ここ1年くらい、思い出したかのように頭にふわっと浮かんでは私の思考を独占したこと。


それは、家族のあり方。


家族ってなんだ?

血が繋がっているから家族?

いつも一緒にいるから家族?
家族は一番愛し愛されるべき対象?


最も確かな繋がりのように見える「家族」でさえ、

考えれば考えるほど掴めない不確かな存在のように思えてくる。


近頃、子が親を、親が子を虐待・殺害する事件を耳にすることは珍しくない。

血の繋がりに束縛されているようにでも感じるのだろうか。

いくら家族でも、みんな人間、相性が合わない人は合わないものなのだそうだ。

理解できるよう努力する根性とか、思いやる力が足りないとき、居心地が良いはずの「家庭」も崩壊してしまうのだろう。


一方で、不妊に悩む人は増加傾向にあるらしい。8組に1組とか。

私は絶対に子供が欲しい。不妊とかいう言葉を聞くと恐ろしくてたまらなくなる。

正直、願わくば血の繋がった子供が欲しいと思うけど、今の時代に他にも選択肢があることを心強くも思う。

代理母、体外受精、養子縁組などなど、簡単なことでも、自然なことでもないのかもしれない。


去年、向井亜紀さんの著書を2冊読んだ。彼女は子宮がんを患った後、アメリカに渡り、代理母出産に何度も挑戦した結果、双子の男の子が生まれた。

それまでの道のりが平坦なものではなかったことが、本を読めばわかると思う。


彼女は問う。

「お腹を痛めて生んだ子供だから」愛おしいのか?


必死になって命の誕生を追うことを、その手段ゆえに間違いだというのか?


代理母出産の是非は、倫理的問題も絡まってなかなか難しい議論である。

向井さんの場合はうまくいった。周囲の理解もあった。人柄のよい代理母に恵まれた。

しかし日本では認められていない代理母出産を、まわりにだけでなく、子供にも、隠しとおす人も多いという。


倫理的な議論に、出口は見えにくいもの。


だが、どんな家族の形でも認め理解できる社会は必要だ。

養子縁組だって、日本では成立に漕ぎ着けるのは難しい。国際養子縁組ならなおさら。

守ってくれる法律。周囲の理解。

政府よ、少子化に歯止めを掛けたいならもっと柔軟に考えろ。


技術の進歩とともに、人間は自然の摂理を都合の良いように操ってきた。

代理母出産や養子縁組も、その「不自然さ」ゆえに多くの物理的・精神的障害を伴うものには違いない。

しかしそこから生まれた可能性は、決して冷淡なものではないと信じたい。


そう、愛情の形が広がったのだと思えば。

血が繋がっていなくたって、愛情は生まれる。人一倍の愛情を込めて育てるのなら、そこから育まれる関係はむしろ、濃密なものになり得るのではないか。


家族のあり方。

一義的には定められないからこそ、ひとりひとりが探し求めて、それぞれの形で大切にしていければいいものなんじゃないか。


血が水より濃いとは決して思わない。

家族というぬくもりのある空間なら、そこに流れる温かみは、一緒だから。