私は俗に言う「行き当たりばったり」な性格だと思う。
大学受験もセンター試験後に突然、縁も所縁もない地方の大学に志望校変えたし、
試験前に勉強の計画立てるのとか絶対にやらないし。
いつからこうなったんだろう、小さい頃はもっと計画的でしっかり者だったような気がするのに…
思い返すと、中学受験で第一志望の学校に合格したところが人生のピーク。
その幸せを手にして、迎えた春の健康診断で引っかかり、一気に転落。人生観も変わった。
病気なんて、誰のせいでも無いから、悲しみのやり場に困る。
確実に治るなら良いけど、そういう訳じゃないから、もし良くならなかった時にどうするのか?っていう未来のことを考えるのが嫌になって、
考えることを避けるようになって、
「いま」だけに集中して、「みらい」を見ないようにすることで、病みそうになる心を守ってた。防衛本能。
小さい頃は良く人生設計とかして楽しんでたけど、中学生になってからは、人生設計しようとすると、絶対に病気と向き合わなきゃいけなくなるから、人生設計なんてしなくなった。
どんなに将来の計画を立てても、そんなもの一瞬で崩れ去ることを13歳で学んだ。
自分に言い聞かせる。
「なるようにしかならないよ」
入学した中学がキリスト教系の学校だったから初めてそこでキリスト教の考えにふれたけど、私が好きな教えがある。
私たちの人生は、初めから全部神様が決めていて、だからどんなに辛いことも、絶対に人生において意味があること、だという。
だからきっと、私がこの病気にかかってしまったことも、これから先の人生にとって必要なこと、意味があることだったんだよね?
自分の未来を決めるのは自分だなんて言って、自分を追い込んで1人で苦しんでたけど、
もうすでに人生の筋書きが出来上がっているなら、それがたとえその時に望んだものとは違ったとしても、きっと後でその意味が分かる時が来る、
そう思うと、自分の身に起こる全てのことに対して少し希望が持てる。
この教えは辛い時の私の心の支え。
だから大学受験とか部活の試合の勝敗とか、自分の努力だけじゃどうにもならないかもって思うことも、
最後は身を委ねてみると、どんな結果でも、いつかその意味が分かる日が来るって思えて納得できる。
要するに世間一般でいう「行き当たりばったり」は、私にとっては「神様の計画通り」