子供の頃、将来について悲観的に考えることが多かった。


いちばん古い記憶は幼稚園生かな?
たぶんそんな小さくないかな?おばあちゃんちで遊んでたから小学校2年生くらいかな?


そのくらいの歳の頃、”貧乏人ごっこ”をしてよく遊んでたと思う。



NHKかなにかの貧困の子供たちをみて影響を受けたのか、映画の影響なのか。



友達がお嬢様になりきっておままごとをするなかで、私は”貧乏人ごっこ”をしてストレス発散してた気がする。


もちろん友達と遊ぶ時は楽しくお嬢様だったり、モデルとか女優とかになりきっておままごとしてたけど、1人で遊ぶ時は貧乏人ごっこをしてた。


おばあちゃんに「変な子」とか「変わってるねぇ」って言われながらやってた気がする。


水商売をしてたおばあちゃんが洋服を断捨離する時に取っておいたたくさんのボタンがおもちゃだった。





その中でもお気に入りは大きめの波模様のある半透明のカーキのボタン。



干し芋って設定で食料品として使ってた笑



なぜかそこだけ鮮明に覚えてる。





幼稚園生だと思ってたけど、こうやって思い出すときっと小学校2年生の時か1年生のときだと思う。





大学生になった今、当時の自分と同じ歳の子供と話す度、自分の幼稚さを自覚して恥ずかしくなる。




私は平均よりもずっと幼くて、当時はきっと幼稚園生と変わりないくらいだったんだと思う。


けど、幼いなりに自分の生活に関する情報はきっと理解してた。だから、貧乏人ごっこだったんだと思う。


家が無くなること、生活が不安定でこれから先どうなるのか親も自分も分からないことを理解して、「きっと貧乏になるんだろうな。貧乏になっても大丈夫なように今から考えておこう」みたいな感じだったのかもしれない。


少なくともその貧乏ごっこの中で、私は人をいじめるのが好きだった。


継母や意地悪な姉になりきって、誰かをいじめていた。それがストレス発散だった。


その時の誰かをいじめて痛めつけたい気持ちは、今も私の中に大きく残ってる。





これは性格的なものなんだろうか。それとも、まだ私が幼いだけなんだろうか。




それこそ、幼稚園の時から男の子を階段から突き落とそうとしたり、構って貰えなくてお友達のものを壊したり、引っ掻いたりしていたらしい。



確かにその当時も今も注目の的になっていないと、あの誰かを痛めつけたくなるグロテスクな気持ちがふつふつと沸いてくる気がする。



母が友人を褒めることにすら嫉妬していたし、自分以外に兄弟ができて兄を取られるのも嫌だった。そんな予定無かったし、兄弟がほしいと親に言っていたわりに本当に出来たら嫌だと思ってた。それだけ兄を取られたくないと思っていたのに、兄だけ母に認められているような場面を見た時には、私に良くしてくれるのは母に媚びを売ってて本当はいらないと思ってるんだって勝手に考えたりして、ライバルとしても強く嫉妬していた。



でも、なぜだか、大好きだった父に対して”誰かに取られたくない”と嫉妬した記憶はない。




父に対しての感情で覚えているのは、”大好きだよ〜”とデレデレに抱きしめてもらって嬉しかった気持ちと、離婚する直前にアルコールを摂りすぎてふらついていた後ろ姿と、目が合った時にふと「もう、会話が出来ないんだな」と思ってしまった感覚とあの目が忘れられない。


この時の”もうダメなんだ”っていう諦めや覚めた気持ちと”どうして?”って執着したり、嫉妬したりする気持ちが入れ混じって自分でもよく分からない。



そんな感じで自分と一緒に育ったグロテスクな気持ちは、今でも強く私を支配して大暴れする一方で、前向きな気持ちだったり、原動力になってたりもする。


”悪いことが起きてもすぐ行動できるようにネガティブなことを想像しておこう”
”一人で生きていかなきゃ、そのために準備しなきゃ”






そんな思考回路が諸悪の根源だと思ってる。





今、自分と同じ生い立ちの子供な目の前にいたら、間違いなく同情して労ると思う。




大人になって冷静に思い返しても、本当に慌ただしくて大変で不安定な生活だった。



冒頭の貧乏ごっこは、アル中の父と離婚したすぐ後にやっていたはずだ。
帰る家がなくて、親戚の家でしばらく暮らした。


夏休みになると地元の祖母の家に帰省していた。私と兄は面倒はみれないと断られたと聞いている。でも、その時祖母も祖母で同棲していた叔母と折り合いが悪かったらしい。




仕方の無いネガティブな状況が立て続いて板挟みになっていた。




1番帰りたかったのは祖母の家だったと思う。
だけど、祖母はめっちゃネガティブで、「死にたい」ってよく言ってた。

子供ながらに返答に困った。




祖母は自分のために生きてはくれないっていう感覚があった。父親も自分のために改心して病気を治してくれたわけじゃない。
自分は誰かの理由になれないって感覚が今でも続いてる。



こうやって自分の気持ちに向き合って気がついたことがある。
昔に解決したと思っていた気持ちは意外と解決出来ずに子供のまま変われずに苦しい気持ちが今でも自分に残っていて、こうして思い出しているうちに、解決したはずだったのに涙を流してる自分がいること。



話が逸れちゃったけど、家族が自分のために何かをしてくれるっていう感覚が自分にはなかった。
してくれていたことは、もちろんたくさんあった。


だけど、当時も今もしてくれている事、変わったことがたくさんあるはずなのに、それを実感出来ないままでいる。正直なところ、家族だけじゃなくて、友達や恋人に対しても、してくれたことを素直に受け取れないで苦しんでる節がある。


自分が欲しいものをくれない人=自分が嫌がることをする人=自分は愛されてないっていう思考回路になってしまう。




それは、愛されている感覚はあったけど、愛されているからといって、私という子供のために一緒懸命になって状況を変えてくれたのは母だけだったことや


離婚の原因だった父親自身に「お前たちのためにお父さんがんばるよ」と言ってほしかったけど言って貰えず、結局見放されてしまったことがトラウマになっているのかもしれない。


自分が愛されていて、家族の中心にいるのは分かっていた。だからこそ、自分が中立でいなきゃいけないと強く思っていた。その当時、意見が対立した時には中間の案を出すのが1番いいと思っていた。兄は母の味方だから、私は父の味方でいようと思っていた気がする。
繋ぎ止めるのは自分の役割だと思っていた。


だけど、結局自分ががんばっても離婚せざるを得なかった。それは、仕方の無いことで私の努力とは関係の無い結果だ。だけど、繋ぎ止められなかった、役割を果たせなかった感覚が今も強く残って、自分自身が自分のことをいらない子だと思ってしまう。







「家族みんな仲良くね」っていう曾祖母の言葉が呪いみたいだ。


仲良くして家族全員揃っていることが家族や幸せの条件だったのに、自分は愛されている立場ながら家族を繋ぎ止めることができなかった。

だから、自分はいらない子。
だけど、必死になっても繋ぎ止められないことはもう経験してるから一生懸命にはならない。
認めてもらおうと努力はしない、諦めつつ、
それでも自分を見て欲しい、離れないで欲しいと、一方的で怠惰な欲求だけが大きくなっていった。



自分が欲しいものをくれない人=自分が嫌がることをする人=自分は愛されてないっていう思考回路は、愛されてない自分も愛してくれない他人も否定することになる。

だから、結局自分も自分のそばに居てくれる人も認められなくて、他人を羨ましがる気持ちだけ強く育ってしまった。




元々感受性は強い方だったと思う。
演劇やアニメや絵本が好きだった。


母が小さい頃から読み聞かせをしてくれたことや、兄がおままごとをする時に強盗だとか怪獣とかよく分からない設定の人を登場させたり、もしかしたら〜かも!なんて突拍子もない面白い話をしてくれたおかげだと思う。



だから、想像するのが好きだった。


自分じゃない誰かになりきるのが好きだった。




憧れの先輩や友人についてまわって、その人の真似をしてなりきる。その人の生活を想像する。
今で言う推しだ。

推しのことを考えたり、自分が推しになりきることがストレス発散だった。



自分として自分の生活や周りの人を認めることが出来なくても、推しとしてなりきった自分ならポジティブになれたし、認められた。


現実逃避して自分の気持ちから逃げることがストレス発散だったし、ルーティンだった。




それは今も同じで、寝る前やストレスが溜まってる時には、決まって頭の中の私は、アーティストとか有名人とか特別な人になって誰かの中心にいる。


そんな自分以外の誰かを見ること、誰かになりきること、誰かのことを考えることが身についた。


だから、小説や音楽、演劇、アニメ、映画とか個性豊かなキャラクターがでてくる作品や世界観が大好きだ。



両親が離婚する前~高校生までは夜間の外出やお風呂上がりの後の外出が禁止だった。
夜は外に出れない=人に会えないから、窓の外の人家の灯りを見てほっとしていた。



今でも、外に出れば別の誰かが生活をしている様子が見て取れるから安心する。
逆にその様子を見ると、自分の知らない世界があるから気持ち悪いって言ってた恋人がいたけど、私には分からない感覚だ。




昔から強く根付いてる感覚なんだと、今ようやっとわかった。



話は幼少期に戻るが、離婚した後、当時小学校2年生だった私の将来の夢は「美人で綺麗な魔法使いのお姉さん」だった。


周りが現実味のあることを目標にしている中、頭お花畑100点満点の回答だった💮💯





その当時、イケメンパラダイスが流行っていて、自分の髪はまだ癖がなくて、ショートにしたら堀北真希ちゃんに似てるねなんて言われて、自分もこんなきれいなお姉さんになりたいと思ったのは少し覚えている。




だけど、一生懸命これがやりたい!と思うことやこれが楽しい!続けたい!と思うことは無かった。


なんとなく、綺麗で注目される自分の世界を持っている他人になりたかったんだと思う。


それとも、魔法で何かしたかったんだろうか?
恐らくだが、その当時はやっていた魔法使いのゲームに影響を受けたんだと思う。


人から影響を受けやすいところは現在だ。




これからは、誰かの影響とか誰かになりきりたいっていう気持ちじゃなく、自分として生きて、自分が素直に楽しい、やりたいと思うことをやれるようになりたいと思う。


今でも将来のことを悲観的に考えて、女の子としての甘えは捨てて社会に身を投じなければなんて焦っている自分がいる。今は楽しんで、その時になったら努力すればいいのに、いつも逃げてしまう自分の性格を自分がよくわかってるから、未来の壁のことを考えて迂回する方法を無意識に選んでしまっている。


こんなまどろっこしい自分とは年内でさよならだ笑


20歳すぎてこんなにも拗らせたままでいた事実が露見して恥ずかしいばかりだ。





それでも、向き合うなら今しかないし、今が変わりどきだと思っている。