みなさん、こんにちは
黒くんと哲学の部屋の時間だぞ。
先日、伝説探偵ツチノコの事件簿第7話「タイムトラブル」を
観(み)て黒くんが思ったこと。
「もし自分がフィクションの存在で、
物語の中だけで生きるそんざいだったら・・・・・・
・・・・・・悲しいなあ。」
実は、黒くんはこの問題を検証(けんしょう)したことがある。

黒くんは、三浦綾子さんの「氷点」という小説に
心を揺(ゆ)さぶられ、今まで
ことあるごとに読み返している(「続・氷点」「塩狩峠」も
いい作品で4、5回読んでいる)。



その「氷点」の中で、
主人公の陽子が「嵐が丘」を読んで
「わたしもこんなに激しく真剣な恋愛をしたいわ」と
考えている場面がある。
その場面で黒くんはふと
「陽子ちゃんは、『嵐が丘』が小説でフィクションあることは
わかっているけれど、自分自身も小説の中の
人物だということには気づいていないんだな。」
と思った。
こんなにも日々の一瞬(いっしゅん)一瞬を
一生懸命(いっしょうけんめい)に生き、
自分の命や人生のことを
真剣(しんけん)に考えている陽子ちゃんでさえ
フィクションの存在なのだ。


自分は胸(むね)を張(は)って、実在している、
自分の自由意思で生きている、といえるのだろうか。


難しい問題である。
だが、黒くんはこの問題に対して、
ある結論を見出した。



「信じ続ければ真実になる」ということだ。
正直なところ、自分がフィクションなのかノンフィクションなのか
根拠(こんきょ)を挙(あ)げて、
しっかりと説明するのは難しい。
だから、信じるしかないのである。



「自分は、自分の自由意思に従(したが)って、
自由に生きている」と信じるしかないのだ。
そして、それは同時に
自らの創り主である神様を信じ愛することにもつながる。


「神様は私の親であるから、
私を愛してくださっているし、私の幸せのために、
自由意思を与えてくださっている。」
という強い絆(きずな)が必要なのである。
そしてその絆さえあれば、



(自分を創造した存在が
自分のことを愛してくれている確信があれば)
自分がフィクションだろうがノンフィクションだろうが
最終的にはどっちでもいいのだ。
自分は神様にとってかけがえのない
貴(とうと)い存在なのだから、



それ以上のことは望まなくてもよくなるのだ。
では、サラダバー、









じゃなかった、さらばだ。