今日は書きたいことがたくさんある

書きたいことというのか

綴っておきたいことなのか


何から書けば良いのかわからない


とりあえず、野球いった

スケボーいくか迷ったけど

めんどくさくて

病み上がりで


急遽、なんかわからへんけど

いこーと思って

でも、全然野球いってくれる友達いなくて

1人で行ってきた

途中雨も降ったりやったけど

快勝でよかった








シーズン初観戦でした


そして鶴見駅でポルシェのパトカーがおった

フィルムで撮ればよかったと後悔












やっぱ911はカッコええな



___


話はガラリと変わってしまうが

先ほど、祖父が亡くなったと父から連絡がありました。


つい昨日、母から体調が良くないと連絡があり

まさかそんな次の日に


実は今日の昼に野球に行こうと玄関でたときに

父から危ないかもと。

連絡が来て


急遽、病院向かってるみたいで

昼にテレビ電話するからと


そこで野球観に行くのは一旦やめて

神戸にすぐに帰るか迷いました

ってかそこですぐに、後悔したくないので

帰省する準備をして

洗濯もして


とりあえず、テレビ電話が来る時間まで待機してました


まさか昼に見た顔が最期だったなんてと

今思うと悲しくて仕方ない

まだ元気そうで、酸素につながれてたけど

何を話してるかわかんなかったけど

元気そうやったのに


父にも帰ったほうがええんじゃないのかというだけど

まーテレビ電話した時にも元気そうやったので

せめて、GWの車で帰る頃くらいまでおってくれたらと思ったけど

ダメやった

テレビ電話してちょっと安心したと同時に

どこかに気を紛らわせたくて

野球に行ったのもあるかな


父にも元気そうやったし

帰ってこんで大丈夫やと言われてもたから余計にな

まさかこーなるとは

また後悔してしまった

無理やりでも帰っておけばと


母方の祖父が亡くなった時は

中2中3

いま、思えばもー10年くらい前なのか

早いけどあの時もよく覚えてる

あの時は、まだガキやったから

そこまで死というのを身近にも感じていなかった

深夜、2時か3時くらいに急に起こされて

家族で急いで、病院に向かったのを覚えてる

ギリギリ間に合わなかった

また身体は温かかったけど徐々に冷たくなっていったのを今でも覚えてる

その時も、体調悪いのはわかってたけど

これが最後かも。というような気持ちで会っていないような感じでもあった

まーまだ14かそこらのガキやしな


そして母方の祖母が亡くなったのは

2年前やったかな

コロナ禍で、ほとんど会えずに別れてしまった

結局、一番可愛がってくれてよく遊びにいったばあちゃんには、わし東京やから通夜にも葬式にもいけなかったな



そして、今回は父方の祖父や

野球好きすぎるじじいや

一日中、野球や

朝は、メジャーや

昼はなんや高校野球か社会人なのか

そして夜は大ファンのジャイアンツ戦や


まーじで一日中、野球しかみてへん

今回、入院して家帰りたい帰りたい

言うてた

なんでやと

野球観たいから帰らせてくれと

それくらい野球が好きすぎるんや


俺が小学生くらいから、脳梗塞で倒れたりして

もーいつ逝ってもおかしくないくらい

よく病気してて

それでもなかなかしぶとく生きてたんや


野球の思い出しかない

まだ俺が野球をあまりちゃんとわかってなかった時に

公園で一緒に野球して

打って三塁に走ったのをよく覚えている

幼稚園から小1くらい


なんでや

なんであんな小さい頃やのに

こんな些細な記憶があるんやろ

不思議ですね

あとは、団地の小さな公園でキャッチボールをしたこと。

わたしはまだ全然投げられなかったけど


そして、ボロボロのグローブをもらって

それで少年野球に入る前は、野球してた

あとは、ソフトボール用の昭和のバットをもらってそれで野球してた

道具をよくもらってたけど、全部ボロボロ

なんかキャッチャーの面ももらった昭和のやつ

今思えばめちゃ昭和やったなあれ

あとすんげー何十年も置いてた

グラブに塗るオイルももらった


少年野球の試合も観に来てくれて

わたし、小学生ながらちょっと照れ臭かったぜ

杖をつきながら、トイレいってたの覚えてる


中学はわし、あんま試合出れてなかったので

たぶん、見に行ってないかも

覚えてないだけで来てたのかもしれへんけど

わからん


高校野球は、わりと見に来てくれてた覚えがある。

試合がよく、明石とかそこらへんでもやってたので見に来てくれてた

大学は一回だけかな

たぶん


大学で野球嫌になって留学いって

戻って野球をもっかいやろうと思ったのも

俺が野球してたらじいちゃん喜んでくれるからってのもあって

まー大学はイヤイヤでしたけど

じーちゃんのために続けてたのもあった


そして、社会人になってからも

長期休みのときにしょっちゅう帰省するのはいつ会えなくなるのか

わからないのでその度に、祖父母の家に行ってました

でも、ここ数年は変わらず

今年の正月にあってもいつも通りで何も変わらず


でもいつも別れる時はこれが最後かもと

よく握手をして帰ってたけど

結局、しぶとく長生きしそうやなとは思ってたねんけどな

そして、よく言われるのは

彼女できたのか。いつ結婚するんや。と

親よりも聞いてくることや

それも後悔の一つや

ひ孫の顔でも見せたかったのにな

もーずっと見たそうやったもん

せめて、次の帰省までは生きといてくれや

車みせたかったな


直接会ったのはお正月が最期か

あんなに元気やったのに

まさか今年逝くとは

一緒に墓参りいったのについに入ってしまうのか

いろんな思い出があるの

俺がおやつが好きで甘いものが好きなのは

もー爺ちゃんと親父の遺伝や

そーいや、俺が幼稚園くらいまでタバコ吸ってたな

脳梗塞なってからやめたけど



今日の話に戻るが

夜になって

父から危篤って連絡きて

今日帰ればよかったと後悔したし

そこから何をしてても落ち着かへん

まだ逝くなと

ただ願うだけ

想うだけでした


昼に話した時には

くたばるには早すぎるって言うたのに

長嶋茂雄なんかまだしぶとう生きてるから

まだ早いって言うたのに


逝ってしまった

ただ帰省するたびにできる限り会いに行っておいてよかったし、お話もできてよかった

今日、電話もできてよかった


とりあえず、最後のツーショット写真

2024.01.02




そして6年前にあわじ花さじきに行った時

この時、たこ煎餅の里にいって

ポッケに試食をいれてたのがすごく面白かったです。

今思うと俺の食べ物のガメツさは祖父からやな



あと、ただただ俺が可愛い写真を添えて





亡くなった日に野球観戦いったのも何かの縁なのかもしれない。

じいさんの好きなジャイアンツは負けたけど。