今日は『チャレンジ富士五湖』という大会に出てきました。


4月は4週連続で大会・イベントがあって、これが最後の4つ目だったので、

種目は113キロ、100キロ、72キロある中で控え目に72キロでエントリー。


72キロは5つの湖のうち3つ(河口湖、西湖、精進湖)を巡るコースでした。

富士山の麓を走る素晴らしいコースに感動!

特に富士五湖の真ん中にある西湖はとにかく絶景で、雄大な自然の中の静かな佇まい。

自分が走っていることを忘れるほどでした。

首都圏を少し離れただけでこんなに素晴らしい場所があるんですね。


そして、僕が尊敬するエリック・ワイナイナがゲストランナーで来ていて、

近くで走ることができたのも感動でした。


来年は113キロ、富士五湖を全てまわるコースに出ようと思います。

大会スタッフの方々、ありがとうございました。


Masayuki UENO

今日は会社の先輩たちの飲み会に途中から合流。


最近、仕事での迷いが多かったのですが、

飲み会の中で先輩たちがそれぞれの言い方や考え方、価値観で励ましてくれ、

今日まで素晴らしい先輩たちと仕事をしてこれたことをあらためて実感しました。

ありがとうございます!


そして、仕事のつながりで日本に来ていたスペイン人のオスカルとヘスース。

一緒に飲めて楽しかったです!

とにかくよく笑い、しゃべり、底なしに明るい。やっぱり情熱の国の人だからかな。

元気をもらいました。また一緒に飲みましょう!


Masayuki UENO

阪神の金本選手の、連続フルイニング出場の世界記録がストップしました。


1492試合。

カル・リプケンがもつ大リーグ記録は903試合ということなので、

あらためてこの記録のとてつもなさを感じます。


カル・リプケンの記録を抜いた時、王さんから「1500試合を目指せ!」と激励され、

「世界一の王さんが言う1500試合を抜けば自分も世界一」との思いで、

怪我をしてもグラウンドに立ち続けていたそうです。


1500試合まであとわずか8試合。

「僕は外れます」と自ら監督に申し出たそうですが、これも金本選手らしさを感じます。


以前雑誌で金本選手の特集を読んだとき、とても印象に残るコメントがありました。

「弱音や言い訳は心の中で言うようにしています。」


記録にも記憶にも残る、素晴らしい選手だと思います。


Masayuki UENO




今日は1カ月ぶりにフルマラソンに出てきました。

「かすみがうらマラソン」


今回で4回目ですが、過去3回はいいタイムで走れず、今回も納得いく結果を残せませんでした。

コースに苦手意識はないのですが、毎年4月は出る大会が多いので疲れてるのかな・・・


ただ、今日も元気にスタートラインに立てたのは、

毎日トレーニングを積み重ねてきた結果かな、と思います。


もちろん出るからにはいい結果を出したいし、そのためにトレーニングしているのですが、

まずはスタートラインに立たなければ何も始まりません。どんなことでも同じですよね。

スタートラインに立てるように、毎日、地道にしっかり準備していくことの大切さを感じます。


僕のような市民ランナーでさえ「42キロ走れるなんてすごい」とよく言われます。

でも、42キロ走るよりも、毎日トレーニングを続けていくことのほうがずっと大変、というのが実感です。


これからも元気にスタートラインに立てるよう、また明日から頑張りたいと思います。


Masayuki UENO

僕が好きな曲。

一青窈さんの「ハナミズキ」の中にこんなフレーズがあります。


『僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように』


とくに仕事の場面では色々なしがらみがある中で、

自分のポリシーを守りつつも、同僚や環境に調和していかなければいけませんよね。

それが「我慢」になることも多いと思います。


ただ、その我慢がいつか実を結び、より自分らしくいられる時がいつか来るのなら、

今は我慢を続けていこうという気持ちになれます。

また、その時を強くイメージすることも大切かもしれません。


明日からまた頑張りたいと思います。


Masayuki UENO

先日、僕が大好きなミュージシャン、KWANIさんのライブへ行ってきました。


僕がKWANIさんを知ったのは12年前。

お台場で、PhewPhewL!veというアカペラバンドのイベントをたまたま見掛けたのがきっかけでした。


当時はウエストライフやブルーなどのヴォーカルグループが好きで、

出掛けている時はいつも聴いていたし、バイト先のBGMにもよく使ったりしていましたが、

アカペラを聴くのはその時が初めてだったので、そのイベントはとにかくインパクトがありました。


楽器を使わない音楽って究極のヴォーカルなぁ・・・

うまく言えませんがそんな風に思って、それからは本当にアカペラにハマッてしまいました。

PhewPhewL!veは神戸のバンドで、ライブを見によく神戸へ行っていました。


KWANIさんは当時のPhewPhewL!veのメンバーのひとり。

今は違うバンドで活躍していますが、変わらずパワフルで素敵に歌っています。

また、彼の音楽を聴きにいきたいと思います。


Masayuki UENO

僕がすごく好きな「Re Start」という曲の中に、こんなフレーズがあります。


『 何にもできないとひねて暮らす毎日より 何かができるはずだと声をからしたい 』


僕が初めてこの曲を聴いたときに、自分の中に

「何もできない」というネガティブな気持ちはないけども、

「何かができるはずだ」というポジティブな気持ちもないなぁと感じました。


気がつくと保守的になっていて、挑戦する気持ちが弱くなっていくことを実感します。


守るべきものはしっかり守らないといけないけど、

何かに、新たに挑戦することもすごく大切だなぁとあらためて感じます。


もっとエネルギッシュに過ごしていくために、

まずは向こう1年、仕事でもプライベートでも新しい何かに挑戦していきたいと思います。


Masayuki UENO

最近、これから自分が過ごしていく時間のことを考えることが多いのですが、

そのときにいちばん真剣に考えてしまうのが『仕事』です。


仕事をする最大の目的は「生きること」ですが、

日々の生活の中で、仕事の時間は他の何よりも時間的に圧倒的に長いので、

やるならば「生きること」以外に大きな意味や大きな満足感が欲しいなぁと思うことが多いです。


ただ、よくよく考えると、仕事の時間が長く、仕事に求めるものも多いのはすごく日本人的だなぁとも思います。

欧米人からすると日本人は「仕事のために生きている」ように映るそうです。


欧米人が長いバカンスを取るのは、

人生の楽しさや生きがいを仕事以外に感じているからなんですよね。


『1年間の半分は目いっぱい仕事をして、半分は思い切りバカンスを楽しむ』

いつかそんな時間の過ごし方ができたらいいなぁと思います。

当分、先になりそうですが・・・・


Masayuki UENO

1ヶ月ほど前、ニュージーランドに住む友人が日本に遊びに来ました。

10年以上親しくしている私の大親友、オリバーさん。日本に来るのは2度目のことでした。


彼との出会いは学生時代にさかのぼります。ニュージーランドで1人旅していたとき。


ある日の夜に『マタマタ』というところにたどり着き、民家の脇で寝袋を広げていたときに、

その民家の主であるオリバーさんが僕に声を掛けてくれました。


明日、家を囲む大きな塀にペンキを塗ってくれるなら、今夜家に泊めてあげてもいいよ、とオリバーさん。

その晩の豪華な料理やおいしいお酒、楽しい時間は今でも鮮明に覚えています。


そして、翌日は早朝から夜にかけて、ヘトヘトになるまでペンキ塗りをしました。


当時は彼が牧場を経営していて忙しかったけど、息子に引継いだら日本に遊びに来たいと言っていた通り、

彼は5年後に日本に遊びに来てくれました。そして、さらに5年後の今年、2回目の再会が実現したのです。


マタマタはロードオブザリングの舞台になったホビット村で有名ですが、

とてもきれいで魅力的な場所。


オリバーさんが住むマタマタに、またいつか遊びに行きたいです。


Masayuki UENO

アフリカ、スーダンで活動している日本人外科医。


川原尚行さん。


川原さんに対しては、このブログでは書き切れないほど、僕自身、色々な思いを抱いています。

感動、尊敬、憧れ・・・そして驚き。


外務省の医務官としてスーダンの大使館に勤務し、現地の日本人スタッフへの医療を行っていた時に

目の当たりにした、スーダンの現実。


内戦中のために世界各国からの援助、とりわけ医療協力が絶たれていた状況下で

病気や怪我に苦しむ現地の人々に、外務省医務官という立場がゆえ何も施せないジレンマ。


僕が同じ立場ならば、全く何もできないと思います。


外務省を辞めることで外務省医務官という肩書きを自ら捨て、

ひとりの医師としてスーダンで活動することを選んだ川原さんの生き方。人生。


電気や水道がない、無医村での診療。診療所や学校、井戸建設。

それらのひとつひとつが僕にとって大きな感動であり、驚きでもあります。


これまでどんなに困難なことを成し遂げてきたか想像すると、憧れという言葉は失礼かもしれません。

ただ、川原さんの強い使命感、エネルギー、行動力を僕自身の目標としながら、

自分自身の道を拓いて行きたいと思います。


Masayuki UENO