以前から私のことを知ってくださっている方、また、プロフィールを読んでくださった方は、私がベジタリアンだということをご存知かと思います。
私も以前はベジタリアンブログをやっていたくらいですし、ベジタリアンとしてNHKにも出させてもらったことがあるので(よい思い出です・笑)、ベジには思い入れがあります。

スピリチュアルの世界に足を踏み入れると、しばしば、肉食か、菜食か、の論議が起こりますよね。

私は、『アミ小さな宇宙人』を読んだことがきっかけで、菜食になりましたが、当時は多くのベジタリアンの方と同じく、

・人間は肉を食べなくても生きていけるのに、屠殺される動物たちがかわいそう
・牛肉1kgを作るのに使われる穀物は約10Kgであるから、肉食は無駄に資源を消費し、環境に良くない。地球上にはまだ飢餓で苦しむ人がいるのに、先進国に住む人の食の楽しみのために、大量に穀物を消費している。

と思っていました。




しかし、今は

可哀想な動物はいない
環境問題は存在しない
資源は無限であるし、可哀想な人もいない

と思っています。

私自身は、これからも基本的に菜食です。
でもそれは、菜食が正しいからではありません。
物事には善悪はありません
そして動物が可哀想だからでもなく、環境に配慮している訳でもなく、飢餓で苦しむ人を助けたいと思っているからでもありません。


動物たちがこんな目にあって可哀想だ、という主張をするベジタリアンの方もいらっしゃると思います。
毛皮反対!と、動物たちの悲惨な姿に焦点を当てたデモもありますよね。
動物を愛する、その気持ちはとても素敵だと思います。

しかし、以前こちらの記事で可哀想な人はいない、と書きましたが、これは動物でも同じなんです。
可哀想な動物も本当はいないんです。

動物も、自分自身でソースとつながる能力を持っています。そして、動物は人間と違って抵抗が少ないので、人間よりソースとの結びつきが強いんです。動物たちは例外なく幸せです。

動物たちが私たちを癒してくれるのは、子供と同じく動物たちが愛の存在、愛につながった存在だからなんですね。

動物たちは可哀想ではありません
しかし、あなたが動物が可哀想だと言えばいうほど、可哀想な動物が増えていってしまいます。
あなたが、屠殺や毛皮のために殺される動物に焦点を当て続ける限り、そうした動物たちはいなくなりません。

動物が可哀想だとあなたが思う → あなたは動物が可哀想だと思いたい状況を望んでいると宇宙が受け取る → 動物を可哀想だと思いたくなるような現実が創造される

このように現実が創造されていくんです。

もし、あなたが、動物が可哀想だから肉を食べないのであれば、何も知らずに普通に肉を食べている人より、肉を食べないベジタリアンなあなたのほうが、可哀想な動物たちを増やしているんですね。

ショックですか?
そうですよね、私もこれに気付いた時はショックでしたよ。


その2に続く

 ↓↓ ブログランキングに参加しております。
もしこのブログに共感していただいたり、何かのお役に立てましたら、ポチっとクリックお願いします。↓↓ 




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 引き寄せの法則へ

 ↓↓ 読者様募集中です。読者登録お待ちしています。↓↓ 

読者登録してね