今日台所で食後の片づけをしている時にふと頭に浮かんだ。自他の愛、つまり他人を愛することで苦しみからも救われると。自愛、自分が可愛いと思う気持ちが高まるために嫉妬などが出る。そうするとそれが叶わない場合に苦しいという思いが起こる。自他の愛とは、別に自分のことを卑下するということではなく、単純に愛するということであると。

 

普段から聖書を読んだり、何らかの宗教が身近にある人は、よく聞いたことがあることだと思う。私は生まれ育った環境の中では’宗教という形式’にどっぷり触れるということはなかった。キリストも「隣人を自分のように愛しなさい」と言っている。これは「隣人を自分として愛しなさい」という意味であると思う。自他の合一、これは宗教の最終到達点であるのであろう。特に何々教を信じていなくても、いろいろな宗教を少しずつでも覗いてみることは大切だ。私も大人になってからKaren Armstrongの本を何冊か読んだ。博識層がわずかであった昔、いわゆる野蛮な人口の割合が多かったであろう時代、宗教の教えは人を人らしくするためにとても貴重なものであったのだと思う。もし規則めいたものがたくさんありすぎて真実がわかりにくい場合、その根底の意義を探ってみると、きっとこの自他の愛にたどり着くのであろう。自分を愛する、自愛ということは決して悪いことではないと思う。己を愛することができて初めて他人を愛することが出来るのだと思う。自他の愛と自愛、これは結局同じことなのだろうし、そうだと気付くことも大事なのだろう。ただでさえ、人生には次から次に訪れる難題がある。自己を偏った自愛の呪縛(自分だけ愛するということ)から解き放すだけで、大分人生楽になるのではないかと思った。