菜食バリバリだった私が、肉食も問題ありません、と言い始めてから、多少の違和感を覚えておられる人もいるかもしれません。ごく少数ですが、そういうコメントやメールも頂きました。

肉食も問題ありません、というよりも、私は他人が何を食べようと私には関係ありません、という表現が正確でしょうか。

確かに、菜食は動物にも環境にも人間にも優しいと思います。そのことはよ~くわかっています。
自分も菜食を選択しているのは、それがいろんな面で良いと思っているからに他なりません。

でもね、どんなに良い事でも、「自分が良いと思うからそうする」というのと、「それが正しいことで他人もそうするべきである」というのには、天と地のほどの違いがあるんです。

以前の私には、菜食は良い事で、みんなもそうなればいいな、という思いがありました。
(押し付けてはいなかったつもりですが)

でも、それは菜食は環境にも動物にも健康にも良い、という大義名分を盾に、争いの種を蒔いていたようなものなんですね。


「自分が良いと思うから、自分はそうする」
ここまではいいんです。
むしろ、みんなこんな風にどんどん自分を主張してもらいたいと思います。
自分のやりたいことを選択してもらいたいと思います。

しかし、そこから一歩ふみ出て、「だからあんたもこうしなさいよ」ってなってしまうと、それは、他人をコントロールしようとしていることになります。
争いの第一歩です。

そのようにするのももちろん自由ですが、他人は変えられないので、それは無駄なエネルギーを消費するだけで誰にとってもいいことはないんですね。


動物が無闇に殺される姿や動物実験をされる姿を見たくない、それもよくわかります。
でも、動物が殺される姿を見る事なんて、普通に生活していてありませんよね?
それを(ネット上ででも)見るとしたら、自分が見たいから見てるんですよね?

つまり、あなたが望むからそうした姿を見るんです。
見たくないはずなのに自分が見ようとしている、ここには大きな矛盾があります。

「あなたが」世界を創っています。「あなたが」世界の中心です
見たくないものじゃなくて、見たいものを見てください。
自分の焦点を合わせているものが現実になります。

「正しい」も「間違っている」もありません。
自分は何を選択するか、それがあるだけです。

そう書くと、動物たちがこんなひどい目にあってるのに、ほっておいてよい訳がない、と思う方もいらっしゃると思います。
動物たちは不幸なんでしょうか?

(明日に続きます)


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