12年前、初めてMBTI性格診断を受けた時から、一度も変わったことがない。 いつもINFP。

 

 

 

詳しく見るとこんな感じ。

時々パーセンテージが有意義に変わることもあるが、それでもINFPの範疇内で変わる。

いつも同じタイプが結果に出るので、むしろmbtiが変わったという人たちが不思議だ、、、

 

 

 

実はmbtiだけで人を規定することはできないと思う。 80億人を超える全世界の人口をどうやって16種類の性格類型に分けることができるだろうか、、私だけでも常に検査結果はINFPだが、INFPの特徴の中で全く共感できない項目がある。しかし、人間は自分がどんな人なのか、他人がどんな人なのかを規定するのが好きだ。 誰でも「私は誰か」という質問を持って生きていくが、その規定方法の中でのMBTI、これより明確で面白くて魅力的なものがあるだろうか!

 

MBTIは合っている点も確かにあるが、警戒しなければならない点もある。
誰にでも適用可能な性格描写を見て「これは私の話だ! これは正確だ」と信じやすい。 心理学的にはbarnum effect。例えば「あなたは他人に尊敬されたがります。」のような項目。 誰にでも当てはまるが、「これがあなたの性格です~」と言われるとそれを「私の性格」として受け止めるようになるとのこと。

意図的であろうとなかろうと、自分の実際の姿よりは自分の理想、なりたい姿に答えることができる。
自分を規定しようとする努力で自分の性格タイプについていく場合がある。 「私はINFPだから、こういう行動と こういう考えをしないといけないの。」のような、、

相手をあまりにも簡単に決め付けてしまう。 内向型だから社会性が足りないだろうなど。

 

人はそんなに単純ではない。 人には常に両面性があり、様々な状況がある。二者択一/二分法から来る危険性があまりにも大きいということを考えなければならない、、(私も人間関係で常に反省して気を付けてる点だ。 二分法は危険すぎる)

よく接することができるのが、同じタイプの2人から現れる異質性を説明することからも難しすぎるのだ。 ある程度は科学的な部分もあるが、あまりにも没頭して盲信するのは気をつける必要があると思う。

 

でも面白くて流行ってるから! ある程度軽く楽しむことは他人との関係で肯定的な面もあると思う。

 

 

1. I(内向型)ー E(外向型)

 

私のMBTIとパーセンテージを言うと、周りの皆が驚く部分。まさに内向-外向だ。 最近、職場で知り合った人たちは、一様に私のことを「絶対E(外向型)」と推測した。 初対面なのに目を合わせながら話が上手で、よく笑って楽しそうだという。 一言で社会性があるように見えるということだ。

 

このように一般的に内向型は「shy」な、社会性に欠ける人と見なされる場合がある。 友達がいなくて、無口で、適応が難しい姿で。 まあ、全く間違った話ではない。 率直に言って、私も鍛えられた社会性を持っているだけだ。 大学1、2年生の時までは友達が誰もいない環境では新しい友達を作ることが難しかった。 だが、友人が一人できれば、その友人を通じて人間関係をよく拡散していった。 しかし、これも私に先に声をかけてくれて、関心を示してくれる人限定。 今も実は初めて会う人に私が先に近づくことはない。 興味がないからでもあり、恥ずかしいからでもある。

 

普通、外向と内向の違いが表面的にはこのような違いに感じられる場合が多いですが、最も重要なことは、MBTIでの外向、内向の区分はエネルギーを得る方向だということだ。 外部からエネルギーを得るか、内部からエネルギーを得るか。 内向型には静かな空間で静的に一人でエネルギーを充電することが最も効率的だということだ。 一人で公園を歩いたり、美術館に行ったり、美しい風景を見たり、横になっていること。 これが私にとって最も確実な休息だ。 人に会う日があれば、絶対に人に会わない日がなければならない。 最近も休日には私を呼ぶ友達とだけ会う。 基本は一人で遊ぶこと。 私が先に提案することはほとんどない。 しかし、友達が先に呼んでくれれば、心から楽しく遊ぶ方だ。(人の多いところに行ったり、体力的に疲れたり、長時間遊ぶと家に帰りたくなったりする。笑)一緒に多くの経験をしてみたい相手には、あれこれ提案をする時もある。 たまにだけど···

 

 

 

上から内向型、外向型だ。 本当にこの絵の通りだ。 友達に会って遊ぶことはとても楽しくて意味があるが、決して休息ではない。 1年間一人で部屋にいることは可能だが、1年間毎日遊ぶことは不可能だ。

 

 

 

確かに外向型の友達は休日になるとどこかに出かけて友達に会って遊ぶようだ。 来週、再来週まで友達との約束で日程がいっぱいになっている人も見たことがある。 私には絶対理解できない。(笑) そんなに頻繁に人と会うと、放電して大きな無気力に襲われるかもしれない。 しかし、いつも一人でいたいわけではない。 好きな人たちとの時間がとても価値があって楽しいので、私を呼んでくれると面倒だと思う時もあるがおかげさまで特別な日常を送る。率直に言って、これも私がエネルギーを使う人かどうかを区分する。 好きじゃない人が約束を作ろうとすれば死んでも行かない。^^;;;

 

 

 

2. S(観察型)ー N(直感型)

 

 

内向と外向の区分がエネルギーの方向だとすれば、観察と直観の区分は認識機能だ。 何かを受け入れる時、無意識に認識して習得する方式だ。 単純に言えば、経験と現実を見るか(S)、想像と可能性を見るか(N)の違いのようだ。

 

今は生きながら色々な失敗と経験をしたので、Sの姿が必要だということを知っているが、数年前までは本当にNそのものの人だった。 悪く言えば現実の中で生きることができなかった。 いつも夢と非現実を見つめながら生きている感じというか。

ただ、好奇心が本当に多かった。 日常の中の一瞬一瞬の疑問はいつもメモしておいて寝る前に検索した記憶がある。 しつこいほど好奇心が高かったようだ。 特に人間、死後の世界、哲学、宗教などのように目に見えない部分に対する好奇心は子供の時から常に多かった。 そのような関心の延長線として大学で哲学を専攻したが、大学の時期には様々な不安と学問に対する無関心が重なり、授業をよく受けなかったのが少し残念だ。毎日連絡する哲学科の友達とは本当に毎日そのような話をする。 昨日はキリスト教に関する話をした。 友達の宗教がキリスト教なので、いつも疑問に対するヒントや素材を得ることができて嬉しい。 いつも結局は「それってあり得る?」'で終わるけど。笑

 

 

最近も顕在化していないことへの好奇心が多い。現象をありのまま眺めるよりは、その中にある事情が気になる場合が多い。「なぜ?」という言葉はいつも口癖だ。 ところでこの「なぜ?」という質問が相手に攻撃的に感じられる時もあるようだ。 私は本当に気になって聞いていたが、友達が今怒っているのかと聞いてとても慌てた。 当時の私は、相手の行動に特に心残りもなく、怒ってもいなかった。 ただ、その行動の原因が気になった。 その原因が何かによって気分が変わるわけでもなかった。 単に気になっただけだ。 でも相手にはそれが感情的に見えたり負担に感じることもあるんだ.. と思いながら反省した。 私が気になるからといって全部聞くのはだめだ。 やはり人生は反省の繰り返しだ。それでも、何かがあれば一人で判断するよりは、できれば相手に聞いてみた方が良いと思う。 それが事実的な側面であれ行動の意図であれ··· 勝手に考えて、実は私の考えと全く違う時が多かったから。

 

 

 

これも本当に共感できる。 飛行機や高速バスに乗る時、いつもこのような考えをする。 いつも遺言状を書いて持ち歩かなければならないのかという考えまで。 今日だけでもこんな想像をした。 「雨が降っているのに美術館に行く途中に滑って転んだらどうしよう? それで怪我をしたら韓国で治療を受けなければならないのか? 周りに人がいたら手伝ってくれるかな? 119を呼んでくれるかな? 私が入院したら日本の友達がお見舞いに来てくれるかな? お見舞いに来たら何が起こるだろうか?、、、」

 

 

 

3.  T(思考型)ー F(感情型)

 

 

 

涙もろいかと言うと、そういう方だが、思ったより簡単には泣かない。 一人でアニメを見ていると、たまに涙が込み上げてくる。(笑)20代前半まではたくさん泣いたと思うけど、今はいろんな波風を経験して鈍くなったのかも。 でも友達が泣いたら私も一緒に泣く。 大切な人が泣いたら本当に泣かずに慰めてあげたいが、友人が泣くその姿からとても心が痛くて反射的に涙が出てくる。 日本に来て私が悲しくて涙を流したことより大切な友達が泣いて泣いたことがもっと多いかも(笑)

 

子供の時から親しくしてきた友達はFがはるかに多いことは確かだ。 繊細できれいな言葉でお互いを守ってくれる「暖かい」人が好きだから。 しかし、Tタイプであるにもかかわらず、長い間親しくしている友達もいる。 ただTがFと関係を保つためには、Tに相当なレベルの賢い頭が必要らしい··· TかFかは別として、お互いに傷つけたくはないはずだから。 賢いTたちはどんなことを言うとFが傷つくのかをよく知っている。 聞き良い言葉だけ言ってほしいというのではなく、傷つくような言葉だけ避けてくれれば良い関係になれると思う。 むしろ私も感情的な共感より現実的な助言が必要な時、Tの友達にたくさん頼ったりする。すると、Tの友達は本当に現実的で役に立つ助言をしてくれる。 時々こちらのほうが心の安定を与えてくれるというのが面白いところ。

 

 

TとFが聞くと好きな言葉だそうだ。Fにはハートをあげるけど、Tにはパンをあげるのがとても面白い。 Tは確かに感情に対する言葉ではなく能力に対する認定が必要だね··· 私は例えば仕事が大変だったがよくやり遂げたとしたら、「仕事がとてもよくできたね」というよりは「頑張ったね。えらい。 そんな君が大切だ。」という言葉がもっと言われたい。 それで私が友達に話す時もそのような話を中心にするが、T人の友達には必要ない話に感じられるだろうと思って今慌ててる。笑 Fの吹き出しは全部捨ててもいいなんて。ひどい

 

Fが非常に感情に流されて怒ったり泣いたり笑ったりする姿で描写されたりもするが、率直に一定部分共感する。 今も実は感情に埋没する時が多い。 でも、もう子供じゃないから······ 少なくとも他人に大きな感情を噴出することはない。 大学まではこのような部分が難しかった。 私が感じる感情をそのまま相手に話さなければならなかった。 そして、私が望む答えが返ってこないと、いらいらした。 しかし、多様な人々に会って、やはり私が正解ではないという単純な結論を出した。 私の感情も大事だが、それだけ相手の感情も大事だ。 今は否定的な感情があれば最大限一人で沈黙する時間を過ごそうと努力する。 そうすれば理解できる時もあり、少なくとも簡単に相手に怒りの言葉をこぼすことはない。 落ち着いて、考えを整理した後に話すことができるから。 私は本当に感情的な方だが、この部分においては幼い時よりたくさん発展して素敵になった姿だと思う。

 

 

4.  J(計画型)ー P(探索型)

 

 

学生時代に宿題を間に合ったことが少ない。 何かを決めて三日坊主の場合も多い。 先送りすることも本当に多いが、人生を先送りしてしまう時期が来ることもありうるので、本当に気をつけなければならない。 無気力と目標喪失に陥ると危険だ。 私がそうだった。笑 一番親しい友人2人がJだが、本当に本人の人生を主体的に計画して生きていくという点で尊敬する。

 

 

 

休日に何をしようか?を考えない方だ。 起きて当日に引かれるままに行動する。 そのため、先延ばしにして一日をそのまま横になって過ごす時もしばしばある。 しかし日本に来てからは最大限何かをしようと努力している。 それが部屋で映画を見るなり、外出するなり。 ところが私が好きなことをする時はJになる。 写真は去年に関西旅行に行った時に作った日程表の一部。JよりももっとJのように計画を立てる。 ただJと違う点があるとすれば、これらが一つも達成されなくても焦りや強迫を感じないという点。

 

 

5.  INFPの特徴

 

 

翻訳がちょっとおかしいと思うけど··· とにかく、全部その通りだ。特に人見知りが激しいが、あまりそうは見えないと聞いて意外だった。 それだけ努力しているのだ。 連絡は面倒だけど、私の好きな友達には毎日連絡して悩みや日常の話をたくさんする。 でも、この子以外は別にそうしたくもないし、あまりしない。 本当に大切な友達だ。友人関係でけんかはほとんどしたことがない。 合わないと思ったら会わない。

 

 

理想のタイプ。これがさっき話したbarnum effectの例ではないか?写真の中の項目全部いい。 でも、誰もが望んでるんじゃないの?

 

一度恋に落ちたら本当に深いと思う。 他の人は目に見えない。 写真は映画の中の一場面だが、主人公以外はみんな案山子に見えるのだ。 すごく共感して笑った。まだ愛が何なのかよく分からないが、お互いに混乱しないように安定的な心を植え付けた方がいいと思う。

 

 

 

この文を書いてみたら誰よりもMBTIに没頭する人のように見えるが、、最も重要なことは、人は両面的で立体的だということだ。 内向的でありながら外向的でもあり、即興的でありながらも計画的でもありうる。 MBTIのようなタイプが人を判断する絶対的な基準になってはならない。 世の中には本当に多様なタイプの人がいるんだな、ということを悟るきっかけになっても十分だと思う。