映え狙い | こころもよう

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日々、感じたこと、考えたことを綴るブログ

言葉は生き物だから

時代が変われば

言葉も変わっていく。

 

だから

若い人たちが使う言葉を

「何を言っているんだかわからない」

と嘆く必要はないと思う。

 

今はこうして

後期高齢者になってしまったけれど

私たちだって、若い時には

その時の親世代の人たちに

「何を言っているんだか

さっぱり、わからない」と

言われていたことを思い出そう。

 

 

 

ここ何年かの間

もてはやされ続けている言葉に

「映える」というのがある。

 

言葉としての「映える」は

別に、好きでも嫌いでもないけれど

何かと言うと

「映え」を狙う行為そのものは

なんとなく、好きになれない。

 

 

仕掛ける側の人たちが設えた

「映えスポット」に行って

そこで、誰もが同じような

「映え写真」を撮って

SNSにアップして、「映え自慢」をする。

 

そこに、オリジナリティはない。

 

 

 

誰もが気づいていないような

シーンやアングルや瞬間を捕らえて

自分由来のワンカットを撮る。

 

そうそう簡単に

「映え写真」は撮れない。

 

撮れないけれど

お仕着せの「映え写真」よりも

自分らしさがそこにある、と思う。

 

 

「自分らしさがそこにある」ことが

大事だと思う。

 

 

 

 

クリップ

 

ムスカリの球根

 

2〜3年に一度

掘り起こし、乾燥させて

生きる力を蓄える