新幹線に乗って田舎の街に戻った私達

 

元居た家とは違うところに引っ越しをしていた

古い長屋の一軒家

今日から私たちはここで暮らすことになった

 

夕方になるとパパが帰ってくる

あの恐ろしいパパが

私はどうすれば安全に暮らせるのか必死考えた

 

暗くなり始めたころパパが帰ってきた

私はパパが家に帰ってくるなり

『パパ~ただいま!帰ってきたよ!』と抱きついた

子供ながら精一杯考えて(かわいがられる)という選択をした

だけどその選択は失敗で、何も言わずにふり払われた

やっぱりだめか・・・

 

その日の夕飯後、母が出かけてしまい、私達はパパの部屋に呼ばれ三人共正座をするように言われ並んで座った

 

『ええか、この家では俺のルールに従え!言うことを聞けない奴はいつ出ていってもかまわん!』

と大声で言われた

私達はまだ小学4年3年2年

自分達で生きていく力はない

従う他に生きていく術がなかった

 

次の日から私は、お風呂掃除、ゴミだし、トイレ掃除、お使い、部屋の掃除、洗濯物の取り込み、畳んで箪笥に入れる事をパパから言われた

学校から帰ってすぐにこれだけの事を全てしなくてはいけなかった

当然、友達と遊ぶ事も許されなかった

誘われても断る私に友達はなかなかできなかった

 

一年経ったある日、パパから部屋に来いと言われ行ってみると

『お前も小学5年生になったんだから、少しは家族の役に立つことをしろ!明日から晩ごはんとパパとママのお弁当を作れ メニューは毎日お金を渡すから自分で考えろ リクエストが有るときは前の日に言うから美味しいのを作れよ!』

 

私は小学5年生にして主婦になった

 

母は事務員をしていて、慣れないパソコンの仕事で目が疲れて毎日頭痛がして体調が悪いから、労わらないといけないらしい

だから、家事は私がしないといけないんだとか

(よそのお家はお母さんが仕事をしていても何でもやってくれるのに、なんで家は私が全部しないといけないんだろう)

パパが飲みたいコーヒーも、パパが吸いたい煙草も私が買いに行った

近所の煙草屋さんのおばさんは、買いに行くたびにいい顔をしなかった

ある日、子供に煙草を売れないと言われ家に帰った

そのことをパパに言うと酷く怒って私は殴られた

もう一回行って来いと怒鳴られた

泣きながら煙草屋に行って、買ってこないと怒られると言うと

『これが最後だから、ちゃんとお父さんに言いなさい』と売ってくれた

 

その日、パパは一日機嫌が悪くて台所にある生ごみを入れる三角コーナーに米粒が一つ残っていただけで、私はボコボコにされた

鼻血が出て体中痣だらけになって息をするのも痛みが走る程

弟達に布団を敷かせて、私が具合が悪いことにして暗い部屋に一人で寝かされた

泣くと力が入って体が痛かった

声も出せずに泣いていた

 

泣き疲れていつの間にか眠っていた私は夜中に目が覚めた

台所に行って、無意識に包丁を握りしめていた

(パパを殺そう)

警察に捕まって死刑になるかもしれないけど、パパを殺さないとこの地獄は終わらない

まだ外の世界を知らない私は本気でそう思っていた

だけどできなかった

台所で声を押し殺して泣いた

(どうしてママは助けてくれないの? どうしてこんなに酷いことされてるのに気付いてくれないの?)

私は心が苦しくて震えて泣いた 全てに絶望していた

その頃、学校でのいじめは更にエスカレートしていた

一度転校したいじめられっこがまた転入してきた事で、クラスだけではなく、学年中の噂になっていた

 

私に話しかける同級生はほとんどいなかった

チーム戦の体育の授業は誰も組んでくれなかった

じゃんけんに負けてしぶしぶ組んだ子からは蹴られたり砂をかけられたりした

 

家でも学校でも私に逃げ場所はなかった

 

祖母の家に一度だけ逃げたことがある

だけど、『パパに謝って許してもらいなさい ちゃんと謝れば許してくれるから』

と、追い返された

 

(ばあちゃん、私は何も悪いことなんてしてないんだよ・・・)

 

この恐ろしく辛い地獄から誰も私を救ってくれなかった

 

日怯えてビクビクして、全ての人間に気を遣い、人の顔色を伺いながら話しをする

そんな子供らしくない小学生

 

そんな中、上の弟は常に何か悪さをするようになった

友達の家からおもちゃを盗ってきたり、物を壊してみたり

とにかく手当たり次第に問題を起こすようになった

 

その度に私達は《連帯責任》として三人共殴られた

ボートのオールの太い棒でお尻を何度も何度も

腫れ上がって座れなくなる程

 

何もしていない、何も知らなかった私と下の弟にも容赦なくボートのオールは振るわれた

空を切る(ブンっ!)という音がする程力を入れて殴られた

 

パパは昔ボディビルをしていたらしく、筋肉がいっぱいあって力も強く、当時は鳶職をしていたので、私達にとって素手で叩かれるだけでも痣が残る程だった

 

背中やお尻など、他人から見えない所ばかりを殴られた

泣きながら(ごめんなさい!ごめんなさい!)と言う声と、殴られて(ぎゃあああああ!)と叫ぶ私達を、近所の人は可哀想な子供扱いして優しくしてくれたが、誰も助けてくれなかった

 

一度だけ、近所に素っ裸で謝りに行かされた時に

『女の子なのに素っ裸で外に出すなんて非常識です!お父さんのやってることは虐待です!』と言ってくれたことがあった

だけど『うちの教育方針に口を出すな!』と言われて何も言えなかったと

今でも助けてあげられなかったことを後悔していると、他人が助けてあげようと思う程、私達に対する虐待は命の危険を感じる程たった

 

私達は身体的な虐待をされていただけではなく、その他の事でも悲しい思いをしていた

 

塗り絵をしたらぬいぐるみが貰えるというイベントがあって何枚も色を塗って色違いのぬいぐるみを貰った

でも、叱られた時に罰として取り上げられてしまった

誕生日におじさんがファミコンをプレゼントしてくれたのに、ゲームをするかテレビを観るかを選択しなくてはいけなくて、結局ほとんどゲームをしないまま取り上げられた

誕生日に毎年一体づつ買ってもらって大切にしていたシルバニアファミリーのお人形もいつの間にか取り上げられていて、私の宝物はほとんどなくなった

綺麗な缶の箱も、綺麗なシールも、可愛い巾着も、全部取り上げられた

やっとできたお友達に貰ったものも取り上げられた

 

悲しくて布団に入ると泣いていた

母は直ぐそばにいるのに泣いている事に気が付いてくれなかった

いや、気が付いていたけど、私達が悪いと決めつけていたのだろう

母は一度たりとも私達を庇ってくれなかった

昔、(どうして庇ってくれないの?)と聞いたことがある

母の答えは

(母さんが庇うと余計に酷くなるから)だった

そう、私達が虐待されているのを気が付いていたのに助けてくれないんだね

私達はいらない子なんだね

だったら迎えに来なければよかったのに

あのまま餓死した方が幸せだったのに

なんの為に迎えに来たの?

 

 

母は仕事と宗教に嵌ってあまり家にいなかった

何でも祈れば解決して幸せになれると私達は教えられた

だから必死に祈った

学校に行く前も、寝る前も、毎日毎日祈った

『今日はパパに殴られませんように!』

でも、その願いは叶えられる事はなかった

毎日毎日何かにつけ怒られて叩かれて、何時間も正座をさせられた

足がしびれたと言って体制を変えようとしたら

(反省してないから足がしびれるんだ!)と太ももを殴られた

太ももを殴られて前かがみになると

(姿勢が悪い!)と背中を殴られて息ができなかった

 

どれだけ祈っても願っても私たちの願いは叶えられなかった

日々の虐待と連帯責任の苦痛に私達の兄弟仲はどんどん悪くなっていった

罪の擦り付け合いと責任転嫁で譲り合う事も助けあう事も出来なくなっていった

それを良くないと思った母がパパに相談したらしく

私達は兄弟愛について何時間も説教をされた

下の弟が殴られたら庇うくらいの思いやりを持てと

何時間も説教されて足の感覚も無くなって精神的にも辛くて仕方がなかった

しかも夕飯の前に呼ばれたので、支度もしてなかった

母は別の部屋にいたので支度をしてくれていると思っていたのに、仏壇に祈っていて何もしてくれてなかった

私の仕事だから母はしなかったんだそうだ

その時やっと気が付いた

私達は母にも虐待されているんだと

今の言葉でいう《ネグレクト》

母は無意識に私達を虐待していた

 

外では私が家事をするのを羨ましがられて、しつけができてて、立派な母親だと言われていた

実際は何もせずに、私達の困りごとはパパに言いつけて虐待の材料を追加していただけ

外面だけは良くてしっかりしたお母さんと言われさぞ嬉しかっただろう

 

だけどそれは、私達が不幸になる事で得たものなんだよ

あなたは何で子供なんか産んじゃったんだよ

しかも三人も

誰も幸せになんて出来ないのに

 

 

そしてとうとう最悪な事が起こった

弟が学校で友達に怪我をさせてしまった

わざとではなかったけれど、悪ふざけが過ぎて誤って怪我をさせてしまったらしい

弟は淋しさのあまりに悪さを繰り返し、母の注意を必死に惹こうとしていた

母は学校に呼び出されて謝り、被害者のお友達の家に謝りに行って、ヘトヘトになって帰ってきた

弟に『何でこんな事をするの!母さんに迷惑ばっかりかけて!』と泣き叫んでいた

誰も弟の話を聞かずにひたすら責めて殴って蹴った

翌日児童相談所の人が訪ねてきた

大人だけで何かを話していて、私達には何も教えてくれなかった

 

しばらくして弟は育成学園というところに行くことになった

親と離れて施設で暮らして校正させる目的らしい

弟はまだ小学5年生

親と離れて暮らすのは捨てられるのと変わらない程悲しい

弟は泣いて母に縋った

『良い子になるから僕を何処にもやらないで!』と

でも、パパが

『お前みたいな奴は、施設に入って更生させんにゃろくな大人にならん! ちゃんと反省するまで何年でも家に帰さんからな!!!』

と言って蹴って殴って無茶苦茶に痛めつけた

 

その夜弟は何度殴られても『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』と大声で泣いていた

とても悲しそうで胸が締め付けられた

そして私達はいつ捨てられるかわからないという恐怖を更に感じていた

それから三年、本当に母もパパも弟を迎えに行かなかった

 

母は弟がいらなかったのだろうか