黄色い叫び | BLACK猫のぐーぐーな日常

BLACK猫のぐーぐーな日常

BLACK猫のぐーたらなぐっとでいずを語っちゃいますっ

気がつけば1年くらいブログしてなかった(笑)
色々推し活動していたよ?
推しは毎日堪能しているんだけど字に起こす気力がなかった。

でも、今回はどうしても語りたくなって久々にログインしたんよ。

3/23(土)トム・プロジェクトプロデュース「黄色い叫び」マチソワ観劇してきました!

答えはあるし方法もあるけど問題は終わらない題材と綿密なる人物背景と隠喩が面白い作品でした。
大輝くんも挑戦なる舞台だとおっしゃっていました。

マチソワで作品の印象というか人物の印象が変わるのは初めての感覚でした。
あんステとはまた別に、考察するのがこんなにも楽しい舞台もあまりなかったので、嬉しくてなりませんでした。

でも、人はその感動も日に日に忘れるものです。
そしてこのままこの気持ちが日に日に薄れていくんだと思い、それが嫌だったので文字に書き起こします!

ネタバレと個人的解釈がめちゃ入りますので、ご注意下さい。

物語の舞台は公民館。自然災害がちょっと多い町で、昨年津波や火事などの災害に見舞われ、10人ほどが亡くなった。今年もその季節、町長さんたちはお祭りをやろうと計画していたけど、自然災害への対策はあまり進んでいなかった。公民館に集まった青年団は話し合いを始める。自然災害、人物背景、お金、気持ちのすれ違い…話し合いの中で様々な問題が浮き彫りにされる。ようやく話し合いを終え、皆帰り始めてつかの間、公民館近くの道路で土砂崩れに見舞われる。そして運ばれる怪我した青年団員2名、そして想像される町民の死。改めて目の当たりにした彼らは、災害に対してどう向き合っていくのか。

まず、最初に思ったのは、舞台セットのリアルさでした。演出家さんからしたら普通のことなんでしょうけど、違和感が全くなかったのです。
大学の部活動で公民館の裏側をよく見ましたが、まさにそんな感じでした。湯呑みやお茶碗、パイプ椅子、タオル、毛布。電球……等々。でも災害を重きに捉えているため、ブルーシートや懐中電灯、ヘルメット等も常備されていて、この地域での小さい災害対策はちゃんとできているんだなと思いました。

また、演出効果もものすごいリアルで感動しました。窓から入る光の加減、窓を閉めているときの雨の音、開けたときの雨の音、携帯のバイブ音、ヘリコプターの着陸の風、部屋の照明、スポットライト……等々。
今までの舞台では、例えばある人物のストーリーとか、周りの様子よりも表情とか違う部分にスポットが当たることが多いので、誤魔化されても特に気にも留めない部分が細かく表現されていて、本当に素晴らしいと思いました。

★大輝くんの役柄(話の流れからわかったこと)
岡島さん
小学校の先生
ご家族は父、母、祖母がいる。
祖母は施設に預けられることになり、父と母はそちらへ泊まるかもしれない予定。
学校から直接来たっぽい。
会議後はテスト問題作りに学校へ戻る。
あまり目立った発言はしない。
周りの意見と空気を穏便にしようとする。
ヤンキーのお兄さんからは威圧的に言われやすい。

★マチネを観劇して感じたこと
多数決民主主義の縮図のような会議であると思いました。言葉に権力がある人が賛成であれば、言葉足らずのしたっぱは従うしかない。たとえ反論したとしても、あれこれ理由をつけて捩じ伏せられてしまう。
岡島さんは、おそらく自分なりの考えは持っているはずなのです。でもおそらくあまり強く言えない立ち位置であり、尚且つ小学校の先生という立場上、あまり大事にしたくないのではないかと考えました。だから、会議の空気を読み、共感、同調しているのではないか。
また、あまり発言をしない、空気を良くしようと発言する、途中で首を動かしたりあくびのような仕草もみられた。この事から、岡島さんには、この会議は自分にとってあまり意味を持たない内容だったのではないかと考えました。つまり、傍観者とも言えます。もしかしたら、青年団に入っているのも、学校からの指示とか、事務的な理由があるのではないかとも思います。

ヤンキーさんに電気椅子を進められているとき
我関せずって感じでいたので、やっぱりそこも傍観者なのかなとも思いました。皆ははっきりといらないと言うのに対して、岡島さんはのらりくらりとはっきりしない答え方をしていました。あまりヤンキーさんとは仲が良いわけではなさそうですね。
個人的に、団長さんは岡島さんの人柄を知っているので、助けたのではないかと思ってます。

怪我して運び込まれてきてから
やっぱり皆、岡島さんに対しての仲間意識は薄いところがあると思いました。何かを訴えるときや語りのときに、あまり近くにいないことの方が多いと思います。また、専務の話に、おそらく死亡した加藤さんの話が出てきました。まだ死亡したとも確証を得ていない状態にも関わらず、そこから考えを改めるってちょっと違和感を感じました。だったら目の前で怪我をしている2人について考えれば良いのにと思ってしまいました。だから、専務にとっては、青年団はあまり大事な人たちだと思っていないかもしれないと思いました。
とーんとんのときに、岡島さんが力を振り絞って手をとんとんとしている場面で、皆の気持ちが生きたいという気持ちになったのではないかと思います。

今回の土砂崩れで、岡島さんは傍観者から被害者になりました。観劇している私たちは岡島さんと同様傍観者に他ならない。つまり、誰もがいつ、どこで被害者になるかもしれないと暗喩していたのではないかと思いました。

★ソワレを観劇して感じたこと
個人的にマチネから思っていましたが、議題について皆少しずつずれているような気がしていました。
最初は祭りをやるかやらないか。
次に災害対策について。
でも被災者万里さんの話を永遠に繰り返すばかりで、本筋が決まらないからこそ、答えも出しにくくなっていると思いました。
岡島さんについても解釈の増幅とちょっと違う解釈を見つけました。
もしかしたら、自分的には祭りをしたくないのではないかと思いました。でも自分だけでは負けるので、万里さんを誘い、意見を言おうと考えたのではないかと思うんです。でも、万里さんに祭りはしてもいいと言われ、「なら、いいんですけど」と抑え込む。採決の拍手が小さかったのはそのせいなのではないかと思いました。
また、多数決に反対するママさんに「反対!?」と驚いたり、万里さんの意見に賛成した後、ヤンキーさんに怒鳴られて小さくなるのも、会議の空気を良くしようとしたのにうまくいかなかった結果だったのではないでしょうか。ですが、ここでは自分の意見を言っている気がしました。なので、マチネで考えていた傍観者というには、少し違うなぁとも思いました。
というかさ、岡島さん万里くんのご両親のこと話題にあげすぎじゃない?ことあるごとに抉ってくるよね(笑)

ヤンキーさんに電気椅子を進められているとき
苦笑したり「くだらない」という表情をしていたり首を傾げていたりと「自分はいらない」という考えをすごい表現していて、あぁ私ちゃんと見ていなかったんだなと思いました。
そしておそらく、ヤンキーさんの方が青年団の立ち位置的には上なのでしょう。断りずらかったのではないかなとも考えられます。

★今回の観劇を通じて
自然災害というデリケートな面をたくさん持つ題材を取り扱うということで、イメージとして重いとか難しいと感じていましたが、終わり方が希望的な感じだったので、そこまで重たく受け止めずに見ることができました。(凌平くんの空行の方がめっちょ重たかった……)もちろん、この劇を通じて、思うことはたくさんありました。考え直さなければならない部分もありました。でも、どんなに頭のなかで考えても、「ある程度心を痛めて、寄付をして寄り添ったつもりでいる傍観者」に他なりません。
だからといって、自分に何ができるのかと問われたときに、「現地に行って復興のお手伝いをする」「道路を整備するお金を出す」というのは、実現しようとしない理想です。現実、私はそんな時間とお金があるのなら大輝くんの舞台に行きたいと思ってしまうような人間です。

今、正に自然災害が起こったとき、自分のことで精一杯になり必死になるでしょう。消費期限が短い豆腐を買い漁るような人間になる可能性は大いにあります。でも、隣でお腹を空かせた人を見つけたら、少しだけでも分け与えられるような、お手伝いしようとする勇気を持っていきたいと思いました。

観劇してから1日経ちましたが、既に薄れている感情があることは自覚しています。
せめてこの感じた思いと、災害への心構えを少しでも思い出せるよう記します。

★岡島大輝の個人的に萌えたところ
バイクで来たことがわかる黒いヘルメット
水を弾く素材でできている黄緑色のジャージ
雨の水滴を拭く
ジャージの下はスーツ
椅子に収まりきらない長い足
座っているときはそうでもないけど、そこから立つと「背ぇ高っ!」ってなる現象
ヤンキーさんに迫られ、顔を背けたときの首筋と表情   ナァ>(*`^´)(   ・_・;)<イヤァ…←イメージ
ヤンキーさんがぶっ飛ばされたときの一連の動き
ジャージズボンを履くときにちょっとぴょんってする
包帯
弱ったときの顔
寝た顔の綺麗さ
男の人に抱え上げられる
手、特に右手ページをめくる指





#黄色い叫び