新しい季節ですね皆さん。
ブログ更新もすっかりサボっていましたが、今日は思うところがあったので書き綴っていきます。徒然なるままに!
この時期は学生さん社会人さんともに環境の変化が伴う人が多いのではないでしょうか。僕もそのうちの一人です。とは言え異動があったわけでもないのですが、職業柄異動が多いので、同じ場所でも人が変わるとすっかり雰囲気も変わるというものです。新しい環境では、互いに探り合ったり望まない嘘を強いられたり…心を擦り減らすことも多いでしょうね。
自分は昔鬱になったことがあります。というか今でも継続して服薬中ですが、ここ最近は公私共に充実していて、一年前の今頃は腫物を触るように扱われていたのが今は色々と任せて頂いて楽しく仕事をさせてもらっています。とは言え、こうなるまでに何がどう変わったのかって言うとやっぱり他者の力が大きかったなって思って、今日はちょっと主任との思い出を書いていこうと思います。
主任はたった1年で異動してしまいました。教務主任っていう誰もが一度は聞いたことある立場の人です。やれ学校運営だとか、校務だとか、学校の運営を取り仕切っているような立場の人です。僕は入都してから最初教務部だったので、色んな教務主任を見てきました。皆さんにとって教務主任ってどんなイメージでしょうか?あんまりイメージつかないかもしれませんね。実際、立場上学校の運営を計画立てて実行する立場なので、かなりカタい仕事ってイメージがあるかと思います。僕もそうでしたし多くの主任がそうでした。しかし去年であった教務主任は型破りで変な人でした。
まず体躯がいい。比較的若くて運動神経も良い。工業の先生ということもあるのですが来歴が特殊で、塗装も上手い。溶接も上手い。屋根直したりしてる。教務主任なのに雑務を率先してやってる。ゴミ出しとかする。そしてコミュニケーションを積極的にとってくれるし、なにより話が面白い…。人の悪口を言うことはないが、文句がある時は面白おかしくしつつちゃんと直接言う、そんな人でした。気立ての良いおっちゃんといえば簡単なんですが、でもたぶん、相当勉強されてて、教育に関する文書の保管規定とか学籍異動の細やかなこととかすぐ答えられる。あらゆる質問に答えられるのにその知識をひけらかすようなことは決してせず、どんな初歩的な質問にもわかりやすく丁寧に答えてくれる。部下を飲みに誘ったらお金を払わせることはしない。アルハラもしないし帰りの時間はしっかり把握してる。
悪いとこを上げろって言われる方がはるかに難しくて全く出てこない…。しいて言うなら面白い話が多すぎてついご本人に話ばかりさせてしまうところ。笑
何が言いたいのかっていうと、僕は復職して上司に恵まれたなって思っているということです。復職してすぐ、不安でいっぱいでした。知り合いもずいぶん減ったし、心も体もある程度元気になったけれど、それでもまたダメにならないという保証はどこにもなかった。そんな時によく知らないいかつい上司がきて、叱咤激励なんてされようものなら覚悟はしていたけどやはり緊張感もありました。しかしうちの主任は俺に過度にプレッシャーをかけることはなく、むしろ本人の行動、例えばゴミ出しなんかを見ていると、こんな俺でも手伝えることあるかなって思って「一緒にゴミ出し場までもっていきます」なんて言えたんですよね。そしたら「あんま教務主任っぽくないですよね」なんて会話が生まれて、本人もそうであろうとしていたのか、それとも単に性質の問題なのか、なんだか「そ~ぉ?笑」なんて照れくさそうに笑っていて。それからですね、できることからやってみよう頑張ってみようって思ったのは。
それから1年はあっという間でした。全部を語るとキリがないのですが、冷え切った一つの集団をたった一人の力ですごく暖かくて居心地のいい場所にしてくれた。皆、本当は熱意を持っていたのだけれど、出る杭は叩かれることがわかっていたから我関せずを貫いていたような人達が徐々に一枚岩になっていって、最後は皆で「今年は本当に楽しかった」って飲みにいけるようにもなって。自分のできることを精一杯やったらみんなからも認めてもらえるようになって…少しずつ色々なことを任せてもらえるようになって。同僚の笑顔がもっと見られるようになりました。
そんな矢先に彼は異動していきました。今はとある学校で副校長に昇進されたそうです。めでてえ。
すごくこう、心苦しかったし失いたくない存在ではあったけれど、かつての自分がそうだったように、本当に苦しい中で仕事をしている人たちがきっとどこかの学校に居て、助けを求めている人がいるのかなって思っています。そんな人たちのところへ行って、是非その場所を素敵な場所にしてほしいなって思っています。彼にはその力があるし、本当にお世話になった人だからそう思っています。
じゃあ失って何もかもがもとに戻っていいのかって言われたら、俺は嫌だなって今なら本当に思います。昔は仕事とプライベートは別モノで、多少職場がドライでもそれは別にお給料の名のもとに割り切れるのが社会人だって思っていました。今はそうは思っていません。仕事とプライベートは表裏一体で、どちらも密接にかかわっていてどちらも蔑ろにしていいものではない。そしてそのすべてに「人」という存在、「感情」というモノがまとわりついていると思ったわけです。
大人だから、仕事だから、俺たちは小難しい言葉をつかって当たり障りなく、本音と建前を使って仕事をするし、多少の無茶も聞くけれど、それでもやっぱりその人の要求に応えようと思えるかとか、みんなで一緒にやろうよって思えるかとか、この人なら手伝ってあげたいなって思えるか、とか。もっと言えば、特に理由が無くても話したいって思うとか、甘いものを差し入れてみたりとか、その人の好きな物を覚えていてそのことについて新しい情報を知ったら教えてあげたりとか。そんな小さなことが本当に侮れなくて、大切にしなきゃいけないものなのだと思うわけです。
だから後ろめたいことがないように、自分の任されたことやできることは精いっぱいやる。できなければSOSだす。ちゃんと凡事をおろそかにせず、愛嬌をもって人と接していたら、誰かが助けてくれる。そんな順風満帆な人間を快く思わず、蹴落とそうとしたり、こちらの善意を利用しようとしてくる輩もいる。いるのだけれど、誰かのためにって思ってやってると失望するものが、自分を取り巻く人たちを幸せにすることが自分の幸せだと思えていればそんなものも気にならなくなる。なんでって、見てくれる人が居ることを知っているし、そんな人を持っている自分自身が幸せ者だと思えるから。だから素直になること、できることはどんなにちっぽけでもいいから精いっぱいのことをしてみること。荷造りなら綺麗に養生してみる。レポートなら字だけは綺麗に書いてみる。掃除は誰もやりたがらないところをピカピカにしてみる。やってみる。そーすっと、貴方を見る周りの目が変わる。会話が生まれる。誠実さをもってその人と話をする。中には会話の通じないやつもいるけれど、自分が好きだなって思ったその兆しを逃しちゃダメだ。その人があなたにとって大切な人になる。
・・・主任はそんなことを教えてくれたような気がします。効率化だとか義務だとか、そんなもので汚れた仕事の根っこの部分を教えてくれました。俺は彼にはなれないけれど、誰かにとって彼のように人を笑わせられて、人と会話ができて、人を助け、人の前に立ち、人に助けられるような存在になれたらいいなと。そして先生たちがイキイキ仕事ができるようになれば、子供たちも伸び伸び学べる。大人に余裕をもたらすことは子どもにとって、一番大事なことなんだと思う。だから今、この異動の時期にしっかりやる。人を支えられるようになりたいと願う。それが休職して多くの人に支えられたことの、復職してから支えてもらい続けていることの、俺なりの恩返しになればいいと思う。
なんて思ってはいるけれど、ものすごい集中力で事務作業片付けていると、やーっぱ疲れるわけです。他の先生方から「すごい集中力ですね」って関心されると思わなかったくらい、自分でもかなりぶっ通しで仕事しているみたいです。
確かに、移動中もつい仕事のこと考えているようで最近気づかないうちに余裕がなくなっているな?とは思っていました。でもね、休職してた時に得たものは心の回復だけじゃないんです。俺は今ジムにも通っています。
今日はそんなわけで久しぶりにジムに行ってきました。比較的軽めだったけれど、マシンと有酸素、そんでサウナと入浴でした。運動していると脳みそのメモリが解放されてるって言うか、運動の方にリソースが持っていかれてるというか、で、身体は働くけど脳は休息って感じになります。最初はハイなのがだんだん落ち着いて、身体はヒートアップしているのに脳はクールになってくるというか。ギアが変わるような感じっていうんですかね。不思議なもので、ある程度の強度の運動をしていると人間、小難しいことは考えられないようにできているのか、運動を終えるころにはだいぶ頭がスッキリ。最後にはお風呂で身体と脳みそを休めつつ、今日を少し振り返って感情の整理なんかをしていました。
正直、春休み期間中仕事をしている具合で言えば結構群を抜いている自信はあるんですが、やっぱ主任もどうせどっかで頑張ってるし負けられねえや!って気持ちと、あんたの残したものを俺は失いたくないから、やってやるよ!って気持ち。そして同時に、だからって無理しすぎるとまた体壊すよ?!ってどっかでわかってる気持ち、だから自分を管理してやるぜ!って気持ち。
あらゆる前向きな気持ちが、前進する力を生んでくれています。まぁ、こんなに長文書いたけど要するに「主任大好き!」ってことなんだけどね!!!あなたは俺の憧れであり目標であり超えたい存在でもあるけれど、一番の望みはまたいつかどこかで一緒に仕事をすること。そして暗い所にいる大人も子どもも皆を支えてあげられたらいいなと思っています。
桜の咲く頃にまた。