ブログを書いているうちに懐かしくなって、昔のホームビデオを見た。




そこには、父からハグしてもらって、兄にハグしてもらって、母にハグしてもらう、幸せ総取りの自分がいた。





今までの状況だけ説明すると、とても過酷だったように思えるけど、実際そんなこともなかったみたいだ。自分が言い訳の材料にして、自分の首を自分で締めて行っただけだった笑









前回のブログでも書いたように、私は他人の生活を想像したり、真似たりしてストレス発散をする。



その結果、自分の人生に向き合わない(現実逃避癖)➕他人の価値基準に委ねるようになってしまった。



努力しなかったツケが、向き合わなかったツケが今一気に自分の身に降り掛かってきている。



こんな自己中と被害妄想を拗らせたダサい女でいるつもりはない。




今が変わり目だと思う。
今が最後のチャンスだと思う。


このままでいったら、私はグロテスクな気持ちと仲良ししながら、”可哀想な私”で居続けなきゃいけなくなる。










自分の首を自分で締めるのはもう辞めだ。







ところで、今までの私はSNSやYouTubeを見て、
白を基調とした女の子らしい部屋や、
無印良品を多用したようなthe丁寧な暮らしを体現した部屋に憧れて、

そんな部屋で暮らすことを真似たり、妄想したりしていた。





だけど、実際、今の私の部屋にそんな淡い色彩の家具やら小物は置いていない。




家具を揃える時に憧れの部屋にしようとワクワクしていた。だけど、いざ家具屋に行って購入する時になると

「家具は統一させたいけど、白で統一させたら蛍光灯と反射して白光りして居心地悪そう」と思ってしまったのだ。



その結果、今の私の部屋は焦げ茶と緑で統一させてある。






暮らし初めてしばらく経って、焦げ茶の本棚の上には可愛らしい白のレースが掛けられている。シックな家具にフェミニンなレースという正反対の組み合わせがたまらない。やっぱり、私は意外性があるものの組み合わせが好きだなと実感する。(和風テクノとか甘辛コーデとか)




あと、もう1つ追加されたものがある。






オレンジと黄色のガーゼ生地の夏用カーテンだ。






お店でゆらゆら揺れてるのを見て、なんかビタミンカラーで元気出そうと思って買った。


実際つけてみると、遮熱効果は少ない代わりに光を多く部屋に入れてくれるから、色合いも相まって部屋が明るくなった。

梅雨の時期は体調を崩しがちでテンションが下がるから、夏より少し前から使うのが常だった。




こんな感じで少しずつ家具や小物が追加されたが、その中に憧れていた女の子らしい家具とか丁寧な暮らしっぽいものはあんまりない。未だにそういう流行りの部屋に憧れがあるのに。


たぶん、憧れているのはそこで暮らす人であって、その家具やものが好きだった訳じゃないし、その憧れもなんとなくなんだと思う。

その人にとっては暮らしやすくても私にとっては違うのは、考え方や感じ方が違うから当たり前だ。それなのにいつも人の真似ばかりして、ものだけ手に入れても結局自分には合わなくて捨ててしまうことが何度もあった。







流行りに乗りたい気持ちや、注目されたい気持ちから”自分はこれが好き”なんて思い込んでいたのかもしれない。






だから、これからは自分の感じ方や基準を大切にしたい。軸とか芯とかそういうものをしっかり持ちたいと思う。









結局のところ、私は自分の部屋を気に入っている。憧れを追うより実用性やリラックスできる方が大事だと思う。



だから、一人暮らしをしても今の部屋みたいな感じがいいな〜、それでもやっぱり写真映えするような生活感の少ない、シンプルで片付いた部屋がいいな〜なんて、やんわり考えて気がついた。





すると私の想像する理想の部屋は祖母の暮らしていた部屋だった。





よくよく考えてみると、祖母の家の家具も焦げ茶だったし、電話代には白のレースがかかっていたし、夏場にはいつも暖簾がかかっていた。しかも、ダイニングテーブルの椅子のクッション部分は緑色だ。






祖母は何故かガーゼを愛用していて、小さい頃の私はそれでよく口やら顔やら拭かれるから、なんとなく無意識的に安心を感じる素材だったのは間違いない。ガーゼ生地と風で揺らぐカーテンを見て、落ち着くのは、暑い夏の日には「ほらいい風が入ってきたよ」っていう祖母の言葉と一緒に揺れる暖簾を見ていたからかもしれない。


シンプルに片付いた部屋っていうのも、祖母の部屋のまんまだった。






私の家系は代々肌が弱いので、皮膚科の塗り薬が色んなところに置いてある。日常的に使うので、机の上とか取りやすいところに置いてある訳だが、私はそれを片付けて見えなくしたら心地いいのにと思っていた。




祖母は綺麗好きで、その薬もいつも救急箱みたいなケースだったり化粧台にしまったりしていた。
だから、テーブルにはいつもものが無かった。








両親が離婚したあと、祖母の家に帰省することが何度もあった。祖母も大変な中よく面倒を見てくれていた。ネガティブなことを零すこともあったけど、両親が離婚する前の生活に比べたら断然落ち着いていたし、そんなネガティブなやりとりもコミュニケーションのうちの1つだったのかもしれない。



母や曾祖母や親として大人として自立した人だったから、子供に弱音を吐いたり、ネガティブなことは絶対に言わなかった。その代わりにすれ違いが多かった。子供からすると理解できないことが多々あった。



逆に祖母はネガティブなことも楽しいことも、小さい頃から友達のように話していた気がする。その関係は今でも同じだ。お互い生活が落ち着いて、尖っていて人間らしかった祖母のネガティブさも、今ではだいぶ丸くなって、曾祖母に似てきたと思う。




学生最後の夏休みだから遊びたくて、就活と両立できる、短時間で稼げるバイトがしたくてガールズバーで働こうとしたことがある。

つい最近の話だ。

水商売を経験している祖母に相談したら、めっちゃ具体的なアドバイスを貰えて助かった。
結局、私の受けたところはキャバクラと代わりがなくて、治安が悪くて断ってしまった。その話も含めて、祖母に相談できたのは心強かった。
やり取りしていたメールを消してくれる徹底ぶりには平伏した笑









疲れている時にはどうしても、分かって貰えなかった、寂しかった、素直になれなかった、あのグロテスクな気持ちが押し寄せて自分を孤独にするけど、
きちんと現実を見ればそんなこともない。





考え方、見方1つで変わるものだ。








そんな、やりとりや関係性が生まれた祖母の部屋は、自分の中で特別なんだと思う。祖母や曾祖母を彷彿とさせるものにリラックスや幸せを感じる。






祖母は水商売やってそうな派手な感じは全然ないわりにやっぱり話はうまい。香水とかいいものを沢山持ってるけど、全部貰い物で、祖母自身が高価なものを買っているのをそういえば見たことがない。

母が中学生の時に始めた水商売も元は友達の付き添いだったらしい。お店の人に背中を押されてママをやるために30過ぎて管理の免許を取って、ママになってからも明け方に帰ってきて少し寝て起きて、母のお弁当を作ってまた寝る生活をしていたらしい。
努力家で献身的だ。


高校に行けなかったことがコンプレックスらしく祖母はよく本を読むし、漢字の練習をしているし、政治や経済についても詳しい。母は、お弁当を作る時に、これ賞味期限切れてるけど焼いたら大丈夫かな?みたいな電話をしょっちゅう祖母にしていた。





コロナになる前は近所の人とよく女子会してたし、自治会の手伝いなんかもやってるらしい。





今も昔も勤勉なところとか綺麗好きなところとか社交的なところは健在だ。そんな祖母に憧れる。





思い出話が長くなってしまったけど、私自身なんだかんだ言って流行りのものより昔っぽいものが好きなところは昔から変わらない。



もし、恋人が出来たら、おいしいご飯を作ってたらふく食べさせてあげたい。
ご飯の後の熱々の緑茶を飲みながらゆっくりする穏やかな時間を大切にしたい。

お酒を飲んでワイワイするのも好きだけど、結局のところしっぽりしてるのが性に合う。



って言いながらきっと、自分のことだ。周りの人とワイワイしたり、1人で騒いだりしてるに違いない。そんな静かな暮らしは絶対してない気がする笑




①物は多いより少ない方がいい。(無駄なものを買うのを防げるし、掃除しやすいから)
②趣味は多くていいと思う(中途半端でもワクワクする気持ちがあるのはいいこと。お金を使いすぎなければなんでも。)
③ご飯は作りたい。作れなくても、お茶を入れて飲んで小説飲んだり、日記を書いたりゆっくりする時間は大切にしたい。そこで季節を感じられたらとても幸せだ。



出したら片付けるなんて効率のいい賢い行動は苦手だから、まとめてものを積み上げておいてどこかに隠しておくような、そんなガサツで楽な生活をしていたい。





ただ、清潔ではあってほしい。





こざっぱりしていて清潔感があって、お茶を楽しむ時間がある。そんな必要最小限の生活でいいと思う。

その分の呑み会とかたくさん行きたい笑




仕事や人間関係で行き詰まって、1人で塞ぎ込んで、明るい未来を想像できなくなってしまっても、もうあのグロテスクな気持ちは育てない。



そのために自分と向き合う時間を大切にして、習慣化させたいと思う。