2000年くらいから、インドネシアに関わるようになり、
世界にある貧富の差というのも目の当たりし、肌で感じて、
そういうことをよく考えるようになった。
私の見てきたものは、まだましな世界で、世界にはもっともっとひどい地域もあるのだろうけど、当時のインドネシアは1日1−2ドルで生活する人が大半だったので、
日本でぬるま湯の中で育ってきた私にとっては、十分に衝撃的だった。
そこから、どうして世界にはこんな不公平があるんだろう、
どうして、一部は富み、一部は貧しく、さらに一部の人は飢えるのだろう、
という疑問はずっと私の中にあったし、
この世界は何かがおかしい、とずっと思っていた。
そして2010年に『アミ小さな宇宙人』に出会った時、ここに書いてあることは本当のことだ、となんの根拠も、そして疑いもなくそう思い、
そこに、ひとつの答えと方向性を見出した。
その時は私自身も幸せな働き方をしていなかったし、
「何かが違う、本当は誰もが幸せに生きていけるはずだ」
という思いに対して、やっぱりそうか、それは可能なんだと素直に思ったし、
自分にできることがあれば何かしたいと思った。
その時からお肉を食べなくなったのも、畜産が飢餓問題と環境問題における一因であるということを知ってしまったから。
でもそれ以外に、自分がそのために何ができるのかはわからなかった。
そしてその後、2012年、
「誰もが自分らしく幸せに生きていける世界」を実現するには、
個人個人がまずそれを実現するしかない、という答えに行きついて、
引き寄せの法則、波動の法則について、伝えたいと思うようになった。
自分の望みを叶えて生きていく人が増えれば増えるほど、
誰もが自分らしく幸せに生きていく世界、に近づいていくから。
だから、引き寄せの法則を伝えているのだけれど、
私の根本にある望みは、「誰もが自分らしく幸せに生きていける世界」を見たい、
ということ。
それが、ずーっと私の魂が望んでいたことだし、そのために、本やブログを書いたりお話ししたりしている。
そして、このコロナウィルスがもたらす世界の大変容によって、
本当にその世界をこの目で見ることができるんじゃないか、
世界にある貧富の差というのも目の当たりし、肌で感じて、
そういうことをよく考えるようになった。
私の見てきたものは、まだましな世界で、世界にはもっともっとひどい地域もあるのだろうけど、当時のインドネシアは1日1−2ドルで生活する人が大半だったので、
日本でぬるま湯の中で育ってきた私にとっては、十分に衝撃的だった。
そこから、どうして世界にはこんな不公平があるんだろう、
どうして、一部は富み、一部は貧しく、さらに一部の人は飢えるのだろう、
という疑問はずっと私の中にあったし、
この世界は何かがおかしい、とずっと思っていた。
そして2010年に『アミ小さな宇宙人』に出会った時、ここに書いてあることは本当のことだ、となんの根拠も、そして疑いもなくそう思い、
そこに、ひとつの答えと方向性を見出した。
その時は私自身も幸せな働き方をしていなかったし、
「何かが違う、本当は誰もが幸せに生きていけるはずだ」
という思いに対して、やっぱりそうか、それは可能なんだと素直に思ったし、
自分にできることがあれば何かしたいと思った。
その時からお肉を食べなくなったのも、畜産が飢餓問題と環境問題における一因であるということを知ってしまったから。
でもそれ以外に、自分がそのために何ができるのかはわからなかった。
そしてその後、2012年、
「誰もが自分らしく幸せに生きていける世界」を実現するには、
個人個人がまずそれを実現するしかない、という答えに行きついて、
引き寄せの法則、波動の法則について、伝えたいと思うようになった。
自分の望みを叶えて生きていく人が増えれば増えるほど、
誰もが自分らしく幸せに生きていく世界、に近づいていくから。
だから、引き寄せの法則を伝えているのだけれど、
私の根本にある望みは、「誰もが自分らしく幸せに生きていける世界」を見たい、
ということ。
それが、ずーっと私の魂が望んでいたことだし、そのために、本やブログを書いたりお話ししたりしている。
そして、このコロナウィルスがもたらす世界の大変容によって、
本当にその世界をこの目で見ることができるんじゃないか、
ずっと望んでいたことが叶うんじゃないか、
という予感がしてならないのです。
という予感がしてならないのです。