可愛いだけで良くない?は美学であり哲学

可愛いだけで良くない?は美学であり哲学

可愛いだけで良くない?
それは、美学であり哲学。

Textile Jewels――
思い出すために身にまとう。

触れるものを直すのではなく、
本来の位置に戻す。
主導権を自分に戻したとき、
現実は勝手にやさしく動き出す。
ここは、その小さな記録。

可愛いだけで良くない?

――これは、

私の美学であり、哲学です。

USUI AKIKO / AKKO



【今日は話したくない、を優先した】

数日前に

兄と、母の介護について

話をしようと思っていた。


でも、延期してる。


今日は話したくないなぁ、って。


以前の私なら

「ちゃんと話さなきゃ」

「今後のこと決めなきゃ」

って、自分をそっちに連れていったかもしれない。


でも今日、ふと思い出した。


父の介護をしていた頃、

父は娘の私に介護されるのを

あまり望んでいないような

気がしました。


父は友人にも入院した事は

伝えてなかったし

弱いところなど

見せたくなかったみたいで。


私は父を直接介護するより、

母のケアをする方に回っていました。


日帰り温泉に連れ出したり

食事の支度したり

など。



兄に母を2泊くらいお願いしようかと

考えていました。


だけど例えば、

紙オムツのことまで

兄に手配されるのを

母はどう感じるんだろう、とか。


介護って、

「誰が何日担当する?」

だけじゃないよね。


本人の気持ちもあるし、

介護する側の気持ちもある。


そして今日、


あ、私が兄にしてほしいのは

母の介護をもっとやって、

だけじゃないんだ。


私のこともケアしてほしいんだ。


と思った。


「いつもありがとう」とか。

「大丈夫?」とか。

「何かできることある?」とか。


介護の作業を分担することと同じくらい、


ずっと担っている人を

ねぎらうことも、


介護を一緒に担うことなのかもしれない。


だから先日は、


「話したくない」を優先して良かった。


話さなかったからこそ、

自分が本当に欲しかったものが

ひとつ見えた気がする。


話し合いは、また今度でいい。


今日の私は、

今日の私をケアする😊








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【欲しかったのは《ねぎらい》だった その3

「大丈夫?」だけでよかった】


翌朝、ベッドの中で気づいた。

私が欲しかったのは、

代替案じゃなかった。


もちろん、

これからの介護について考えることは

必要です。


デイサービスも必要。

ショートステイも必要。

兄との分担も必要。

具体的な行動も、お金も必要。


だけど、

その前に欲しかったものがあった。


それは、

《ねぎらい》だった。


母に初めて叩かれた、

と妹から聞いたとき。

何と言えばいいのか分からなくてもいい。

気の利いた言葉なんていらない。


ただ、

「何て言えばいいか分からないけど、

大丈夫か?」


それだけでよかった。


この言葉を思い浮かべた瞬間、

涙が滲んだ。


ああ。

私はこれが欲しかったんだ。


兄は「言葉が苦手だ」と言う。

それも分かる。


でも、

苦手だから伝えなくていい、

ではないと思う。


思っているだけでは、相手には届かない。


言ったつもりでも、

相手に届いていなければ、

受け取ることはできない。


「ありがとう」

「大変だったね」

「大丈夫?」


ほんの一言でいい。

ねぎらいは0円だ。


だけど、受け取る人にとっては、

プライスレスだったりする。


その日、私は家にいるのがしんどくなって、

知人のいる場所へ行った。


そこにいた人たちと、

どうでもいい話をして笑った。


コーヒーを淹れてもらった。


あとから来たCさんは

私を見るなりすぐに私をねぎらってくれた。


「代替案とかが欲しいわけじゃないよね」


そう。

それだった。


問題を解決してほしいだけじゃなかった。

まず、「大丈夫?」が欲しかった。



その後、

SNSに今の気持ちをストーリーズに

あげたら、


別の友人からすぐ連絡が来た。

「うちに遊びに来なよ。話そ」

日にちを伝えたら、

「おけー!」

さらに、

「なんなら泊まっていきなよ。

ベッドあるし」

と言ってくれた。


誰も介護そのものを解決してはいない。


でも私は、

ものすごく救われた。


介護が始まって何年になるんだろう。

私はずっと、

「どうすれば回るか」

を考えてきた。


でも、介護をしている人間だって、

誰かに見つけてもらいたい。


誰かに、

「大丈夫?」

と言ってもらいたい。


解決策より先に、

「それは大変だったね」

と言ってもらいたい日がある。


そして今日。

母をショートステイに送り届けた。


母はやっぱり、

「家にいたい」

と不服そうな顔。


私は、なぜここに泊まるのかを書いた紙を、

すぐ読めるようにして

職員さんに渡してきた。


ショートステイは予定より延長した

今の私には、この時間が必要だった。


そして今、

私は都内へ向かう電車の中にいる。


母を嫌いになったわけじゃない。

介護を投げ出したいわけでもない。


ただ、

介護する私も、人間だった。


疲れる。

怒る。

傷つく。

一人になりたい。

誰かにねぎらってもらいたい。

そんな当たり前のことを、



今回やっと自分で認めた。



そして私自身も、


誰かがSOSを出したとき、

すぐに解決策を並べる前に、

まず、その人を見られる人でいたい。


「大丈夫?」


たったそれだけでいい日が、

人にはある。


ねぎらいは0円。

でも、私にはプライスレスだった。


今日は母を誰かに預けて、

私が私に戻る。


それでいい。




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【欲しかったのは《ねぎらい》だった その2

「手伝う人」ではなく、「一緒に背負う人」】


兄に送った文章の中に、

こんな一文を書いた。


「私がSOSを出したときだけ介護が兄の世界に出現する状態を、そろそろ終わらせたい」


私は兄に、

私と同じだけ介護してほしいわけじゃない。

50対50にしたいわけでもない。

生活も仕事も違うし、

できることも違う。


ただ、

「じゃあ今、自分には何ができる?」

を、私から指示される前に、

一度自分の頭で考えてほしかった。


時間でもいい。

行動でもいい。

誰かへの手配でもいい。

お金でもいい。


私が困ったとき、

方法まで全部私が考えて

「これをしてください」と

お願いするのではなく、

もう一人の当事者として考えてほしかった。


そして、もう一つ伝えた。

「私が家で一人になれる時間も

作ってほしい」


誰かに母を見てもらっている間も、

私が休むためには、

結局私が自分の家から出なければならない。


それにも疲れていた。


本当は自分の家で、

何かを作ったり、

ぼーっとしたり、

何もしなかったりしたい。


ただ、

自分の家で一人になりたかった。


兄から返ってきたのは、

「少し考えさせてください」

だった。


ああ。

考えてくれるんだ。

私はそう思った。


そしてしばらくして、

兄から二つの案が届いた。


一つは、

兄がこの家に同居すること。

もう一つは、

デイサービスのない土日に、

母が兄のアパートで過ごすこと。


兄なりに考えてくれたんだと思う。

何とかしようとしてくれたことも分かる。


でも私は、その文章を見た瞬間、

身体がしびれるような感覚になった。


同居は、

私がいちばん望んでいないことだった。


私は直前に、

「自分の家で一人になれる時間が欲しい」

と書いたばかりだったから。


そして、もう一つ引っかかった。


私は、

「今、この3日間が無理」

とSOSを出していた。


母に初めて叩かれた。

ここ数日、母の様子も少し違う。


今、しんどい。

今、助けてほしい。


そのSOSに対して返ってきたのは、

これから先の大きな二つの案と、

「月末に話し合いませんか?」

という提案だった。


私は思った。

なんで伝わらないんだろう。


兄はちゃんと考えてくれた。

それなのに、

なぜ私はこんなに悲しくて、腹が立って、

身体まで反応したんだろう。


翌朝。

ベッドの中で考えていて、

突然わかった。


私が最初に欲しかったものは、

解決策じゃなかった。


〈その3へ続く〉





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【欲しかったのは《ねぎらい》だった その1】

《母に初めて叩かれた》


母に認知症の兆しが見え始めたのは、

2019年頃だったと思う。


そこから少しずつ、

できないことが増えていった。


同じことを何度も聞く。

言ったことを忘れる。

できていたことが、

少しずつできなくなる。


一つひとつは小さなことでも、

毎日いろんなことが何回も

何年も続く。


昨年は骨折して入院手術。


退院してからは、

さらに気にかけることが増えた。


もちろん、

その間にも私自身の仕事や生活がある。


いつからか私は、家族の中でずっと

「介護の司令塔」

になっていたんだと思う。



兄も以前より母のことを

気にかけてくれるようになりましたし

お金の面でも協力してくれるように

なったし、

「話は聞くよ」と言ってくれたこともある。


ありがたいと思っている。


だけど9月16日の兄とのやり取りを含め、

私の中には小さな違和感が残っていた。


私は「手伝ってもらう人」で、

兄は「手伝う人」。


その位置関係は、

ずっと変わっていないんじゃないか。



そんな数日後。

母と何度も同じやり取りになった。

「触らないで」と言っても、また触る。

説明しても、すぐ忘れる。


ここ最近は特に、

こちらの言うことが通らないことも

増えていました。


私もとうとう声が大きくなり

怒鳴ってしまった。


すると母が感情的になり、

初めて私を叩いた。


そのまま寝室へ行き、

何か叫んでいたけれど、

すぐにまた茶の間へ戻ってきた。



19日が誕生日の

92歳の認知症の母。


あとになれば、

母自身はそのことを覚えていない。


でも、

叩かれた私には残っている。


それが思っていた以上にしんどかった。


しかも、そのあとデイサービスがお休みで、母と3日間ずっと一緒になる。



私は兄にSOSを出した。


母に初めて叩かれたこと。

このまま3日間ずっと一緒にいるのは

無理だということ。

どちらか一日でも来てほしいと伝えた。



兄は翌日、来てくれた。

兄にも仕事があり、

目の手術をしたばかり。

台風の心配もあった中で、

2時間ほど母と過ごしてくれた。


何もしてくれなかったわけではない。


だけど私はまた、

「何時くらいまでいられるの?」

「ざっくりでいいから」

と聞いていた。


そのとき、ふと思った。


あれ?

また私が全部考えてる。


母の状態を把握するのも私。

自分の仕事と調整するのも私。

限界を察知するのも私。

兄にSOSを出すのも私。

お願いするのも私。

滞在時間を確認するのも私。


来てもらっている時間はあっても、

介護の司令塔は、ずっと私のままだった。


私は兄に、

今の気持ちを文章にして送ることにした。


責めるためではなく、

私が何にこんなにしんどくなっているのか

を伝えるために。


〈その2へ続く〉






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【できない時こそ、当事者でいる】


兄は先週、片方の目の手術をした。


もちろんそれは知っているし、

しばらく不自由なことがあるのも

分かっている。


明日は私が出かける予定があるので、

母と一緒に夕飯を食べてもらうことを

先月から兄にお願いしていた。

(私も明日は出かけるので、

普段は利用していない

水曜日のデイサービスを

事前にお願いしていた)


兄はLINEで予定をやり取りするのが嫌で

(これも面倒くさい)

「直接言って。近くなったらまた言って」

というので、

今日あらためて


「明日よろしくね」


と確認したら、


「え、明日?」


……え、明日?じゃないのよ😂

先月からお願いしてるのよ。


(忘れてたらしい、そういうのはLINEしてみたいなニュアンス😡)


結局、明日は母と夕飯を食べてもらえることになった。


兄が目の手術をしたからといって、

無理をして母の面倒を見てほしいわけではない。


できないなら、できないでいい。


でも、


「手術したから免除」ではなくて、

手術したなら、手術した状態で

自分の担当をどうするか考えるところまでが

本人の仕事だと私は思う。


(先月手術の話と母のお願いは同じ日だった)


自分ではできないなら、

ショートステイを手配するとか、

誰かにお願いするとか、

別の方法を考える。


それまで全部、

私の仕事になるわけではない。


介護って、

ご飯を作ったり、

病院へ連れて行ったりすることだけじゃない。


予定を覚えていること。

誰がやるのか考えること。

必要なら誰かに頼むこと。

サービスを手配すること。


そういう「見えない段取り」も

ぜんぶ介護なんだと思う。


ひとりがずっと

「覚えている人」

「気づく人」

「段取りする人」

になってしまうと、


その人は、いつまでたっても

介護から降りられない。


できることを平等に分けなくてもいい。


それぞれ事情もあるし、

得意不得意もある。


でも、


当事者であることまで

ひとりに預けないでほしい。


家族の介護をしていて、

今いちばん思うのはそこかもしれない。




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