秋空の下 長崎まで足を延ばしました。
途中こんな景色の所に 巨大な煙突の様なものが・・・3本も
遠くで見るとそうでもないのですが 近くでみるととても巨大な煙突?
ここは、「針尾送信所」といってかって日本海軍が大正時代に建てた
無線の送信施設でした。
今は、国の重要文化財に指定されており、公園の様に整備されていました。
この針尾送信所は、1918年(大正7年)~1922年(大正11年)に建設された
旧日本海軍の無線送信施設で、日ロ戦争(1904~1905)を契機に無線設備の重要性を考え建設されたようです。
1895年にイタリアのマルコーニが無線通信を発明し、その有効性を見込んで当時の金で総工費155万円(現在の約250億円)、無線塔1基あたり30万円(約50億円)で建設されました。
施設内には、3基の塔がありその高さは、135m 底の直径は約12mの大きさです。
12mの直径といっても、この大きさ(近くの人と比べて)です。
現在中に入れるのはこの3号塔だけ
また、高さも135mですが、下から見上げると先端は見えません。
今はスカイツリーなど超高層建設物も多いのでこの程度の高さも珍しい
ものではないですが
100年も前に短期間で3塔も建てたのですからすごいものです。
こん設備が残っていました。 ケーブル巻き上げ用の何かでしょうか。
天井を見上げる 途中の明かり取りの窓からの光が差し込んできれいです。
2号塔 下にあるのは、戦後自衛隊や海上保安庁の設備として使われていた施設
こちらは、1号塔です。
この3基の無線塔は下の写真の様な正三角形に配置されていて各辺は300mあり
その中心に電信室がありました。
この3本の塔を結んでケーブルを張り、長波の電波を送信していました。
当時は、音声での送信は出来ないので電信での交信でした。
長波は30KHz~300KHz(波長は10Km~1Km)ですから300kHz 近くの電波
送信していたのでしょう。
この電信室も見学で出来るようになっています。
(後ろに見えるのは2号塔)
出来て100年も経つとコンクリートも一部剥がれてきています。
当時は、2階建てだったようですが、現在は1階部分が埋められているとのこと。
内部も見学することが出来ます。
内部です。 100年経ったとは思いない感じです。
結構色々な部屋に分かれています。
発電機で作った交流電源を直流に変えるための部屋です。
天井の高い大きな部屋は、発電機などの電源設備が設置されていたようです。
配電用の架線のようです。その当時のものでしょう。 碍子がそのままに
この送信塔から、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃命令
「ニイタカヤマノボレ1208」が送信されたということも言われていますが
正確には分からないようです。
このように100年以上も前の施設ですが、国の保存もあってみることが出来ました。
YouTubeでも紹介されていますので
現地に行かなくても短時間で施設を見ることが出来ます。
今日もご覧頂きありがとうございました。