


 その頃は兄・宮路洋一君(兄くん)と一緒にゲームアーツをやっていて、池袋の開発に遊びに行ったこともあった。「ぎゅわんぶらあ自己中心派」のゲームとかを作ってる奥から、
「遠藤さん、見て見て、これ!」って無理やり見せられたのが「シルフィード」の開発バージョンだったんだけど、
「すごいでしょ、これフラクタルを使って地形作っているんだ!」って細かく説明してくれたんだけど、その時遠藤は思ったのだった。

「今は遠藤もプログラムも書いてるけど、ここまでプログラムに情熱は傾けられないや」ってね。ちょうど「ファミリーサーキット’91」や「ワールドサーキット」なんかで、まだまだプログラムも書いていた頃の話。兄くんもタケちゃんが居たからアグレッシブに動けたんだろうね。


 本当に時々会って熱くゲームの話をしあう仲だったのだが、2000年に「21世紀に残したいゲーム」という雑誌の特集企画で一緒になった時に、

「これからは携帯電話でゲームをする時代になると思って、こんな会社を作りましたよ!」ってジーモードの名刺を出して来た。遠藤も携帯電話のゲームに注目していたところだったので、雑誌の取材が終わってから色々話をして「面白そうだな」と言ったら、次の日に開発器材を送ってくれた。

遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」-G-mode創業1周年
 黎明期の携帯電話アプリは作るのがすごく面白かったね。上の写真は携帯アプリが配信され始めた頃の写真、この頃はどうやって低スペックの携帯電話でゲームを動かすのか、とにかくパズルを解いてるみたいな仕事だったのを覚えている。タケちゃんが作ったゲームに、遠藤が曲を付けているとかのタイトルもあったかな(笑)。
遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」-NOKIA S40のラリーゲーム
 その後、ジーモードが海外展開に力を入れるというので、色々と手伝いをしていたのだが、その中で一度だけ、あまりに端末のスペックが低くて、開発者諸君が投げ出したタイトルを2人で作ったのは面白かったな。とにかくタケちゃんがプログラムの高速化をするのだけど、遠藤がグラフィックデータの持ち方とか、コリジョンデータを高速サーチに対応するフォーマットに変えたりとか、双方で相手がこちらのやろうとしていることを理解し対応できる前提で、スネを削り合うようにビット単位の高速化をやったですよ。
 上のアニメーションがその時作ったゲームのスクリーンショット。国内版もあるので、遊んだことがある人もいるかもね。

遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」-2005年「三国志年代記」を作ってた頃
 2005年に遠藤が「三国志年代記」というゲームを作って、三国志マニアのタケちゃんにプレイヤーとしてやってもらったってのもあったね。豪華なデバッガーなんだけどw、ヘビーユーザー並みのゲームリテラシーを持っていながら、ライトゲームの本質を理解していて、ちょうど同じような指向を持っていたんだろうと思う。
遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」-CEDEC2008ではモバイルセッションを一緒にやった
 2008年のCEDECでは、モバイルゲームを総括的にゲーム開発者に紹介するセッションを2人で担当したこともある。タケちゃんは人前に出るのを恥ずかしがる方なんだけど、一度出ちゃうと熱く語る人だったのだよ。なので遠藤としては、ことあるごとにタケちゃんを人前に出してたかも。特に「我々」という言葉の出現度が高かったのは、人との和を重んじていたんだね。
 それで言うと、まだ誰も「ソーシャル」という言葉を口にしていない時代に、コミュニケーションとコンテンツの融合を考えていて、それを「ソーシャル」と呼んでいたのはさすがの先見性だった。
遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」-ごきげんチャンネルという動画コメントアプリ
 それを形にしたのが、動画上にコメントを表示していく「ごきげんチャンネル」というサービス。各種モーションを使えるアバターが画面下に出て、それが吹き出しでコメントしていくという、今のニコ生みたいなサービスだね。多くのユーザーが、ワンセグのテレビ放送を一緒に見ながら、コメントして盛り上げるというものだったんだけど、ワンセグ放送のメインストリームが今は携帯電話に移っていて、サービス自体は終了してしまった。動画としてのアーカイブが残されているので、興味のある人はこちら
遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」-G-mode10周年パーティーにて
 昨年、病気で一時入院していたんだけど、退院してからは何かしょっちゅうカミさんとゴルフ行ってたりとか、それでもちゃんと仕事はしてたりとか、たまにゲーム談義もしていて元気だったのに。とはいえ、大のビール好きで、絶対割り勘で居酒屋なんか行きたくない1人だったのが、暴飲しなくはなったかな。最も年齢考えると当たり前なんだけど。
 上の写真はG-modeの10周年パーティーで、結局ゲーム談義になって「我々が今後・・・」とやってるタケちゃん。別に遠藤はタケちゃんの言う事を聞いていないわけじゃないぞ、念のため。


 遠藤が亡くなったと知ったのは、本日のG-modeのリリースでなんだけど、日本のゲーム史の一角を担う人物だったことはファンの人なら忘れないと思う。常に新しいゲームの形を模索していた盟友の分まで、今後も日本ならではの新しいゲームを考えていきたい。