程なくして、私達3人は、父に連れられ関西に戻ってきた

私達の住む家は
ゲームセンターの二階の風呂、トイレ無しの四畳半の1Kの共同アパート
コタツと布団しかなかったけれど、私達は家の中で眠れる事が嬉しかった
父は料理が得意で、毎日美味しいご飯を作ってくれた
久しぶりに会話をしながら楽しい食事ができた
パパの前では、喋ると行儀が悪いと叱られて私語は禁止だったから、本当に楽しかった
日頃は小食な私も、あの日は沢山食べた

その街には私達の叔母さんと従姉妹たちがいて、私達は従姉妹たちと同じ小学校に転入する事になった
転入当日、優しそうな女の先生に案内されて教室に入り、自己紹介をして席に着いた
授業が始まって、何の問題もなく休み時間になり、クラスメイトからの質問攻めに笑顔で答えて、遊ぶ約束もできた

あの田舎に転校した時と大違いだった

弟達にも友達ができて、明るさを取り戻していった、そんな頃

学校の下駄箱で従姉妹に会った
私と同じ歳の従姉妹

従姉妹はいじめられていた
だから学校では話しかけないように従姉妹に避けられていた
たまたま下駄箱であって、私は嬉しくなって話しかけてしまった
従姉妹は『話しかけちゃダメ!』と言って走り去った
私はぽかーんとしてその場から動けなかった
周りの友達に
『あの子知ってるの?』と聞かれて『従姉妹だよ』と答えた
友達はびっくりしていたけど、その日もいつもと変わらず仲良く放課後に遊んだ

だけど何故か毎日毎日『あの子と従姉妹なの?』という質問をする子が増えていった

従姉妹はいじめられていたけど、とても気が強くて、何を言われても全部言い返してた

従姉妹の家に遊びに行った時に
『いじめられて悲しくない?』と聞いたら
『私が可愛いから、みんな嫉妬してんねん!』と笑っていた
私とは全然違う
私は悲しくて仕方なかった
従姉妹は強いな、羨ましいなと思った

クラスに馴染んで楽しく過ごしていた頃、従姉妹のクラスの男の子が私のクラスに来て
『〇〇の従姉妹って誰?』と聞きに来た
クラスメイトがあの子だよと私を指さすと
『うわぁ~、汚ぇ、〇〇と従姉妹だからコイツもバイ菌や!お前らもバイ菌に感染するで!』と叫んで走って逃げて行った

その日から、私はクラスメイトの男の子からバイ菌扱いされるようになった
そして徐々に女の子からも
気が付いたらクラスメイト全員からいじめらるようになっていた
誰も遊んでくれない
話しかけても無視される
私は何もしていないのに
近づくだけで周りが避けて逃げて行く
ちょっと当たっただけで男の子から蹴られるようになった
そして椅子を引かれてコケたり、足を引っ掛けられたり、突き飛ばされたり、どんどん暴力的になっていった

せっかくパパと離れたのに、私はまた暴力に怯える日々を送る事になった

そしてだんだんエスカレートして行き、私は放課後に集団リンチされた

椅子から落とされて蹴られて殴られて、ツバを吐かれて、罵倒された
私は何もしていないのに
動けなくなるまで蹴られ続けた
日が暮れ始めた頃、クラスメイト達は教室に鍵を閉めて私を置き去りにした

下駄箱に靴があるのを不思議に思った先生が教室に来るまで、私は暗い教室で声も出さずに泣いていた

驚いた先生が私を抱き上げ保健室に連れていき、汚れた私の体を拭いて傷の手当をしてくれた
『誰にこんな酷いことされたの?』と聞かれたけど、沢山いすぎて答えられなかった
ただ震えてしゃくりあげて泣く事しかできなかった
先生が家まで送ってくれた
私は家に帰ってすぐに泣きつかれて寝てしまった

朝起きると父はいなかった
父は朝が早くて夜が遅くなるようになっていたので、朝のパンと銭湯のお金が戸棚の中に入っていた
昨日の傷が痛くて体が動かないので私は弟に今日は学校を休む事を先生に伝えて欲しいとお願いした

放課後、先生が家に訪ねてきた
昨日あった事、しばらくいじめられていた事を話た
先生は凄く驚いて泣いてくれた
気が付かなくてごめんなさいと抱きしめてくれた
次の日、先生はクラスで話し合うと約束してくれた
暗くなるまで待ってくれていたが、父はなかなか帰って来なかった
『お父さん、いつもこんなに遅いの?』と聞かれたので、たまに遅くなる事があると言うと、晩ご飯の心配をされたので、戸棚にお金があるからそれで買うから大丈夫と戸棚の中のお金を見せると、先生は困ったような顔をしていた

先生はまた明日学校で会いましょうと帰って行った
私達は晩ご飯を買いにコンビニに行って、好きなパンを買って食べて、銭湯に行って父の帰りを待ちながら寝た

朝起きると父は居なくて朝のパンがなかったので、近所のパン屋さんに食パンを買いに行った
もう、お金が無くなったので
《お父さんにお金貰わないとなぁ》と思いながら学校に行った

学校に行くと、先生は授業を変更して私へのいじめの話し合いをしてくれた
先生はこのクラスでいじめがある事、よってたかって、1人をいじめた事、みんなで暴力をふるったことを、とても悲しいと泣きながら話してくれた
あなた達が自分がされたらどれだけ怖くて悲しいか自分の立場になって考えなさいと
そしていじめを見て見ぬふりをしている人も、いじめている人と同罪だと言い、泣いている子もいた

一人一人、いじめについての思いと謝罪をして、その日からいじめは無くなった
同時に従姉妹のクラスでも、同じように話し合いがあったらしい
従姉妹のクラスでもいじめは無くなった
やっと普通に学校に行けるようになって、従姉妹とよろこびあった

学校から帰って父に話したくてずっと待っていたがなかなか父は帰って来なかった
お腹がすいたと弟達が泣くので、朝の分の食パンを食べさせて、今日はお金がないから銭湯に行けないと説明して寝かせた
ずっと待っていたけど、父は帰って来なかったので待ち疲れて眠ってしまった

朝起きると父はいなかった
朝のパンも無くて弟達はお腹がすいて泣いていたけど、学校に行く時間になったので泣きながら学校に行った

学校から帰って父を待っていたけど、やっぱり父は帰って来なかった
弟達はお腹がすいて泣いて泣いて疲れて寝てしまった
私は明日も父が帰って来なかったらどうしようと不安でなかなか眠れなかった

だけど、父は何日待っても帰って来なかった

そして従姉妹の叔母さんが家に来た
今日から従姉妹の家で晩ご飯を食べる事になったと、今から晩ご飯だから、支度をして来なさいと、少し怖い顔で言われた
私達は着替えを持って従姉妹の家に行った
ご飯を食べてお風呂に入って家に帰った

次の日から夕方5時までに従姉妹の家に来るように言われた
だけど、弟達はなかなか帰って来なくて時間に遅れる事がたまにあった
遅くなると叔母さんは凄く怒っていて私達は激しく叱られた
でも、弟達はなかなか帰って来なくて遅れる事があった
何度言っても帰って来ない
何度言っても時間に来ない
叔母さんは『来たくないんやったら来んでええんやからな!』と凄く怒っていた
そして私達の食事は、昨日の残り物と黄色くなって少し硬くなったご飯になった
従姉妹達は炊きたてのご飯とおかずがいっぱいで美味しそうだった

片付けをして暗くなってから、近くの公園を通って家に帰る
その途中に私は弟達に
『もう、おばちゃんの家に行くのやめようか』
と弟達に言った
次の日から、私達の食事は学校の給食だけになった
毎日空腹で泣く弟達
私も泣きそうだった
でも、泣けなかった
私が泣いたら弟達はもっと悲しくなるから

なんとなく、私達は父に捨てられたんだと感じていた

ご飯も無い、お風呂も入れない
私達はどんどん汚れて汚らしくなっていった
洗濯されていない服を来て登校した
お風呂に入ったのはいつだろうか
お腹いっぱいご飯食べたい

母や父に会えない淋しさは不思議となかった
ただ、お風呂とご飯
その事ばかり考えていた

学校の給食といっても、土曜日や休日には無く、私達は1日何も食べられない日もあった

ある日空腹に耐えかねた弟達が食べ物を盗んできた
目の前でガツガツと食べる弟達
私は弟達を叱った、謝りに行こうと
だけど、また大人に殴られる恐怖がよみがえって行けなかった

ある日から、私は近くの商店街の惣菜屋さんの商品を盗むようになった
空腹でフラフラしていてはっきりとは覚えていないけど、服の中に惣菜を隠して走って帰った
味は覚えていないけど、とにかく食べた
泣きながら食べた

それからは毎日のように、そこかしこで食べ物を盗んだ
生きるのに必死だった
冬休みに入って給食が無くなり、私達は当たり前のように盗んできた物を食べる
食べないと体がフラフラして悲しくなるから、盗んで食べるしか方法がわからなかった

雪が降って凄く寒くて、3人で布団に入って震えていた夜
父が帰ってきた
電気も止められて真っ暗な家に
『ただいま、元気だったか?』と

父は、汚れた私達を銭湯に連れて行った

あちこち痒くて、父に何度も洗ってもらった
髪の毛はもつれてボサボサであまり綺麗にはならなかった
次の日、父が髪を切ってくれた
弟達も丸坊主にしてもらった

しばらく父は毎日帰って来た
銭湯もご飯もちゃんと食べることも出来てほっとしていた

次第に父は何処にも行かなくなった
毎日家にいて、朝から寝るまでお酒を飲むようになった
お酒が無くなると、私に買って来るようにいいつけた

朝は起きないので、前のように戸棚にお金を置いてくれていたので、パンが無くなったら買いに行っていた
お釣りは戸棚に毎回ちゃんと返していた

ちゃんと返していたのに、お金が無くなったと父が怒っていた
『お前が盗んだんか!』と弟を殴り、弟が違うと言っても
『何処に隠したんか!』と殴り続けた
弟は泣きながら家から飛び出して行った
父は私達に、探して来い!と怒鳴った
私と下の弟は慌てて家から出て、探したけれど、見つからなかった
見つからなかったと父に言いに帰ると
『見つかるまで帰ってくるな!』と、また家を追い出された
探す宛もなく名前を呼びながら夜道を歩いていると
『こんな夜中にどうしたの?』と警察の人に聞かれた
父が怒って弟が家から飛び出して居なくなった事、見つかるまで帰って来るなと言われた事を言ったら、警察の人は家まで来て父と何か話していた
家にいなさいと言われ戻るとコタツの上にアイスの空っぽの容器があった
私は何故か《父だけアイスを食べてずるい》と思った
弟はすぐに見つかって父は警察の人に少し怒られていた

そしてまた父はだんだん家を空ける事が多くなっていった

春休みに入って間もなく、家に女の人が来た
女の人の後ろには白髪のおばあさん


おばあちゃん!?
祖母だった
一緒にいた女の人は母だった
顔も思い出さなかった母と、会いたくて仕方なかった祖母
弟達は母に抱きついて泣いていた

私達が父に関西に連れて行かれて
約、1年が経っていた

母は
『何で電話しなかったの!電話番号は変えてなかったのに!』と私に怒った
電話番号なんて覚えてなかった
自分で電話した事も1度もなかった
それは母が父からかかってきたらいけないからと、私達に電話をとらせなかったから
母は、父が探しに来ると怯えて暮らしていたから

私は言いつけを守っていたから、電話のかけ方を知らなかった
黒電話で母が殴られてから、私は電話に近づくとあの日の事を思い出して怖かった

私達は母と祖母に連れられ帰る事になった

私は帰りたくなくて
『友達が悲しむから帰りたくない』と言った
母はとても怒って
『せっかく迎えに来たのに、いい加減にしなさい!』と怒鳴った

母はどうしていつも理由を聞いてくれないんだろう
私はあそこに帰っても何1つ幸せじゃないのに

パパに殴られて、学校でいじめられて
私の居場所なんてないのに

それでも、祖母に説得されてしぶしぶ帰る事になった
ランドセルと教科書以外、私達の荷物はほとんどなかった

私は見た目にも栄養失調とわかる程にガリガリに痩せて顔色も悪く、まるで枯れ木のような体になっていた

母は栄養のある物と言って、私達を寿司屋に連れて行った
大好物の海老や玉子を食べて、その日は旅館に泊まった
その晩、私は嘔吐を繰り返し、全身に蕁麻疹が出て痒くて辛くて眠れなかった

次の日、私達は新幹線でまたあの地獄のような田舎の街に戻った