死人が出るような暑い夏。

 

あるいは

凍えるほど寒い冬の日。

 

 

家の中と 外では

天国と地獄ほどの差がある。

 

 

エアコンの効いた室内でスヤスヤと安心して眠れるのは天国。

 

飢えと渇き、暑さ寒さの中 生きるために

地面を這いつくばって必死で生きる「のらねこ」と呼ばれる命たちは

きっと 安心して眠れる夜もない。

やっと食べ物にありついたら 人に追い払われたり、

やっと空腹を満たせると思ってほおばったら 毒餌だったり、

命を削って子育てしていたら 子供を取り上げられ殺されてしまったり、

ほんの少しほかのことに気を取られたら車に轢き殺されたり、

病気になっても誰も病院には連れて行ってくれない、

そんな

過酷な地獄を生きる命たちの寿命は 本当に短く儚い。

 

好きで「のらねこ」やってる命なんてない。

 

誰かに守られて、愛されて、名前をもらって、

毎日食事に困らずに、

エアコンの効いた安全な部屋の中で

ぐっすり眠れたら

そんなささやかな 当たり前のことさえ 

知らずに

 

ただただ 生きるためだけに 必死で生きてる命たち。

 

 

野良猫 と呼ばれる子たちの生涯は 本当に過酷だ。

 

 

 

そんな 過酷な生涯の中で

子を産み 育て 

また次の世代も 過酷が続くのは

あまりにも 残酷だから

 

「せめて、その一代限りの命を、自分のためだけに全うしてください」

という祈りをこめた活動が

「TNR」。

 

 

可哀想でたまらない。

だけど全部は保護できない。

明日さえも約束してあげられない命を前に

せめて、せめて、お守りのワクチンと、避妊去勢術をして

防げる病気は防げるように、

子育ての過酷から解放されるように、

「頑張って生きて行ってほしい」と祈るような気持ちで

捕獲器の扉を開ける。

それは とても つらい作業。

 

ネコは走り去っていく。

その背中に 心の底から願う。

元気で。どうか元気で。少しでも幸せであれ。

 

 

そうやって、保護できずリターンする子は

ちゃんとご飯をもらえる環境があるとわかっていなければリターンできない。

餌やりさん と呼ばれる人たちがいなければ

リターンさえもできない。

 

餌やりさんが、おうちの中に入れてあげられたらいいけど

「保護」はハードルが高い。

 

人馴れしていないネコを室内に入れるというのは

結構ハードルが高いから

なかなかそこまではお願いできないことも多く。

 

せめて、お腹だけは満たされるように

やれることはすべてやってから 引き継ぐしかない。

 

 

それが、「TNR活動」。

ネコのボランティアを行っている人たちの基本活動。

 

全部を保護はできないけど、

全部をリターンできるわけでもない。

 

餌場が特定できない場合や、

病気やケガをしていて治療が必要なケース、

自力で生きていけない子猫など、

やむを得ず 保護せざるをえないケースは

TNR をしていれば どうしても出てきてしまう。

 

私たちは、野良猫と呼ばれる子たちの過酷さを知っているから

 

そりゃあ 保護してあげたいのさ、そりゃあそうなのさ。

きっと みんな同じ気持ち。

 

暖かく安全な室内で ぬくぬくさせてあげたい。

病気になったらすぐに病院へ連れて行って治療してあげたい。

安心と安全を 生涯 担保してあげたい。

 

だけど それには

保護できるスペースの問題、飼育していくにあたっての金銭的問題、

いろいろな事情が立ちはだかる。

 

ボランティアというけれど

別に誰もスーパーマンじゃないし、お金持ちでもないし、

ごくごく普通の 会社員だったり 主婦だったりするだけで

それは、やたら「ボランティアなんだから保護してほしい!」と言ってくるあなたと

何も変わらない一般の凡人なわけで。

ただ ほんのちょっとだけ、

野良猫の過酷さを知っていることと、その過酷さを想像できることと、

馴れないネコを捕まえるノウハウを持っていたり、

通常より安価に避妊去勢手術をしてくれる病院を知っている、

ただそれだけの違い。

 

「うちは3匹もいるからもう飼えないわ」というのなら、

私たちが数十頭のネコを室内に抱える大変さは想像できないのだろうかといつも思う。

 

ボランティアなので、無償の活動に過ぎない。

どこかからお金がもらえるわけでもなく、

何をするにもすべて自腹切ってやっている。

ネコ3匹の飼育で大変だという人が、

ネコ数十頭抱えるボランティアにさらに押し付けようとする不思議。

想像力が欠如しているのか

自分さえよければそれでいいのか。

 

 

ネコのボランティア という「仕事」なら話はわかる。

でもこれは仕事ではない、あくまでも「善意」に過ぎないのだから。

 

その善意につけこんでくる人はたくさんいるのも現実。

 

 

だけどね、物理的にもう 保護はできない ということが

理解してもらえないことは多々ある。

 

 

 

野良猫を見つけたとき、

「可愛い🎵癒される~」と馬鹿げたことを言う人は結構いる。

私たちは決して癒されない。

まず、避妊去勢手術済みのしるしである耳先カットはあるか、を確認してしまう。

そして

病気やケガはしていないか?

餌場は確保できているのか?

それらのことを一気に考え 場合によっては後をつけてしまう。

ついていった先で ご飯をもらえているようなら、餌やりさんと話をする。

「手術はしてありますか」

まずはそれ。

もし、手術していないようなら、

「避妊去勢手術のお手伝いはできますよ」

と申し出る。

拒否されるケースもあるし、

「実は子猫が生まれて困っていたんだ」と相談されることもある。

協力的な餌やりさんなら話はスムーズに進むが

拒否される場合は説得したり、行政に入ってもらうこともある。

 

 

 

私たちは、ネコが好きでやってるんだろう と思われていて

それは確かにネコは大好きなんだけど

 

世の中には ネコが大嫌いな人もたくさんいる。

 

私たちは、過酷な生涯を送る可哀想なネコがいなくなればいい、と思う。

ネコ嫌いさんは、外のネコがいなくなればいい、と思っている。

利害は一致するのだ。

「外のネコがいなくなればいい」

 

 

そのために TNR 活動が必須になってくる。

 

残念なことに 外で生きるネコの寿命はとても短い。

繁殖制限をすることで、やがてネコはいなくなる。

可哀想なネコがいなくなること。

これが、私たちボランティアの願いであると同時に

ネコ嫌いな人たちの望みにも叶っているはずなのだ。

 

 

 

TNRなんて みんな泣きながらやってる。

 

「保護できなくてごめん」

 

その一言に集約される。

 

 

 

自分ちの飼い猫を「引き取ってくれ」とか

自分が餌やりしてるネコを「保護してくれ」とか

無責任なことを平気で言う人も多いけど

 

保護できるならとっくにしてるのさ。

保護したい子は山ほどいるのさ。

できないから

苦肉の策のTNRをしてるのさ。

 

本当に、みんな、もう少し想像力があればよかったのに

 

 

 

家の、中と外。

ガラス一枚隔てただけで

運命が全然違う。

 

 

例えば自分がご飯をあげている子なら、

夜だけでも、軒先だけでも、せめて

暖をとれる環境に整えてあげられないだろうか。

寝床にカイロを忍ばせて、雨風当たらないような防寒ハウスを用意してあげられないだろうか。

 

寒い夜はいつも

人の 冷たさについて考えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

「ネコ問題」ってよく言うけど

実際のところ「ネコ問題」なんて存在する?

 

いつだっていつだってそれは「ヒト問題」でしかないと

私は思ってる。

ネコをめぐってヒト同士が対立するだけで

ネコにはなんの落ち度も問題もないのに

あたかも そこにネコが存在することが「悪」であるかのような

「ネコ問題」という言葉。

 

これは、完全に「ヒト問題」なのでは。

 

知能も感情もある小さな命を守ろうとする人と

排除するしか能がない人とのバトルでしかない。

 

人がどう動くか。それに尽きるのでは。

 

好きとか嫌いとかのレベルで話したら何も解決しない。

 

ネコが好きだからボランティアをやっているわけでもない。

 

 

 

 

例えば

誰かが不法投棄に気が付きました。

不法投棄に気づいた人は、

ボランティアをやってる人を探し出して

「邪魔だからあなたのお金と時間を使ってコレをなんとかして」

とは絶対に言わないと思う。

 

でも、コト命となると

「あなたボランティアなんだからなんとかして」

と平気で言ってくる。

 

その不法投棄されたゴミよりも、

コト命となれば、知能も感情もある生き物だから

時間もお金も費やさなければならないし

QOLの担保やメンタルケアも必要で、医療費もかかるのに。

 

ゴミの不法投棄なら、行政や警察が動くでしょうに、

命の場合はなぜか 善意の人に丸投げ案件となってしまう。

この国の不思議。

 

不法投棄されたゴミを 善意の市民が片付けたら美談になり

 

命なら「あなたネコ好きなんでしょ、だからなんとかして」になる。

 

ゴミを片付ける人に「あなたゴミ好きなんでしょ、だからなんとかして」とはならない。

 

どっちがより深刻で

大切な問題か。

命をなんと心得るのか。

 

ネコとゴミを比較するのは間違えていることは百も承知だけど、

ゴミでさえ片付く案件が

ネコだとそれにかかわろうとする人があまりに少ないのが不思議なのだ。

命よ?

あなたやあなたの家のネコと同じ、命よ?

 

 

 

 

 

命である以上、寒いし 暑いし お腹もすくし 排泄もする。

感情もあるし 病気もするし 愛情も持ってる。

 

 

人として 彼らに 何をしてあげられるのか

考えたとき

 

せめて 生きてほしくて。

願わくば

幸せに生きてほしくて。

 

たったそれだけのことを

同じ目線で共有できるヒトが少ないことも また事実で。

 

やさしさと想像力。

人が持ってる唯一の武器。

それを放棄したらもう

「ひとでなし」って言うんじゃないの?

 

 

自分の家の中のネコさえ幸せならいい、と思うヒト。

 

もちろん、自分の家のネコさえ幸せにできない人は無理だけど、

その命にかかわったなら、

家の外にいるネコの存在にも思考が向かないだろうか。

「あれ?同じネコなのに、うちの子は幸せだけど、あの子は大丈夫なの?」って

普通、気にならないだろうか。

 

家の中に、ネコたちが遊び飽きたおもちゃがたくさんあって、

お庭にご飯を食べに来る子が ある日 石ころ転がして遊んでいたら

胸が痛まないだろうか。

家の中の子が わがまま言ってご飯を好き嫌いするのに、

お庭に来る子は文句も言わず、出したご飯をいつもきれいに平らげることに

胸が痛まないだろうか。

家の中の子がホットカーペットの上で大の字で寝ているのに、

お外の子が寒さに震えて鼻水垂らしていたら

胸が痛まないだろうか。

そこに、想像力は 働かないだろうか。

 

 

 

寒い夜はいつも考えてしまう。

 

生まれてきた命たちが

生まれてきてよかったと思える社会になりますように。

 

 

 

 

保護されて、幸せへの切符をつかめる子はわずかです。

その子たちに、安心して暮らせるずっとのおうちを探しています。

 

チーム☆hananeco 次回の譲渡会は

年内最後の 18日(日)です。

みなさまのお越しをお待ちしています。