≪今日の読み物≫
「秋分」9月23日18時05分「秋分」です。旧暦8月「酉」(とり)の月の中気で、新暦9月23日頃。天文学的には、太陽が黄経180度の「秋分点」を通過するときをいいます。
秋分点とは、黄道と赤道が交わる点のうち、赤道の北から南へ向かって太陽が横切る点のこと。この日、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。昼と夜の長さがほぼ等しいと言われていますが、実際には秋分から3日後です。「暦便覧」では「陰陽の中分なれば也」と説明しています。
また、この日は「彼岸の中日」にあたります。彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多」(はらみつた)という梵語の漢訳「到彼岸」(とうひがん)という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸」(しがん)に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸」(ひがん)といいます。
彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
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「七十二候」
◆初候「雷乃声収」(らいすなわちこえをおさむ)
◇雷乃ち(すなわち)声を収む。雷が鳴り響かなくなる時節。
◆次候「蟄虫坏戸」(ちゅっちゅうこをはいす)
◇蟄虫(ちっちゅう)戸を坏(とざ)す。土中の虫が土で穴の隙間を塞ぐ時節。坏(?)=ふさぐ。
◆末候「水始涸」(みずはじめてかる)
◇水始めて涸(か)る。
※水田の水を干しはじめ、収穫に備える時節。涸る(こる)=水が尽きる。
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「秋分の日」「彼岸中日」「秋分の日」は、国民の祝日の一つ。祝日法では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨としています。
秋分の日は、秋の「彼岸の中日」にあたります。「昼と夜の長さが等しい」といわれますが、実際には昼の方が長いです。
戦前は「秋季皇霊祭」(しゅうきこうれいさい)といいました。毎年、秋分の日に宮中の皇霊殿で行われる皇室の大祭のことで、歴代の天皇・皇后・皇族など、皇祖の神霊を祀る儀式が行われました。
戦後に「秋分の日」と改名して、庶民が先祖を祭る日となりました。
秋季皇霊祭◇皇室による先祖を祀る祭儀は、「古事記」「日本書紀」などに皇祖の御霊を祀ったとあります。平安時代中期以降、京都御所の清涼殿・御黒戸の間において仏式で執り行われていました。
しかし、明治の神仏分離政策により、神式による祭儀に変更されました。
この日、皇霊殿前庭では宮内庁職員により「東遊」(あずまあそび、東舞)の儀が執り行われます。
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「川柳忌」川柳の祖「柄井川柳」(からいせんりゅう)は、享保3年(1718)生まれ。江戸時代中期の前句付の点者です。柄井家は代々江戸浅草の竜宝寺門前町の名主の家系。通称は八右衛門、無名庵川柳と号しました。
「点者」(てんじゃ)とは、連歌・俳諧・川柳などで、作品の優劣を判じて評点を加える人のこと。判者。また、宮中歌会始めに選の決裁に当たる人のことをいいます。
江戸の町では「前句付」(まえくづけ)という言葉遊びが流行しました。前句付とは、前の句(お題)に、次の句を付けるというもので、古く連歌の稽古吟として行われていました。それに懸賞が付いたことから大流行したのだとか。
「前句」(お題)は「切りたくもあり切りたくもなし」に、付けを「盗人を捕らえてみれば我が子なり」のようにです。
川柳は雑俳の一つで、川柳と言われるようになったのは明治になってからのこと。柄井川柳の名は、15代脇屋川柳まで受け継がれました。
寛政2年(1790)没。73歳。龍宝寺では、毎年法要と献句、句会などが行われます。
天台宗龍宝寺◇東京都台東区蔵前4-36
(通称・川柳寺)江戸33ヶ所の27番
≪今日の読み物≫
「秋の全国交通安全運動」平成23年「秋の全国交通安全運動」が、9月21日(水)~30日(金)迄の10日間、実施されます。また9月30日は「交通事故死ゼロを目指す日」です。
この運動は、広く国民に交通安全思想の普及・浸透を図り、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けるとともに、国民自身による道路交通環境の改善に向けた取組を推進することにより、交通事故防止の徹底を図ることを目的としています。
今回の交通安全運動では「少子化が進む中、次代を担う子どものかけがえのない命を社会全体で交通事故から守ることが重要である」とし、また、交通事故死者数全体に占める高齢者の割合が初めて半数を超える交通事故情勢に的確に対処するため「子どもと高齢者の交通事故防止」を運動の基本とします。
秋口は日没時間の急激な早まりとともに、夕暮れ時の交通事故が多発し、歩行中や自転車乗用中の死亡事故が増加すること。後部座席シートベルトの着用率やチャイルドシートの使用率が未だ低調であるうえ、シートベルト非着用死者数が増加に転じたこと。重大事故の原因となる飲酒運転による悲惨な交通事故が依然として後を絶たないこと。などから、次の3点を全国重点とします。
(1)夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止(特に,反射材用品等の着用の推進及び自転車前照灯の点灯の徹底)
(2)全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
(3)飲酒運転の根絶
スローガンは『「見る」安全 「見せる」安心 秋の夕暮れ」
主催◇内閣府、警察庁、総務省、法務省 他
「空の日」「空の日」とは、もと「航空の日」のこと。明治43年(1910)12月19日、徳川大尉(アンリ・ファルマン機)、日野大尉(グラーデ単葉機)が、代々木練兵場に於いて、日本初の動力飛行を行い成功しました。その距離約300m。翌年、所沢に日本初の飛行場が完成しました。
翌年9月20日、山田猪三郎が開発した「山田式飛行船」は、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功しました。これを記念し、昭和15年(1940)9月20日「航空の日」と決め、以来終戦まで各種の飛行事が行われました。
一時中断していましたが、戦後の昭和28年(1953)に運輸省と日本航空協会が復活させ、平成4年(1992)に「空の日」と改称されました。目覚しい発展を遂げている日本の航空は、生活に欠かせない交通機関の一つとなっています。
国土交通省航空局では、航空の発展に尽力された航空功労者に対して表彰を行う記念式典が開催されます。また、9月20~30日を「空の旬間」とし、全国の空港等で管制塔見学会や航空教室などのイベントが行われます。
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「動物愛護週間」動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項などを定め、国民の間に広く動物の愛護と適正な飼養についての理解と関心を深めることを目的とし、9月20~26日を「動物愛護週間」とすることが「動物愛護管理法」で定められています。
昭和2年(1927)日本人道会の提唱に始まり、昭和48年(1973)に制定されました。期間中、国・地方公共団体・動物愛護団体等により、功労者の表彰を始め、写真の展示やコンテスト、しつけ教室などが行われます。
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「神奈川寒川神社例祭」相模国一宮「寒川神社」(さむかわじんじゃ)は式内社で旧社格は国幣中社。延喜式神名帳では「相模国高座郡寒川神社」と記載され、大社に列しています。現在は神社本庁傘下の別表神社。
創祀年代は不明。雄略天皇(456~)の代に奉幣、また神亀4年(727)社殿建立と伝わります。源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰を受け、千五百年余の歴史を有します。
相模川の河口から約7キロ遡った左岸の低台地上に鎮座。古代には相模湾がこの辺りまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国府があったものと考えられています。
関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門を護る社として、全国唯一の「方位除」「八方除」の守護神として信仰されています。
平安京が遷都された四神相応の地の「四神相応」とは、都が「東方を司る青龍(せいりゅう)」「西方を司る白虎(びゃっこ)」「南方を司る朱雀(すじゃく)」「北方を司る玄武(げんぶ)」の四神の方位と正しく向き合い地相的に大吉であることを示しています。
陰陽五行説や陰陽道によれば「天の動きは地上にも影響を与え、星々に凶相が現れれば、方位をも左右する」と。「方角の良し悪しで事の成否が決まる」とされ、特に「東北は鬼が出入りする」とされて何事につけ忌み嫌いました。京都御所の鬼門にあたる「猿が辻」の築地塀は、L字型に隅をへこませて鬼門除けが施されています。
人が行動するとき、その行動には必ず方向があり、方位があります。この方向・方位に対して、何か目に見えない力、法則性を研究したのが「方位学」です。その時々に「良い方角(吉方)」と「悪い方角(凶方)」があり、それがどういう方角であるかを見極め、失敗のおそれの少ない「良い方角」を選んで、健康で幸せな人生を過ごす手助けとすることです。
「八方除」とは、家相、地相、方位、日柄等からくるすべての悪事災難を取除くこと。あわただしい現代社会では、住居、方角、運勢などの吉凶を判断したとしても、支配している法則に従って行動することはなかなか難しいもの。大難は小難、小難は無難に過ごせるよう八方除の祈願に多くの参拝者が訪れます。
「例祭」は、寒川大明神の日頃の御神徳に感謝する祭で、氏子崇敬者が多数参列し斎行されます。境内では、献花、献茶、奉納演芸等の神賑行事が行われます。
寒川神社◇神奈川県寒川町宮山3916
◇JR相模線「宮山駅」徒歩5分
◇東名「厚木IC」15分
≪今日の読み物≫
「彼岸入り」「彼岸」(ひがん)とは、雑節の一つで、春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことをいいます。
彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。
彼岸は、昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。
彼岸には、先祖の霊を供養し、墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事行事が結びついた日本独特のものです。彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
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遥か彼方の「極楽浄土」に思いを馳せたのが、彼岸の始まりとか…。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意。日本には、大同1年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。
彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多」(はらみつた)という梵語の漢訳「到彼岸」(とうひがん)という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸(しがん)」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸」(ひがん)といいます。
仏教では「四方」(しほう)=東西南北と、「四維」(しい)=南東・南西・北西・北東の八方位に、上下を加えた十方世界(じっぽうせかい)を説き、そこに諸仏の浄土を描く十方浄土を観念します。「浄土」は仏の住む処で、成仏する為に精進する「菩薩の世界」です。
法華経では「この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ず」と説く。この世で生きながら、心が清浄であれば、それが清浄の土であるという。毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)(奈良東大寺)の蓮華蔵世界です。
★東方浄土=薬師如来
★南方浄土=釈迦如来
★西方浄土=阿弥陀如来
★北方浄土=弥靭菩薩
病のため出家した藤原道長は、九体の阿弥陀如来像を安置した京都の無量寿院にて、仏像の手から延びる五色の糸を握り締め、西方浄土の極楽往生を信じつつ臨終しました。この姿から、仏教信仰と方位観との具体的な結合がみてとれます。
後に、道長の子の藤原頼道が天喜元年(1053)建立の宇治・平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)には、阿弥陀如来像が安置され「極楽いぶかしくば宇治の御堂をうやまへ」といわれました。
平等院の庭と建物は、極楽浄土を表し「浄土庭園」と呼ばれます。
鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が現されています。春秋の彼岸の中日夕刻には、鳳凰堂の中央背後(西方)に落日します。
平等院鳳凰堂は国宝です。現行一万円札の鳳凰は、鳳凰堂の屋根の上の鳳凰をデザインしたものです。
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」と呼びます。
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「社日」「社日」(しゃにち)とは雑節の一つで、春分と秋分に最も近い「戊(つちのえ)の日」のことをいいます。春と秋の2回あり、春の社日を「春社」(しゅんしゃ・はるしゃ)、秋の社日を「秋社」(しゅうしゃ・あきしゃ)ともいいます。
「戊・つちのえ」は「土」の意。農家では春社は種蒔きの時期にあたり、秋社は収穫の時期にあたります。そのため社日は重要な節目の日とされるようになりました。「社」は、生まれた土地の守護神である「産土神」(うぶずながみ)のこと。
この日、産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈り、秋には収穫のお礼参りをします。
また、春の社日に酒をのむと耳が良くなるという習いがあります。これを「治聾酒」(じろうしゅ)といいますが、その名の酒があるのではなく、単に春社に飲む酒をいいます。
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「小犯土」「小犯土」(こつち)は選日の一つで、戊寅の日から甲申までの7日間をいいます。
この期間中に土を犯す事は忌むべきで、特に屋敷内の動土は凶。穴掘り、井戸掘り、種蒔きなどの土いじりは一切慎むべきとされ、これを犯すと災害を被るとされています。
≪今日の読み物≫
「敬老の日」「敬老の日」は国民の祝日の一つで「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨として制定されました。
もともと9月15日でしたが、祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、9月の第3月曜日になりました。
この日、おじいさんやおばあさんの長寿を願い、ありがとうの感謝の気持ちを届けます。各地で敬老にちなんだ行事が催されます。
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「岩手水沢駒形祭」陸中一ノ宮「駒形神社」(こまがたじんじゃ)は、古く関東毛野一族が崇敬の赤城の神を祀り、上野平野を支配していた上毛野国と下毛野国のうち、下毛野氏は「日光二荒山神社」を創建され、勢力を北方に伸ばした上毛野氏が、高峰に「駒形大神」を祀ったのが始まりです。
陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍:坂上田村麻呂の崇敬たいへん篤く、源頼義・義家父子の武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤くありました。分社は東北各県より関東に亘り、その数は百余社に及んでいます。
毎年9月19日、一年の加護の感謝とともに、陸奥国の繁栄と幸福、五穀豊穣、国土安泰、産業開発、交通安全を祈念する例祭が行われます。毎年5月3日と9月19日の年2回、本尊の御扉が開かれます。
御祭神は、駒形大神(こまがたのおおかみ)、六神に天照大神・天之常立尊・国之狭槌尊・吾勝尊・置瀬尊・彦火火出見尊が祀られています。
駒形神社◇岩手県奥州市水沢区中上野町1-83
◇JR「水沢駅」徒歩10分「水沢江刺駅」車15分
◇東北道「水沢IC」15分
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「子規忌」「正岡子規」(まさおかしき)は、俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に活躍した俳人で、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした明治時代を代表する文学者の一人です。
慶応3年(1867)9月17日、伊予国温泉郷藤原新町(現在の愛媛県松山市花園町)の松山藩士:正岡常尚の長男として生まれました。母は、藩の儒者:大原観山の娘です。
明治6年(1873)大原観山から漢書の読みを習い始め、明治11年(1878)に初めて漢詩を作ります。明治16年(1883)上京。翌年、東京大学予備門へ入学。この時の同級に、夏目漱石・山田美妙などが居ます。子規と号したのはその6年後。子規とは「時鳥(ほととぎす)の異名」で、23歳で喀血した時、鳴いて血を吐くという時鳥からとったものです。
「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあわず」「をととひのへちまの水も取らざりき」という辞世の句(人が死に際に詠む句)から、子規の忌日を「糸瓜忌」(へちまき)といいます。別号から「獺祭忌」(だっさいき)とも。
糸瓜水(へちま)は古来、咳止めに用いていました。をととい(一昨日)は十五夜で、中秋名月の夜に採った糸瓜水は効き目がいいといわれていて、それを採らなかったことを残念に思い言ったものです。
結核を患っていた子規、明治34年(1902)9月19日、36歳という若さでこの世を去りました。
日本に野球が入って来た頃、熱心に打ち込んでいました。文学を通じて野球の普及に貢献したことから、2002年「野球殿堂入り」を果たしています。