おはよう、Junです![]()
箱根駅伝も終わり、正月も終わったなぁって感じです。
昨日箱根駅伝見た余韻に浸りながら、夜勤けやったけん、
17時ぐらいに寝たら、さっき(5時ぐらい)に目覚めました![]()
12時間寝てました。
これぞ寝正月![]()
てか、一昨日から『箱根駅伝』の話しすぎやな![]()
だって、俺にとって箱根駅伝は夢やったし、今でも出たいって思うもん。
小学校3年の時に転校して、友達に陸上部に誘われてから、
俺の学生生活は陸上そのものやった。
もともと、足の速かった俺が、陸上部に入って、
短距離メンバーと走ってたら、レベルの違いに挫折しそうになった。
そんな中、小学4年の時に、毎年冬に行われる持久走大会で、
2位になってから、
「俺の畑は長距離だ!」
って思ってからは長距離に明け暮れた。
そんな中、1995年の第71回大会で、
当時早稲田大学3年で、現早稲田大学競争部の監督である、
渡辺康幸さんの、その当時山梨学院大学の留学生ランナーであった、
ステファン・マヤカをもしのぐ走りで区間新記録を達成した走りを見て、
「俺、早稲田大学に行く!!!」
って、両親に話して、正月早々爆笑されたのを覚えている。
その当時は、勉強もやらず、宿題もやらず、陸上と遊びに明け暮れていた俺に、
早稲田に入る学力なんて有るはずがなかった。
そんな俺に、親父が、
「お前の頭でどうやって早稲田に行くとや?」
って、聞かれたときに、俺は迷わず、
「走っていく!!!!!」
って言った。
俺にとって渡辺さんはそれほどのスターやったし、
早稲田大学はスター集団やった。
俺と同年代の長距離選手で、渡辺さんの走りに影響された人は多いはず。
現に、今年の箱根の3区で区間新記録を出し、
去年の夏、44年ぶりに箱根現役ランナーとしてオリンピックに出場した、
早稲田のエース、竹澤健介も、
「小さい頃に渡辺さんの走りを見て早稲田に入ろうとおもった」
とコメントしていたぐらいだから。
それからは、走ることに明け暮れた。
日に日に自分のタイムが上がっていったし、
走ることが楽しかった。
色んな大会の記録も作ったし、駅伝の区間記録も作るぐらいになった。
それでも負けることが嫌な俺は練習し続けた。
中学2年の時に監督とケンカして走ることをやめるまでは・・・。
でも監督とケンカしたのもそうやけど、
本当の理由は、記録の伸びない自分に自信をなくしてたから。
遠ざかる夢を追えない自分。
夢を叶えられない自分に気づいてたのかもしれない。
夢から逃げ出したかったのかもしれない。
それからの俺は腐ってた。
いろいろ悪いことはしたし、親にも迷惑掛けたし。
それ以来俺が走ることはなかった。
それでも箱根駅伝への思いは変わらなかった。
よく言われてるけど、
“箱根駅伝は走ったものすべてに平等に何かを与える”
って言葉があったから。
箱根駅伝を走った人たちは言う。
“自分にとって箱根を走ったことは宝だ”と。
今となってはもう叶わない夢。
俺もあの舞台で走りたかった。
今では音楽っていう目標があって、それに向かって突き進んでるけど、
もし、人間に来世というものがあるとすれば、
俺はまた、箱根駅伝を目指したい。
もちろん、早稲田大学のランナーとして。